30. 危険の予兆
コクランさんに抱えられた亜人の少女は、ひどい高熱に襲われ苦しそうな呼吸を繰り返していた。
「この震え方は危険かも……ルナンさん、ここの暖炉着けるね!」
「はい、お願いします。私は毛布を持ってきます」
こんな時こそ、冷静に。
ひとまず少女をラウンジのソファへ横にさせてもらって私は、バタバタと階段を駆け上がり客室へ入ると、毛布を一枚手に取った。
すぐにラウンジへ引き返し、熱に浮かされ続けるその子に被せ、なるべく体温を上げるようにする。
コクランさんとユウハさんは、この時が初対面だったけれど、挨拶している状況ではないとお互い会釈してその場を済ませていた。
どちらも相手が滞在客だと察しがついたのだろう。
「こりゃひでぇ……辛いだろうに」
身長からしてトペくんと近い年頃の子どもだからだろうか。ヨッサンさんは苦しそうに身を震わせる子どもの姿に胸を痛めた様子だった。
助けてと言って意識を手放してしまったこの子は、一体なにを伝えようとしていたのだろう。
……何か、何かを言いかけていたのに。
「コクラン。この子どもは、すぐそこの森の道で倒れてたって言ってたね」
「ああ、そうだ」
「そっか。なら、お嬢さんは何か心当たりない?」
建物に繋がる森の道を通る人というのはかなり限られていた。
それは、おもに月の宿を目的とした者の場合か、採集目的で森に入った者が偶然に道へ出る場合である。
だが、この子が採集者とは考えにくい。服装からしてそのような格好ではないからだ。
ならばと可能性としてキーさんが挙げたのが、店主との繋がりだった。
「心当たりと、言われましても……」
高熱にうなされるうさぎの耳を持った少女を、私はまた確認する。
…………やっぱり、似てる。昼間に街で商人とトラブルを起こしていた兎の亜人の少年に。毛色とか、髪のくせっ毛具合とか。ぶっちゃけ顔立ちもそっくりなのだ。
それに体を覆っていたあのボロボロな布は、露天商時に魔術薬を買っていった子と同じだった。世間は狭いというか、重なり過ぎてちょっと怖いくらいなんだけど。
トペくんも気づいているのかわからないが、ソファの端に座り込んで心配そうな眼差しをその子に向けている。
いつの間にかトペくんの両隣りには、グランとコンがいた。どちらとも前足をソファに引っかけて覗き込むように少女の様子を窺っていた。
吐き気や嘔吐は今のところないみたいだから、標準の熱病に効く魔術薬で大丈夫そうだけど。
……残っていたっけ。いや、多分ない。
熱病を治す魔術薬は、この間の露天ですべて売り払った。その後は傷中心に治す魔術薬の調合ばかりしていたし、何しろ天気の影響で材料も揃わなかったのだ。断じて言い訳じゃない。
ああ、こんな時に、私って使えない!
「とりあえず、これを飲ませたほうがいいかな」
そう言ってキーさんが取り出したのは、透けた緑青色の液体が入る小瓶だった。
「それは、熱病の魔術薬ですか?」
「そう。亜人には効果が薄いかもしれないけど、何も無いよりはね」
「あ、あの、少し見せていただけますか?」
「……。いいよ。はい、どうぞ」
ほんのり目を見開くものの、キーさんは小瓶を差し出してくれた。
そうして手渡された小瓶を、私は上から透かして覗き込んだ。
濃度は……可も不可もなく、まあまあ。けれど、私が調合して作ったものよりもドロっとしていて粘り気が強く、感触はきっと液体粘土に近い。
確かに微力ながら魔力が込められてはいる。けれど、これは到底、体力の回復を促す代物ではないと思う。風邪の前兆を感じたときに飲んで、症状を抑えられるくらいの効果……といったところかもしれない。
感覚でものを言っているので偉そうにはできないけれど、熱病系の魔術薬は慣れてきたつもりだ。とりあえず、この魔術薬は中の下ほどの出来前という感じだった。
……あれ、私って今、すごく生意気なうえに失礼この上ないこと思ってるのかな。べつにこれを作った魔術使いの人を貶しているつもりは毛頭ないんだよ。なんなら私だって村でこっそり調合の練習をしていた頃は、師匠にボロカス言われて半泣きしていたし。
ただ、要はやり方の問題なのではと疑問に思っただけで。
「……ちなみに、これはどちらで買ったものなんですか?」
「買ってはいないかな? ぼくは基本、魔術薬は使わないからねぇ。旅の途中にすれ違った盗賊…………商人が、くれるって言うから貰っておいただけ。なんでも、優秀だったっていう、元王宮薬師見習いが調合した物だから質は良いほうだって」
「へ、へぇ。なるほど、そうなんですね」
ねえ、キーさん。いま盗賊って言いかけていなかった? 気のせいなの? 気のせいにしていいの!?
「なにかな」
「いいえ、なんでもありません」
無意識のうちにキーさんを凝視していた私は、咄嗟に小瓶へ視線を戻した。
えーと。元王宮薬師見習いっていうと、力量はどれくらいなんだろう?
元でも見習いでも、一時は王宮に勤めていたってことだから世間でもきっと優秀な人材なんだと思うんだけど。
「その……元見習いの方は、今は何をしているんでしょう。やっぱり、個人で魔術薬の販売店を営んでいるとかですか?」
魔術薬の調合に力を入れる魔術使いは、貴族、王族のお抱え薬師になるほか、自分で店を開いている場合も多い。魔術使い本人が営む店の価格は、仕入れを基本として売る露天の倍の値段をするという。
「ああ、確かそんな事も言っていたかな。よくわからないけど」
「そうですか……」
魔術使いが開いている販売店というのは敷居が高い傾向にある。どちらかというと貴族やお金に余裕のある人が訪れるため、平民が魔術薬を使う場合、露天で購入するのが一般的となっていた。
ただ、これが魔術使いが作った魔術薬だと考えると……ううん、なんとも言えない。
「娘さん、どうしたんですかい?」
「あ、いえ……魔術使いの方が調合した魔術薬って貴重なので、どんな感じなのかと」
「へえ、そう」
目を細め薄ら笑いを浮かべるキーさんは、私の行動をひとつひとつ隈無く観察しているように見えた。
「すみません。脱線してしまって」
今はそれどころじゃない。私が今から調合するのでは時間が経ちすぎるし、ここはこの魔術薬に頼ったほうが――。
「おにぃ……ちゃん。う、おにいちゃんっ……」
キーさんに小瓶を返したところで、うなされていた少女が勢いよく飛び起きた。
『起きた! 起きたよコクラン』
『だいじょうぶ〜?』
グランとコンが尻尾を左右に動かし、「ガウガウ!」「キュンキュン!」と鳴き声をあげた。
「はぁ……はぁ……」
肩を上下させながら、少女はぼうっと視線を宙に彷徨わせた。
潤んだ赤い眼には、うっすら涙の膜が張っている。くるくると癖の強い髪と、影が落ちるほどの長いまつ毛。熱のせいで染まった頬が相まって、少女はフランス人形のような容姿をしている。
「起きたんだね、大丈――ぐえっ」
「たすけてっ、お願いします! おにいちゃんをたすけてっ……」
少女は朦朧とした意識のなか、私の衣服の襟を強く引っ張った。
弱っているとは思えない力に、倒れ込みそうになるところをぐっと堪える。
「どうしたの、落ち着いて!」
ぐらぐらと体を揺さぶられながらも、私は少女の肩に手を置いた。
「おにいちゃんが……も、り、奥に、入って……」
「え……?」
「けほっ、あぶない魔獣がいるって、街の人言ってたのに」
危ない魔獣……バードックスのことだろうか。もしかしたら森に入った冒険者が、遠目からその姿を目撃したのかもしれない。
「シュカのお薬の葉っぱ、取りに行っちゃった……森に入っちゃったぁ……」
えぐえぐと、ついにはしゃくりあげ泣き始めた少女に、その場にいた全員の顔色が変わった。
――森に、入った?
ありがとうございました。




