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23. 子グマの笑顔



 ――午後、七時過ぎ。


 夕食の準備は滞りなく終えていた。

 本日のメニューは、牛肉の背の中央からももの部位を使い香料を加え焼いた、サーロインステーキ。

 レリーレイク南西側を流れる大河に生息する、艶やかな桃色の鱗と、真黒の眼を持つ紅黒魚(こうこくぎょ)に何種類かの野菜を煮込み添えた、紅黒魚ラタトゥイユ添え。

 さっぱりとした味付けと、香り付けの葉野菜を入れたオニオンスープ。それと前菜にピクルスの盛り合わせと、デザートは余っていたパラードのパイ焼き。


 ……と、前世のペンションで料理長に作ってもらっていた完璧フルコースまでとはいかないが、なかなかの出来栄えとなった。


「おお、ここみたいだぞ。トペ」

「……うん」


 七時半となり、ヨッサンさんとトペくんが食堂に姿を現した。

 昼間は浴場の使用にとても戸惑っていた様子だったが、砂埃を被っていた毛は綺麗さっぱりとしている。部屋でもゆっくりくつろいでくれていたようで安心だ。


「こんばんは。お席はそちらの、同じ部屋番号の札が置いてあるテーブルにお掛けください」


 指定した席の前に移動したヨッサンさんは、テーブルの上の料理を見ると目をひん剥いて驚愕した。


「こんな、こんなに立派なご馳走、いいんですかい!?」

「はい、もちろん」

「……わあ」


 トペくんまでもが思わず声を漏らしている。

 だが、その瞳は明るく輝いており、少なくとも感激しているのは見て取れた。


 この世界における宿屋料理、または酒場料理というのは、セットでも多くて二品から三品程度だが、ほとんどの客は単品で頼むという型式が当たり前となっているので、このように多くの料理が並ぶというのは珍しく、ほぼ無いことだった。

 料理が足りなければその都度追加で頼む。つまりは居酒屋と同じ感じだ。


 郷に入っては郷に従え、とは言わないけれど。私もそうしたほうがいいのかと思案したときもあった。

 しかし、やはりそれでは品数も限られるし、負担がかかると判断しやめにした。

 けれど結果的にそれは成功だったようだ。

 目新しさやコストの問題もあるが、驚きながらも感銘を受けた顔を間近で見られるのが嬉しい。変な例えだけれど、いたずらに成功した子どもの気分に似ている。


「お飲み物はどうしますか?」

「ん、んん……? うーん……」

「……」


 ちょこんと席に座るクマの親子。

 ヨッサンさんに関しては少し席が小さいような気がする。一応、大人数用のテーブルをひとつ持ってきて用意したのだけれど。

 窮屈そうではないが、こうして見るとやはり体の大きさが目立ってしまう。椅子からお尻がはみ出ているけど、長椅子にしたのでゆとりはありそうだ。


 飲み物のお品書きを前に、ヨッサンさんもトペくんも小首をかしげている。

 このような型式に戸惑っているみたいだった。なんというか、皿の上のものが貴族の食す盛り付けに似ているんだとか。そりゃ前世に倣ってフルコース風にしているからそうなるのかもしれないけれど。がつがつ食べてもらえるように美しさや繊細さよりも、量重視で多めにしている。


 私の腕前では洒落た料理にも限界があるし、どちらかというと従業員の賄いを当番制で作っていた手前大衆食堂系の料理が得意だったな。


「これ、桃の……」


 もじもじとトペくんが飲み物メニューを指さす。桃のすりおろしジュースだった。

 その流れでヨッサンさんがトペくんを真似してメニューを指さした。選ばれたのはミックスジュース。なにこの親子かわいい。


「飲み物のご注文は二回まで無料です。というより、これは先に頂いた代金の分ですね。それ以上の追加注文の場合は、品書きにある料金を頂きます」


 飲み物のメニューにはそれぞれ値段が書かれている。注いだジュースに口をつけながら、二人はこくりと頷いていた。


 喉を潤して緊張もほぐれてきたのか、親子は思い思いに食事に手をつけ始めた。


「こりゃうまい! なあ、トペ」

「……!」


 トペくんは返事の代わりに頭を大きく縦に振っていた。ぎこちなく切り分けた肉を、トペくんはこれでもかと詰め込んでいる。

 案の定喉に引っかかって咳が止まらなくなっていた。


「けほっ、こほっ」

「トペくん、水だよ。水飲んで!」


 私が慌ててコップを差し出すと、トペくんは両の手でそれを包み込むように握った。


「……ありがと、おねえちゃん。へへ」


 こくん、と水を飲み込んだトペくんは、ほんのり照れた笑いを浮かべた。

 恥じらった笑顔に胸がきゅんと高鳴る。

 そして、なぜかヨッサンさんはド肝を抜かれた顔をしていた。


「うまい、本当にうまい……うまい」


 二人が食べ進めることしばし、次第にヨッサンさんの目の動きがふわふわと落ち着きなくなっていることに気づいた。

 ……あれ、どうしたんだろう?


「……にしても……あんたは本当に獣人のあっしらにも親切だな。正直、入ったときは後悔してたんですがね」


 ヨッサンさんがふと思い返すように語り出す。


こいつ(トペ)といろんな所を旅して来たけどなぁ、当たり前だが楽しいことばかりじゃない」

「父ちゃん」


 話しながらゆらゆらと左右に揺れだしたヨッサンさんを見て、トペくんがハッと声をかけた。


「トペには悪いと思ってるんだけどなぁ……あっしの都合で土地を転々として……寂しい思いも……」

「ヨッサンさん?」


 だんだんと途切れていく言葉。

 様子の急変に、私は横からヨッサンさんの顔を覗き込もうと膝を折った――途端に彼の大きな上半身は前へ勢い良く崩れていった。

 

 ガシャーン! と空っぽになった皿に顔がダイブする。

 せっかく浴場で湯も浴びたというのに、料理のソースやら何やらがくっ付いてベトベトになってしまっていた。


「え……え?」


 突然のことに、私は開いた口が塞がらなかった。

 ひょいっと椅子から降りて寝息をかいているヨッサンさんのそばに近寄ったトペくんが、ぽつりと言う。


「父ちゃん、酔ってる。もう寝ちゃった」

「え!?」


 酔わせてしまうものなんてあった?

 料理に使ったお酒はアルコールも飛ばしたし、それ以外でアルコールが入ったものなんて――あ、あったかも。


「まさか、ミックスジュースで……?」

「父ちゃん、お酒すごく弱いの」


 しかしアルコールなんて入っていただろうか。でも、この様子はまさに酔っ払いのそれであった。

 トペくんが何度か揺すっても起きる気配がなく、幸せそうな顔で寝言をこぼすばかり。


 そうしている間に時刻は八時に差し掛かる。

 このまま起きるのを待っていたら遅くなってしまう。私は他にやることがあるから構わないけれど、それでは付き合わされているトペくんが不憫だ。


 ……運んだほうがいいかも。

 

 ユウハさんは夕方ごろに出かけて行ったが、まだ帰ってきていない。キーさんも朝から外出中だし、コクランさんもそうだ。

 夕食付きのコクランさんとグランは、七時半を過ぎた場合、料理は取り置きすることになっていた。いつも時間ぴったりに来てくれるので、実際に取り置きするのは今日が初めてになる。


 館内にいるのは、私と、ヨッサンさんと、トペくん。

 それなら……うん、大丈夫かな。


「トペくん。ちょっとお父さんを部屋に連れて行くね」

「部屋に?」


 どうやって? と、対のビー玉のような瞳が私に訴えていた。

 体格差的に運ぶのは不可能だと思っているのだろう。


「あ、まだデザート食べてなかったんだね。今食べる? それか、部屋に持って行ってあとで食べても大丈夫だよ」

「あとで食べたい」


 そう言ってトペくんはテーブルにある手つかずのデザート皿を二つ取った。自分の分と、お父さんの分。優しい子だな。


「はい、それじゃあ行くよ」


 魔女術の基本中の基本、物体を浮かす術は、物だけでなく人も同様に浮かせられる。

 必要なのは、集中力とコントロール力。そしてあとあと必要になってくるのは単純な慣れであった。


 テーブルに突っ伏していたヨッサンさんの身体が、ふわりと音もなく浮く。

 その光景にトペくんは目を丸めた。


「おねえちゃん、魔術がつかえるの?」

「うん、少しだけね」


 魔女術ではなく、魔術ということにしておこう。

 ふよふよと不安定に宙を浮くヨッサンさんの様子を、トペくんは興奮を噛み締めるように両方の手で拳を作って見守っていた。


 星屑が詰まっていそうな輝きを放つトペくんの瞳を目前に、私はつい尋ねていた。


「……トペくんも、浮いてみる?」

「え……!」

「お父さんのこと、羨ましそうに見てたから」

「……えっと、う、あ」


 なかなか言葉が出てこない。けれど体が前のめりになっているところを見ると答えは明白だった。遠慮が邪魔をして言えないようだ。


「怖くなったら言ってね」

「わあ!」


 人差し指をくいっと円を描くように動かせば、軽々と浮いたトペくんから驚嘆の声があがった。

 そのまま食堂を出て、すいすいとロビーを通る。

 ぐっすり眠っているヨッサンさんの横で、手足をパタパタ鳥のようにさせるトペくんは、何度も「すごい! すごい!」とほころんだ顔を私に向けてきた。

 おとなしい子だと思っていたけど、このはしゃぎっぷりはまさに元気な男の子。


「おねえちゃん! ブーンってできる?」

「ぶーん? こんな感じ?」


 滑らかな曲線を描いて、下から上へ飛ばすと、可愛らしい笑い声がロビーに響き渡った。


「ん、うんん……トペ〜、ちゃんと食べてるか……」


 ヨッサンさんの寝言に、私たちは同時に視線を合わせた。

 そうだ、寝ているんだったと、トペくんは自分の手で口を覆い隠す。


 けれど面白おかしくなったのか、押さえた口からクスクスと小さな笑い声がこぼれてしまっていた。

 


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