20. 発展途上
コクランさんとキーさん、それにグランとコンが滞在し始めて二日が過ぎた。
その間に見直したことがいくつかある。
まず、宿料金を後払いから前払いにしたこと。
これは開業当初も考えていたことだが、なんでも冒険者街は泊まり逃げが少なくないらしく、後払いにしている宿は警備がしっかりした宿屋に限られているそうだ。
確かにコクランさんも後払いと聞いたとき、驚いた顔をしていた気がする。女が切り盛りする宿屋というだけで防犯面の不安要素は多いのに、後払いだなんて不用心だと思ったのだとか。
なので泊まり逃げ防止のためにも、前払いに変更することにした。
また、森の入り口にも新しく木の立て看板を設置した。
夜には光の鉱石で文字が見やすいように配慮し、今までの看板よりも大きいものを選んだ。そして料金と受付時間、亜獣人、その他の種族も宿泊可能ということを記してある。
看板に付ける猫の足跡の協力はやっぱり師匠で、キュウリ五本を条件に手伝ってもらった。安い出費である。
とはいえ、改善の余地はまだいくらでも出てくる。一人で一度に出来ることには限りがあるけれど、少しずつでも自分が描くものを形にしていこう。
――朝。
ペンションでの朝食の始まりは、七時か七時半の二選択である。冒険者ゆえ帰りの時間が日をまたいでしまって就寝が遅れた場合、作り置きも可能ということにしてあった。
「……おはよう」
長期滞在客第一号のコクランさんは、安定の黒ローブスタイルで七時きっかりに食堂に顔を出す。今日のグランはお寝坊さんのようで、未だに部屋のクッションで爆睡中らしい。
「おはようございます、コクランさん」
お客様が食堂に現れたタイミングで、飲み物とスープを注ぎ温かいうちにテーブルへと持っていく。
ペンション『月の宿』の朝食メニューは、日替わりパンが三種類と、サラダ、スープに加え、卵料理と肉料理を調理法を変えて提供している。
時にはあっさりめの魚料理も付け加えるけれど、朝は肉料理になることが多い。
卵は値が高く貴重だが、栄養もあり朝のメニューには外せないという私の頑ななポリシーもあって惜しみなく使っていた。
野菜は全部とはいかなくても菜園から採れるので、掛かる費用は抑えられるところで抑えている。
デザートは日によってまちまち。簡単に果物のときもあれば、今日のようにコクランさんから貰ったパラードで作ったタルトなどを出すときも。
……まあ、こういったことを余裕でできるのは、お客さんの人数が少なくて暇があるからこそだけど。
だいたい三十分を過ぎる頃にコクランさんはデザートを食べ終わる。
まだ二日しか経っていないが、彼が甘いものを好むことはリサーチ済みである。
ホットケーキは朝食メニューにないのか? と聞かれたので、近いうちにまた作ることにしよう。
この世界の宿屋というのは、二階が宿、一階が酒場として開放されているところが主だ。
多くの利益を得るために、酒場として営業をすれば宿客以外の冒険者も利用でき、結果収益に繋がるということだった。
このように酒場として営業をせずに宿だけで利益をあげられるのは、冒険者街でも大宿、老舗宿と呼ばれる規模の大きい宿屋だけ。
そのため森の中にあって集客もまばらな『月の宿』が、大宿と同じ体制を取っていることにキーさんは不思議そうにしていた。
……いや、不思議というより、むしろ不審そうだったかもしれない。
けれど従業員が私だけ……百歩譲って師匠を数に入れても少人数過ぎるうちが食堂兼酒場にするのは危ない橋を渡る行為だった。
おそらく潰れる。手が回らなくなって絶対に無理。
ということで、しばらくは現状維持でいいだろうという結論に至った。
そうだなぁ。最低でも日に五組くらい安定して来るようにしないと厳しい。
次街へ行ったときにでも貼り紙を何枚か用意して、人の多い冒険者ギルドの宿案内掲示板に貼ってこよう。
「……そろそろ支度を始めるか。店主、今朝もありがとう」
「いいえ、お粗末さまでした。お気をつけていってらっしゃいませ」
コクランさんは食事のたびに礼を言ってくる。律儀な男の人である。
「ああ……コクランだ。また今日も早いねえ」
朝食を終えたコクランさんが席を立つと、同時にキーさんとコンが食堂に入ってきた。
「おはようございます、キーさん」
「おはよ、お嬢さん」
コンは半分夢の中にいるのか、小型化したままキーさんの肩にだらりと乗っかっている。
キーさんの背中の後ろで二本の尻尾と足がぷらんぷらんと揺れていた。今日も今日とて可愛いものを見せてもらった。
コンの通常時の大きさを見たことはないけれど、話によるとグランの通常サイズを一回り縮めたぐらいらしい。普通の狐より段違いで大きい。尻尾が二つに分かれている時点で普通の狐ではないと思うけど。
「今日はどこまで行くつもり?」
「西方面の島々を見て回る予定だ」
「へえ、活動的で嬉しい限りだ。けど、くれぐれも気をつけてね」
「……ああ」
挨拶程度の会話を交わした後、コクランさんは食堂を出て行った。キーさんはカウンターの席へと腰を下ろす。
「……あ! ちょっと、すみませんキーさん。すぐに戻りますので」
厨房から布包みを手に取り、私は急いで食堂を出て行ったコクランさんのあとを追った。
エントランスロビーの階段のところで呼び止めると、素っ頓狂な顔をして振り返る。
「これ……グランの朝食です」
私はコクランさんの食事中に用意していた布包みをコクランさんに渡した。中にはパンに挟んだグランのおかずと、切り分けたパラードタルトが入っている。
「グランの? 寝坊したのはグランなんだ。気にしなくていい」
「代金は先に頂いていますし、これはそれで作ったグランの分ですから。それにグランはパラードが気に入っていたみたいなので、タルトも喜ぶかと思ったんですが……」
「ああ、そうだったな」
おそらくこの間のことを思い出したのだろう。このペンションを拠点宿にとコクランさんが決めた日、話そっちのけで切り分けたパラードをグランとコンがすべて平らげてしまったのだ。
コクランさんもキーさんも、自分はいいからと二匹に分け与えていたが、契約獣を従えている亜人はみんなして甘々なのだろうか。
「ありがとう。これはグランも喜ぶ」
遠慮は残るものの、コクランさんはしっかりと受け取ってくれた。
私はもう一度「いってらっしゃいませ」と言葉をかけて、また食堂へと引き返した。
「わざわざ、あんな配慮もしてくれるんだ」
戻って早々、カウンターに肘をついたままのキーさんがそんなことを聞いてきた。
何のために食堂を出て行ったのかバレていたらしい。
「朝食抜きでは、グランもお腹が空くと思ったので。……どうぞ、お待たせしました」
私はキーさんが座るカウンターに、淹れたてのコーヒーを提供する。
キーさんは食事無し希望の滞在ということで、朝はいつもコーヒーだけを飲みに食堂へ訪れていた。豆の種類にこだわりはなく、彼はいつも適当に指差しで決めている。
「本当にこの宿は至れり尽くせりだね。冒険者街でも見かけなかったな」
「……そうなんですか?」
「ああ、うん。でも、お嬢さんだって分かってんでしょ? 亜獣人が泊まっていてこんな待遇する宿屋は珍しいってさ」
とん、とん、テーブルの表面に指のつく音が響く。
社交的でどことなく飄飄とした掴みどころのない人。私はそんな印象をキーさんに抱いていた。
ただ、時折言い表せない威圧を彼から感じることがある。それは考えなしに言っていることなのか、私の反応を見るためのものなのかは分からない。
師匠は私が『品定め』されている、そう言っていたが、あながち間違いでもないらしい。
「そうですね、たしかに亜獣人の宿泊を禁止にしている宿屋は多いと思います。街の人からも聞きました」
こんなこと、亜人のキーさんに言っていいものなんだろうか。
様子を伺っても、彼は三日月のように瞳を細めるだけ。何を考えているのかさっぱりである。
「だったら、お嬢さんにも何か意図があって、亜獣人を快く招き入れてるんだ?」
意図ってなんだろう意図って。別に何かしようとする気でいるとか考えてないんだけど。
「強いて言えば」
本格的に探りを入れてきたキーさんに、私は場に不釣り合いの満面の笑みを向けた。
「私にとって、亜獣人も人間も、ここでは変わらずお客様だということです。客筋で対応をわかり易く変える、また相手にそれが伝わってしまうというのは三流以下の者のすることだと……そう私は教わりました」
これは、前世の祖父の言葉だった。
経営方針はそれぞれ異なってくるし、自分がこうだからと周囲のやり方を否定するのは違うと思う。
けれど、身体を休めたり癒しを求めて訪れたお客様が、ガッカリしたり気分悪く帰って行くのは心苦しいと、祖父は言っていた。
言葉どおり祖父も祖母も、誠心誠意で自分たちのもてなしをしていた。そして滞在したお客様は皆同じような顔をして「また来るね」と帰り際に言ってくれていたのだ。
その背中を見て育った私は、ずっと憧れていた。
いつか自分も喜ばせることができたらと、気が休まる特別な場所を作っていくことが目標だったんだ。
「それと、私は動物が好きなんです。こうして身近に見ることができるのも、密かな楽しみなんです。……意図があるとしたら、そんなところでしょうか」
「――だ」
「キーさん?」
とても短い言葉を、キーさんは呟いたような気がしたが。
『……ぐう。むぐ、んん〜』
それは目を覚ましたコンによって掻き消されてしまった。
キーさんの肩に腹を乗せていたコンは、きょろきょろ左右を確認すると、覚醒を示すように尻尾を大きく上にあげる。
「コン、起きた?」
『起きた〜』
尻尾を揺らし、コンは床に飛び降りた。
キーさんもカウンターの席を立つと、硬貨を一枚衣服のポケットから取ってテーブルに滑らせる。
「コンも起きたことだし、ぼくもそろそろ街へ行くとするよ。ごちそうさま」
『やっほう、ルナン。まったね〜』
コンは手を振る代わりに、尻尾を使って私にふりふりと振っていた。
変なタイミングで会話が中断したけれど、キーさんは気に留めることもなくへらりとしている。
「……キーさん。パラードのタルトが余っているのですが、よろしければいかがですか?」
扉に歩いて行こうとするキーさんに、ふと私は尋ねてみる。肩ごしに振り返ったキーさんはにっこりと笑うと――。
「どうもありがとう。……コンの分だけ、貰うよ」
パラードタルトの包みを手に、今度こそキーさんは布包みに興味津々のコンを引き連れ食堂を出て行った。
……はあ、なんだか。
「あの小僧、一筋縄ではいかんな」
食堂に誰もいなくなると、柱間の丸出しになった梁で横になっていた師匠が下へ降りてきた。
また会話を盗み聞いていたようだ。むしろ館内にいる以上、師匠の耳から逃れることはできない。プライバシーもへったくれもない。
「亜獣人と人間、どちらも招くのは困難じゃのう」
「……師匠、そんな楽しそうにしないでよ」
いい声でくつくつ喉を鳴らす師匠に、私は肩を落としてため息を吐いた。
カウンターに置かれた飲み物一杯分のお金を回収し、コーヒーのカップも片付ける。
未だに湯気が立つカップの中身に、飲まれた形跡はどこにもなかった。