21. クマ商人親子
食堂の片付けと自分の朝食を摂り終えた私は、本館の客室の一斉掃除に取り掛かった。
コクランさんペアとキーさんペアが出かけている今のうちにやれる箇所を一つ一つ潰していく。
「く、ぬおお……」
この風や浄化の混合術は細かい作業の部類に入っている。魔力というよりも気力を使うので、集中しすぎると女にあるまじき声が出てしまっていた。
誰も見ていないからいいよね。
ベッドメイキングは手作業で行うけれど、床掃除や、ごみ、細かい埃などは一気にかき集めるのが時間短縮になる。
カビに花粉、見えない汚れも一箇所に集まってくれるし、一部屋の掃除時間が大幅に減るからやめられない。
それでも部屋数がそれなりにある本館では、優秀で働き者の彼らが活躍してくれていた。
二階の掃除が一通り終了し、部屋数が少ない三階へ上がった私の視界に広がるのは、掃除道具――が、勝手に動いて部屋掃除に勤しんでいる光景だった。
箒、布雑巾、塵取り、ハタキ、バケツ……その他諸々、掃除道具入れに収納してある道具たちがそれぞれの役割りを理解して動いている。
魔女術の一つ『傀儡の術』。
傀儡と言っては聞こえが悪いが、掃除道具がわっせわっせと部屋を綺麗にしようとしている様子は見ていて可愛らしい。元々操る対象は生き物らしいが、私は上手いこと道具に意思を持たせて掃除をさせていた。
「みんな、いつもありがとう。お疲れさま!」
役割を果たした彼らは、それぞれ敬礼じみたポーズをした後、掃除道具入れへと帰っていった。
傀儡の術は人形を用いて村にいた頃から練習していた。意思を呼び起こすには魔女の血が必須の珍しい術だった。
取り替えたシーツ類を水場に持っていき、風を起こして小さな竜巻を発生させる。
樹木に咲く花を絞って保存した洗濯剤兼柔軟剤を加え、さらにぐるぐると回し続けること五分。一度泡を取り除き、仕上げの濯ぎを行った。
「日が強いなあ、すぐ乾きそう」
日が高いうちに物干し竿へと移し、これで洗濯も終了。……かと思いきや。
「ルナン、これが落ちておったぞ」
「……!?」
師匠がズルズルと地べたを引きずり運んできたのは、枕用のシーツだった。
そういうときは、一枚だけなので手洗いで済ませることに。二度手間なので気分は下がり気味。
……ごしごし、ごしごし。
――リィン。
受付カウンターの呼び鈴が鳴ったのは、落とした枕用シーツを洗い終えたときだった。
今は冒険者街へ出かけているわけではないので、森の入り口に境界線も引いていない。あれは便利だが、誰かが足を踏み入れるたびに頭に響くので、私がペンション内にいる時はカウンターの呼び鈴に頼っていた。
――リィン、リィン。間を空けて、催促した鈴の音が響く。
「はい、ただいま行きます!」
洗ったシーツを物干し竿に引っ掛け、私は急いでエントランスロビーへと走った。
「お待たせいたしました!」
「おんや……もしや、この宿の人ですかい」
「……」
「……あ。は、はい。そうです」
入り口の扉を開けると、そこにいたのは……それは大きい、大きいクマだった。
◆
茶色い毛のクマは人と同じように服を着て、靴を履いて、帽子とリュックも背負っている。かなりの大荷物だ。
見た目はまるっきりクマの二足歩行だが、言葉を話してペコペコと機敏な所作をしているところを見れば、獣人だということがわかる。
「はい、『月の宿』の店主をしております。ルナンと申します」
「これはこれはご丁寧に! あっしはヨッサン。旅商人をしているもんです。こっちは倅のトペっていいます」
大柄クマの背後からちょこんと顔を覗かせたのは、内気そうに体を縮めた子グマだった。親子揃って似たような服を着ており、子グマが羽織る上着は大きさがあっていないのか、肩からずるりと垂れ下がっている。
「こんにちは」
「……うっ」
トペくんは見た目通り内気な子らしい。目を合わせようとしゃがんでみたが、反対方向へと避けられてしまった。
「すいやせんねぇ。どうもこいつは臆病なもんで。気を悪くさせちまったかもしれねぇ」
「ああ、いえいえ。そんなことありません。むしろ驚かせてしまったみたいで、こちらこそ失礼しました」
頭を下げると親子揃ってこちらを凝視している。
もう何となくその理由は察せたので、私は気にせず受付カウンターに入って宿泊予定表を広げた。
「それでは、二名様でのご滞在でよろしいでしょうか?」
「は、はあ。その、あっしらが泊まってもいいんですかい? 森の中にあるんで、まさか人間の娘さんが出てくるとは思ってなかったんですが」
二メートルは優にあるクマが弱腰というのは、なんとも不思議な光景だった。
息子のトペくんは父親の後ろから経緯を見守っている。
「はい、もちろんです。部屋は空いておりますので、どうぞ。森の入り口の看板はご覧になっていただけましたでしょうか?」
「……そりゃあ、へい。もちろん」
亜獣人も宿泊OKという看板の内容を見て来た……という顔をしている。わかり易いクマさんだ。
「では、ご安心ください。看板の通り、しっかりとご案内させていただきます。ご滞在の日数はいかがなさいますか?」
ヨッサンさんは瞳をぱちくりさせながら、私の質問に答えていった。警戒が解け始めたのか、隠れていたトペくんはどんどん前のめりになっている。最終的にはカウンター越しに私の顔を盗み見ていた。
珍種の動物を生まれて初めて見た、そんな様子だった。
クマ商人親子は今日から四日間の滞在予定で、朝食夕食ありで受付は完了した。
館内説明を行い、その後、私は部屋の鍵を手に親子を二階へと案内する。
「びゃあ!」
階段を登っていると、背後から悲鳴があがった。何事かと確かめると、一番後ろをついて歩いていたトペくんが転んでしまっているではないか。
履いているズボンもゆるかったのか、長い裾がつま先に引っかかってしまっている。
……あああ。おでこを! 階段の角にぶつけてる!
絶対に痛いやつ。
「大丈夫!?」
「……うぐ。うん」
初めてトペくんが私の言葉に反応してくれた。
ぐずぐずと立ち上がるのにもたついているので、手を差し伸べると、トペくんはビクリと体を震わせる。
こわごわと私の手を取ったトペくんの手のひらは、ぷにっと気持ちがよかった。獣人でも手は物を掴みやすいように人間よりの形をしているけれど、肉球もあるのだろうか? 爪は思いっきり伸びているのであるのかもしれない。
「怪我はない?」
「……ない」
「そっか、よかった」
「トペー、平気か?」
先に階段を登りきっていたヨッサンさんが、二階の通路からこちらを見下ろしている。この距離感だと迫力が半端ない。
「おいで、お父さんが待ってるよ」
トペくんはとことことズボンを押さえながら私のあとを歩いていた。
……やっぱりこの子の着ている服のサイズが間違っている気がするなぁ。
「転んじまったんか、トペ。早く着るものを買い替えないとなぁ」
「……」
ヨッサンさんは軽々とトペくんを腕に乗せて抱きかかえた。
服が大きいのはわかっているようだ。けれど、トペくんは首を激しく横に振って嫌がっている。そんなに今の服が気に入っているのだろうか。
また顔を伏せてしまったトペくんに、ヨッサンさんは「困ったなあ」と頭を掻いていたが、私が案内を再開すると話を切り上げた。
二階の階段を左側へ曲がり、通路奥をまっすぐ進んだ先の部屋が、親子二人が過ごす客室である。
「二時間後に浴場の清掃に入りますが、それまでは入浴も可能ですので、よろしければ旅の疲れを癒していただければ幸いです」
「湯までいいんですかい!? こりゃ、驚いた……」
「ふふ、はい。何かご不明な点がありましたら遠慮せずおっしゃってください。本日の夕食は夕刻の七時と、七時半からお選びいただけますが、いかがなさいますか?」
「そ、それなら……七時半で……」
圧倒された様子のヨッサンさんは、部屋の扉を開けて中に入ろうとすると、屈むのを忘れ頭を勢いよく強打していた。
……どんだけ動揺しているのだろう。
「お部屋の設備もご自由にお使いください。……それでは、本日はお疲れ様でございます。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
ゆっくりと扉を閉める。
最後まで、ヨッサンさんは驚愕した顔を崩さなかった。
掃除用具が自分で動いて掃除をしてくれる……地味に憧れがありました。




