24. 朝食風景
翌日。朝食の準備に取りかかっていると、背中を縮めたヨッサンさんが現れて早々、私に頭を下げてきた。
「いやすいやせん……正直ぼんやりとしか覚えていねぇんだが、迷惑をかけちまってたみたいで……」
唐突な謝罪だけれど、昨晩のことを言っているのだろう。
私は手に持っていた皿をテーブルに置いて、ヨッサンさんに向き直る。朝食のおかずは、半熟焼きスクランブルエッグと、こんがり焼き目のついたベーコンに、アスパラもどきを巻いたベーコンアスパラ。作りたてでいい匂い。
「気にしないでください。私の方こそアルコールが入っていたとは把握していなかったもので」
あとで確認したところ、ミックスジュースには本当に少量のアルコールが入っていた。子どもが飲んでも害のない程度なのだが、それほどヨッサンさんは弱いのだろう。
「トペくんも言ってましたよ。お酒に弱いんだって」
「いやあ、へへ……お恥ずかしい」
あ、その笑い方。昨夜のトペくんとそっくりだ。やっぱり親子なんだなぁと内心和んだところで、ふと気がついた。
「そういえば、トペくんは……?」
食堂に来たのはヨッサンさん一人だけ。トペくんの姿はなかった。
「それが……トペのやつ、珍しく昨日は夜ふかししてたらしくて、まだぐっすりなんですわ」
「そうなんですか。まあこの時間帯は、お子様だとちょっと眠たいかもしれませんね」
まさか昨日のブーンが? 空中ブーンの興奮が収まらなかったのかトペくん。部屋の扉の前まで大はしゃぎだったもんね。
昨夜、ヨッサンさんをベッドに慎重に寝かせたあと、私はトペくんがヨッサンさんの顔を水で濡らした布で拭いたところまで見届け、部屋を出て行った。
トペくんは、皿のソースがべっとりと付着しているヨッサンさんの顔を一生懸命に拭いていた。顔面毛だらけで絡まって大変だったろうに、手馴れていた気がする。存外ヨッサンさんのアルコール寝落ちの前科は多いのかもしれない。
「というわけで、まだ寝かせてやりたいんで、朝食はあっしだけでいいですかい?」
時刻は七時前。朝食準備はもうほとんど終わっていた。
謝罪のために少し早めに食堂へ来たヨッサンさんだが、これぐらいの時間差ならば朝食を出しても問題はないだろう。
「はい、分かりました。お席はあちらになります。すぐに飲み物とスープをお出ししますね」
今朝のスープメニューはコーンスープ。沸騰させないよう弱火で掛けていたものに、一度お湯でさっと温めた取っ手付きの底が深い器にとろりと注いで、仕上げに刻んだパセリで色味を加え完成。
冷めないうちにテーブルへと運ぶと、ヨッサンさんはテラスの窓から射し込む朝日で日向ぼっこを楽しんでいた。
「いやぁ、日当たりが抜群に良いんでつい眠くなっちまうなぁ。森の中だと周りが鬱蒼として暗いのが当たり前だと思ってたんですが、ここはいいですねぇ」
「ちょうど窓際に向かって当たるよう、調整して剪定してみたんです」
「娘さんが!? はあー……昨日から度々思ってやしたが、一人でなんでもしちまうんだなぁ」
「まだ人を多く雇う余裕はないので、上手くはないですが自力でできる範囲はやっているんです。一つ一つの作業も、熱中すると案外楽しくて」
「ははぁ……それなら宿屋は娘さんにとって天職かもしれねぇなぁ」
「ふふふ、そう言って頂けるなんて嬉しいです。ありがとうございます」
軽く返答しているけれど、私にとってそれは最高の褒め言葉だった。
会話を挟みつつ、穏やかに流れる朝の時間というのは実に心地が良い。
霧がだんだんと薄らぎ、目覚めたばかりの形容しがたい神聖な森の空気とか。草むらや木立の姿が朝日を含んで鮮やかに浮き上がる眺めとか。まさに「新しい朝が来た〜希望の朝だ〜」のメロディが頭を流れてきそうな清々しい気分になる。
「……先客か?」
『ルナンおはよ〜。…………あれ、クマがいる。クマの獣人』
七時きっかり、コクランさんとグランが食堂に入ってくる。
寝ぼけ眼から一変して興味津々にヨッサンさんへ駆け寄るグランは、大きな足のにおいをくんくんと嗅いでいた。
「おお? これはこれは契約獣ですかい。それもこんな立派な獅子は珍しいなぁ」
ヨッサンさんはグランの頬に指を近づけ、挨拶程度にちょいちょいと突っついた。ゆったりとこちらに来るコクランさんは私に「作り置きありがとう」とお礼を言って、ヨッサンさんと対面した。
「亜人のお客さんも泊まってたんですねぇ。あっしは旅商人をしとります、ヨッサンといいます」
「……コクランだ。よろしく頼む」
『グランだよ。よろしくヨッサン』
「ああ、こっちは契約獣のグランだ」
本当のところ少し気になっていたんだけど、亜人と獣人の初対面のフットワークって意外に軽いもんなんだな。
あのコクランさんも見たかぎりでは普通に挨拶しているし、やっぱり人間と獣人だと気の許し方が違うのだろう。少し寂しいというのが本音だがしょうがない。
ともあれ、お客さん同士の雰囲気が悪くならなくてよかった。コクランさんもヨッサンさんも常識のある親切な宿泊客だが、冒険者同士だとどうしても喧嘩などの騒動を回避しきれないっていう冒険者街の宿屋の話は耳にしている。
こうして交流を深めたりすることも、少なくはないんだっけ。
地球では他のお客さん同士で挨拶するのは稀なので新鮮に感じるけれど、アースだと珍しいことでもないらしい。
『ルナンー! オレお腹すいた。昨日のパラードのお菓子ある?』
ヨッサンさんと挨拶を終えたグランは、私の足元をぴょんぴょんと飛び始めた。
パラードタルトもお気に召してくれたようだけれど、残念ながらタルト生地は昨日すべて消費してしまった。
「店主。グランが昨日のパラードの菓子は残っていないかと訊いているんだが……」
「すみません。タルトはもうないんですが、今日は別のデザートを用意したんです。……グラン、それでもいいかな?」
『オレ、ルナンの作るものならなんでも好き! ごはんごはん!』
本当にグランは褒め上手だね。そう言われると私、調子に乗って色々作ってあげたくなっちゃうから! パイ生地大量生産してしまいそうだから本当に。
「……その、グランは本当に店主の料理が気に入ってるようだ」
そんなグランの嬉しい言葉を一言一句訳すのは恥ずかしくて気が引けたのが、コクランさんは簡潔にまとめて教えてくれた。
「がははは。確かに、娘さんの飯は最高に美味いなぁ!」
『うんうん。うまいうまーい』
ヨッサンさんが二度三度と続けて頷き、グランに同意していた。
料理に関してそんなに褒めて頂けるのは私としても本当に光栄なんですけどね。……皆さん、そんなにおだてても何も返せませんよ。ええと、今はこれくらいしかないな。
「あの、よかったら野苺の砂糖漬けも食べてください」
『オレ食べたい』
嬉しくてついカウンターから取り出した野苺砂糖漬けの香りに反応したグランは、いち早く吠えて尻尾をフル回転させていた。
本日の朝食に顔を出したのは、この二人と一匹だけ。
キーさんは昨日からずっと出掛けたきりで、部屋を空けているようだ。
そのほかに部屋で休んでいたユウハさんとトペくんが顔を出したのは、すっかり日も高くあがった昼時だった。




