22. 元気ハツラツ四組目
ペンションには合わせて三組が滞在中となった。
今のうちに食材を水に浸からせ、夕食の仕込みは昼過ぎから取り掛かろう。
客室の掃除は終わっていたので、一階のロビー、ラウンジ、食堂や浴場へ繋がる通路を綺麗にしていく。床等はモップで磨き、水雑巾で念入りに至る所を拭いていった。
二階にはヨッサンさん親子がいるので、今日のところは手作業で一階の掃除を終わらせ、展望台に落ちている枯葉は南風を装って一つにまとめた。
「……剥げてる」
じっくり見ると本館正面の柱の何本かが、色落ちて木の皮が剥がれてしまっている。
塗料……倉庫にあったかな。
正面だと結構人の目に映ってしまう。格好悪いし、塗り直したい。
素人塗りなので綺麗に仕上げられないかもしれないが、このままにするよりはマシになるだろう。
建物を買い取ったときも、ひどいところは自分で塗り直したので今回もいける気がする。
「塗料は倉庫~塗料塗料~」
今日は新規の宿泊客が二人も入ったからか、私の心は妙に浮き立っていた。
鼻歌交じりの軽い足取りで、中庭へ繋がる柵を開けようとすると、
ピィ――――。
「……?」
透き通る音が聞こえた。
掠める程度の微弱なものだったが、吸い寄せられるように後ろを向く。同時に激しい強風が建物全体に吹き抜けた。
ざあ、と木々が揺れ乱れ、綺麗に染まった深緑の葉がはらりと散っては地面に降りる。
足裏が一度浮き上がったけれど、踏ん張ってなんとか持ちこたえた。
「なに……?」
目の前が自分の髪で真っ暗になる。前髪をかき分けると、霞んだ視界の向こう側に少女が見えた。
幻……ではないみたい。
実体のある女の子は、にっこりと笑みを浮かべていた。
明るい橙色の髪は果物のオレンジのように艶やかで、ガラス玉みたいに大きな瞳は翡翠色に染まっている。
この辺りではまず見ないデザインの装いと、独特な空気感。
まさしく美少女……紛うことなき美がいくつも付いている愛らしい女の子だった。
「あ、どうもどうも。こんにちはっ」
容姿のせいか近寄りがたい印象を受けつつも、にぱあっと人懐っこい笑顔は表情によって幼くも感じる。
荷物は横掛けカバンが一つ。ちょっと街へお出かけ風の軽装だけれど、旅人には必需品の短めのローブを羽織っていた。
「こんにちは。ようこそお越しくださいました」
「ここ、宿屋だよね? 前はなかったからびっくりした! それにすっごい可愛いんだもん!」
女の子は目を存分に輝かせ、周囲をキョロキョロと興奮気味に見回している。
さきほど吹き上げた突風はすっかり静まっていた。
体が浮き上がるほどの風圧なんて普通じゃない。この人が現れたタイミングで風が起きていたけれど。
「あなたは宿の人なんだよね。お部屋って一つ空いてるかな」
「店主のルナンといいます。一名様のご宿泊でよろしいでしょうか?」
「うん、それでお願いします」
そうとなれば諸々の説明と、チェックインをしなければならない。
ペンション内のカウンターへの移動をお願いすると、女の子は快く頷いてくれた。
開けたまま放置していた中庭へ入る柵を元に戻し、正面玄関前の階段をあがる。
突風で散ってしまった緑の葉っぱが、入口の扉にもへばりついていた。
「さっきの風、強かったですね。大丈夫でしたか?」
「あはは、大丈夫大丈夫、よくあるもん」
「よくあるんですか?」
人が飛ばされそうになる風って、よくあることだっただろうか。
無意識にじっとその可憐な顔を見つめていれば、彼女は慌てた様子で斜めうえに目をそらした。
「あ。……うん、そうなのー。風の流れが激しい場所をよく移動したりしてるから……旅してる土地柄上なのかも……? ん?」
疑問げに首をかしげられる。私にそう言われてもいまいちわからないけれど、あの風はこの子の影響が少なからずあるのかもしれない。
知ったような口ぶりと、不自然にとがらせた唇。誤魔化した表情の動きをしている。
もしかして魔術とか……?
気になるけれど、根掘り葉掘り訊いてしまうのも失礼だし。旅人というのは、何かしら秘密を抱えているものなのだろうか。
そりゃあ、生きていれば一つや二つあるか。私も魔女だということを公には隠している立場なのだから。
よって女の子を中へ案内しながら、適度な世間話へと切り替える。
「大陸によって気候ががらりと変わりますからね。そう考えると、この島は過ごしやすいかもしれません」
中央大陸に位置しているレリーレイクは、季節を司る妖精のおかげもあり、一年を通して様々な気候を感じることができる。
私は二ヶ月ほどしか住んでいないが、どうやら春と秋の期間が他より長めらしい。
今は夏の期間。梅雨に差し掛かったころで、6月上旬くらいになる。
最近天候が思わしくないのはその影響だろう。
「わあ、雰囲気ある~。すごい! かわいい!」
ロビーに入ると、女の子の気分の盛り上がりがさらにあがっていた。
そういえば、女性の宿泊客はこの人が初めてだ。
建物の些細なデザインも、素直に感想で言ってくれるのはこっちとしてもやりがいがあって嬉しい。
「それでは、簡単なご説明から――」
ほかの滞在客と同じような説明をしつつ、それぞれ選択別の料金が書かれた表を提示すると、女の子はふんふんと頷いていた。
「先に食べるかどうか決めておくんだ。こういうの初めてだから新鮮だねっ。う~ん、とりあえず朝食付きのこれで」
「はい、かしこまりました。それと……お手数ですがこちらに氏名のご記入をお願いします。家名等の記入は強制ではないので、どちらでも構いません」
「は~い。こんな感じかなっ」
記入の確認をする。
名前はユウハさん。家名等はなく、名前のみ書かれていた。
滞在日数はまだ決まっていないらしい。多めになんと七日分の料金を頂戴したが、延長の場合追加で払い、予定より早く出ることになった場合は先に支払った余分の料金はあげると言われた。
返金しますと言ってみても、「いいのいいの、迷惑料だと思って」と拒まれる。
……ちょっと待って迷惑料?
「あは、冗談だよ。でも本当にいいの」
怪訝そうな顔でもしていたのか、ユウハさんはけたけた笑いながら迷惑料のところを否定していた。
しかし余分金はやっぱり受け取る気がないらしい。
とどまる日数が曖昧なので今はどうしようもない。延長するかもしれないし、本当に滞在予定日より早く発つなら、その時にならないと余分金の計算もできない。
……仕方ない、宿泊表欄にメモだけしておこう。
延長、または早めにチェックアウトかもしれないと書き込む。
そしてカウンター横に掛かっている三階の鍵を手にして、ユウハさんを客室へ案内する。
「緑に囲まれてるからかな、空気が涼しい~」
三階へあがると、ユウハさんは開いていた窓の枠に手を置いて外の景色を眺めていた。
流れてくる風が橙色の髪をふんわりと撫でて、気持ち良さそうだ。
それにしても本当に可愛いなあ、ユウハさん。目がくりっくりだよ。まつ毛も長い。
「森に囲まれているおかげか、三階でも熱がこもりにくくて気温も上がらないんですよ」
「そっかあ。だからかな、初めてなのにすごく居心地がいいの」
お客様からの居心地がいいは、なによりの褒め言葉だった。
ユウハさんの素直な態度は本当にそう思っているのが直で伝わってくるので、つい顔がほころんでしまう。
「気に入っていただけたようで良かったです。お部屋はこちらでございます」
三階にあがってすぐ左は、一人掛けソファが三つと、丸テーブルが置かれた小さな休憩スペース。その横を通った角の客室がユウハさんの部屋となる。
扉を開けると、ユウハさんはまたキラキラと瞳を輝かせ、部屋の中へ駆けていきそうな勢いだった。
けれど、ふと思い出したように彼女はこちらを向いた。
「いけないいけない。忘れてた!」
「……?」
「今日からお世話になります。よろしくお願いします!」
「こちらこそ、当宿にお越しくださいましてありがとうございます。どうぞゆっくりと、旅の疲れを癒していってくださいね」
どうやら挨拶をしっかり言いたかったらしい。
言えて満足したのか、ユウハさんはまた嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「それでは、失礼いたします」
私が長居しては元も子もないので、タイミングを見計らいそっと頭を下げ、扉を閉める。
途端に壁を隔てた向こう側で、溌剌とした声が聞こえてきた。
「――やったあ、十日ぶりの寝床だぁ~!」
ぼふん、と効果音が廊下まで響く。
「……十日」
冒険者の人だとちゃんとした寝床で休めないことも多そうだ。
……って、あまり盗み聞きはよくない。いや、ほぼ聞こえてきただけだけど。
ともあれ、新しくユウハさんの滞在が決まり、お客様はこれで四組目となった。




