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25. お誘い



 ロビーの床拭きを終えたところで、まだ眠たげな様子のトペくんが階段を下りてきた。


「トペくん、おはよう。よく眠れた?」

「……うん」


 くしくしと重い瞼を擦りながら、トペくんは小さな足どりで私のもとへ歩いてくる。

 

「おねえちゃん、おはよう」


 律儀に近寄ってきて挨拶するあたり、しっかりした子だなあと感心した。


「あれ? ボタン掛け違えてるよ」

「……? わ、わわ」


 一つ違いに止められたボタン。ようやく目も覚めてきたトペくんが慌てて直そうとするが、指先がうまく動かないようだった。

 寝起きで感覚が鈍くなっているのもあると思うが、こんなにもふもふと柔らかそうなおててをしていては細かい作業も難しそう。成長するにつれて慣れていくんだろうか。

 私は手を拭ったあとにしゃがんで直してあげると、トペくんは照れながら「へへ、ありがとうおねえちゃん」

とお礼を言ってきた。カーーッ! かわいい!

 へへって笑い方がヨッサンさんとそっくりで堪らない。


「お父さんね、朝早くにお仕事があるって出掛けたの。帰りは夕方頃になるって言ってたんだけど」

「うん」


 商談時、トペくんは宿屋でお留守番らしい。トペくんも慣れているのか、すんなりと頷いた。


「おねえちゃん、なにしてたの?」

「お掃除してたんだよ。いま終わったばかりだから……」


 買い出しに行こうと思っていたが、トペくんは部屋に戻るのだろうか。

 師匠がいるので安全だとは思うけれど。そういえばどこに行ったんだ。朝の散歩からかなり時間は経ったというのに。


「トペくん、お腹空かない?」

「……ちょっと」


 これはたぶんかなり空いている。


「野苺の砂糖漬けを作ったから、もしよかったら食べてみて」

「野苺……! すきだから嬉しい」


 トペくんはほくほくとした輝いた顔で頷く。また良いものを見てしまった。


 さっそく食堂に移動する。

 野苺をグラスに並べ入れ、少し見た目が寂しいのでヨーグルトとシロップ、ミントを飾ってトペくんに手渡す。


「ちょっとここで食べててね。私は桶の水を外に捨ててくるから」

「はーい」


 グラスに夢中なトペくんは、空返事気味にスプーンを握りしめている。

 私に慣れてきたからなのか、気を許した子どもらしい返答が嬉しかった。


 そんなトペくんに見送られ、私は外へと出る。

 ロビー清掃で汚れた水を捨て、小声で「師匠、いる?」と呟いた。


「なんだ」


 数秒もしないうちに、師匠が建物の屋根の上から華麗に飛び降り、私の足元に着地した。


「ああ、いた。どこに行ってたの?」

「少し森をな、見回っておったんだ」


 師匠は歯切れ悪く、もう一度森の方角に視線を向ける。


「どうやら、バードックスに子が産まれたようじゃ。住処にしていたのは気づいておったが、身ごもっていたとはなあ」

「バードックス……」


 犬が大きくなって翼が生えたような生き物。フェンリルに似た姿をしているけれど、耳の尖り具合、毛並みなどが違ってくる、この世界で初めて耳にした種族だった。

 警戒心が強く、お腹に子を宿すと群れを離れ番と共に行動し、標高の高い山脈などを住処にする場合が多いはずなんだけど。


「母は狩りに、子守りは父親の役目だが、あの様子では産まれてそれほど経っていないだろう。随分と気が立っておったからのう――問題なければ良いが」

「そうだね。それとなく宿泊客の人にも言っておくよ。それで――」

「あれ、こんな所で何してるの? わ、この子、黒猫ちゃん? かーわいいー!」

「ユウハさん!?」


 買い出しに行こうと思うので、トペくんを気にかけてて欲しい。そう頼もうとしたところで、後ろからユウハさんがひょっこり現れた。


「きみいいねぇ。毛が艶々で柔らかいねぇ。しっかり手入れして貰ってるんだねぇ」

「グルル」


 師匠を撫でまくるユウハさん。満更でもない様子の師匠は気持ち良さそう喉を鳴らしている。

 存分に師匠を弄んだユウハさんは、ふとこちらに目を向けた。


「そういえば、ごめんねルナンさん。今日の朝食に顔出せなくて」

「それは大丈夫ですよ。料金も頂いていますし、都合で食べられないお客様も案外多くいますから」

 

 今世ではあまりないけど、ビュッフェ形式のホテルとかだと、わりと食べないお客さんも多い。手付かずのままなら従業員の賄いとして出せるので食べても食べなくても結果オーライだった。


「本当は食べるつもりだったんだけどね……昨日の夜にちょっと調子に乗って食べすぎちゃってね……今朝は苦しくて動けなかったの」


 自分のお腹をさすりながら、ユウハさんはどこか遠い目をしている。「やっぱり最後のケーキ屋さん七軒はしごがいけなかったのかな」なんて言ってるのには驚いた。いったいどんな食い倒れ旅をしてきたのだろう。


「だ、大丈夫ですか? 整腸作用がある魔術薬ならこの間買い置きしたのでありますけど……」


 というのは建前で、私が調合した作りたてほやほやの魔女薬である。


「いいよいいよ! こんな食べ過ぎで使ったら勿体ないもん! それにもう治ってるんだ〜。またこれから街で腹ごしらえしようと思って」

「そうだったんですか」

「前に来たときより冒険者街も新しいお店が沢山増えたからね〜。滞在中に気になるところは制覇しなくちゃっ」


 ある意味、使命感に燃えているユウハさんに、とりあえず魔術薬は用意しておきますね、と心の中で伝えた。

 ユウハさんの格好を見ると、すでに身支度を整えている。このまま直で冒険者街に向かうみたいだった。


「ルナンさんはこれからどうするの?」

「今日の掃除は終わったので、買い出しに行こうと思ってるんですけど……」


 ちらりと下にいる師匠を見る。それだけで通じたのか、「わかった」と首を縦に動かしていた。


「そっか〜、じゃあ向かう場所は同じだね。……あ、そうだ!」


 ユウハさんが思いついた様子で両手をぱちんと合わせる。


「それならルナンさん、よかったら一緒に行かない?」

「――え?」



 ***



「トペちゃーん。早くおいで〜」


 ユウハさんが私の背後に隠れているトペくんに声をかけている。

 トペくんは初めこそ引っ込み思案な様子だったけれど、次第にそれも打ち解け、


「う、うんっ」

「トペくん、待って待ってっ」

 

 転ぶ転ぶ! 私が!

 私の服を掴んではいるものの、元気よく走り出していた。


 私とトペくん、そしてユウハさんは、なぜか一緒に冒険者街へと訪れていた。




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