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19. 拠点宿




 エントランスロビーを抜け、私はラウンジのソファにコクランさんたちを案内した。室内に入るとグランは自分で勝手に小型化しており、コンと並んで仲良く二人の主人たちの後ろをついて歩いている。


「賑やかと思えば、新しいのが増えおったのう」


 ラウンジのハンモックには、師匠が寝転がっていた。くつくつと笑い、楽しげに様子を伺っている。


「この宿、黒猫がいるんだ」

「はい。当宿の看板猫のようなものです」


 キーさんは関心を深めたようで、師匠を近くで観察していた。顔色がわずかに変化する。


「この、黒猫」

「どうかしましたか?」

「ああ、いや。……前に、似たような猫を見たものだから」

『黒い猫ってみんな同じに見える』

『たしかに〜』


 グランとコンはきゃいきゃいと笑っていた。


 キーさんはもう一度ちらりと師匠を見ていたが、すぐに視線を逸らしてしまった。

 師匠はだらけた体勢のまま、キーさんを見捉えると、私にだけ聞こえる声でぼそりと言う。


「……ほう、これは久しい。白狐の小僧か。何とも奇っ怪な縁を呼び寄せたもんじゃな」


 師匠はというと、他にも白狐の亜人と会ったことがあるらしい。キーさんを見て懐かしそうに目を細めている。師匠が使い魔になってから村でも亜人は見たことがなかった。ということには、白狐の亜人に会ったのは私の使い魔になる前のことだろうか。

 本当に師匠は自分のことを教えてくれないので、こうして考察するしか術がないのが難点だ。


「どうぞ、そちらにお掛けください。何か飲み物をお出ししますから」


 お茶ぐらい出そうかと厨房に向かったついでに、後ろを付いてきた師匠に白いきつねのことを訊いてみた。

 薄い茶褐色の毛並みの狐は、レリーレイクにたどり着く前の旅の途中に何度か見かけたことがある。黒っぽい色合いの狐も数は少なかったけれど、いるにはいた。ただ、白いきつねは一度も見かけなかった。

 希少種なのだろうと思ってはいたが、それは亜人にも比例するのだろうか。


「ああ、そうじゃのう。野生の白ぎつねなら数も少なくはなかろう。だが、白狐の亜人は特別だぞ」


 今日は気温が高い。魔女術で作り出した氷を、用意したガラスのコップに入れた。カラン、と涼しげに音が鳴る。

 

「特別?」

「ああ、特別だ。のう、ルナン。こんな言葉を知っておるか?」

「……?」

「――人の姿を形どった白狐は、3度の幻夢をさすらう。とな」

 

 由有り気な口ぶりをする師匠に、ごくりと生唾を飲み込んだ。先に訊いたのは私だけど、なぜか怪談話のトーンで教えてくれるもんだから、思わず背筋が伸びてしまう。

 つまりややこしく考えずにまとめると、動物の白狐は少ないが探せば意外といる。亜人の白狐は極小数ということなんだろう。


「なら、キーさんも数少ない白狐の亜人ってことだよね? 3度の幻夢っていうのは……」

「ルナン」


 話しながらも手を止めず、薄い盆(トレイ)に人数分のコップを置いたところで、師匠は唐突に私の名を呼んだ。若干食い気味になっている。


「あの二匹、付いてきているぞ」

「は……え?」


 一瞬、何を言っているのか分からず固まった。少しの沈黙を挟み、意味に気がついた私は慌てて厨房の入口を見る。


 厨房を挟んだウェスタンドアの下には、仲良く床にお尻をくっつけこちらを見上げる、グランとコンの姿があった。

 無垢でまん丸な四つの瞳に見つめられ、私は口角がひくりと攣るのを感じた。



「……あれ? もしかしてついてきちゃったの?」


 精一杯の平静を装う。


 聞かれていない。だって師匠の声は私にだけ聞こえるようになっているのだから大丈夫。聞かれたとしても私が一人でぶつぶつ言っている姿しか目に入らなかったはずだ。……それはそれでちょっと嫌だけど。


『あんね、キーちゃんが見てきたらって』

『コンが勝手に走るから』

『グランはあっちで待ってなよ〜』

『コクランが気にしてたから、代わりにオレが来たの。キーって変なところで適当だよね』


 つまり……キーさんが私の様子でも見に行ってはどうかと伝え、その言葉通りコンが来てしまったと。グランはそれを追いかけてきた。そんなところで合っているだろうか。


 にしても、しっかり厨房には入らないでいるところが偉い。

 二匹の様子からして、私の独り言はそれほど聞いていなかったのかも。そうだと願いたい。


「少し待っててもらえるかな。この果物も出しちゃうから」


 厨房の調理台に置いたのは、コクランさんが取ってきてくれた鮮やかな緑色の果物。パラードという名前らしい。真ん中を切ってみると、じゅわりと果汁が溢れ出した。上が細く、お尻が大きい瓶のような形といい、見た目は私の知っている洋梨だった。

 試しに白い部分を一口食べてみる。

 完熟しているのか、酸味は控えめでまったりとした強い甘さが感じられた。口に入れてわかるように、果汁も多く果肉が口の中で柔らかくほぐれるような食感。香りも非常に芳醇でいくらでも食べ進められそうだ。


「はい、どうぞ」


 食堂のカウンター付近で大人しく待っているグランとコンにもお裾分けと、両手に乗せてあげてみた。


『あまい』

『あまい!』


 絶賛の鳴き声が何度も返ってくる。もっと欲しいと全身を使って表現をされたので、「コクランさんとキーさんと一緒に食べようねえ」とだけ言っておいた。それで素直にこくりと頷くもんだから、私はまた見事に心臓を鷲掴みされていた。

 そんな私の顔を呆れた様子で見ていた師匠は、森を散歩してくると言って、厨房の裏口からそのまま外に出ていってしまった。



 飲み物と、切ったパラードをトレイに乗せ、私はグランとコンを後ろに引き連れラウンジへと戻る。

 すると、何やら言い合いをするコクランさんたちが目に入った。


「どうかしましたか?」

「……店主、いや、なんでもない」

「それがさあ、聞いてよ。コクランがここを拠点宿にしたいらしいんだ」

「おい、キー!」

 

 コクランさんは慌ててキーさんの言葉を遮った。

 ……えーと、もうほとんど聞いてしまったも同然なのだけれど。

 どうやら拠点宿を取るか取らないかで揉めているらしい。

 拠点宿とは、いわゆる定宿のことで、長期間その土地に留まる冒険者が泊まる宿のことを意味する。

 馴染みの宿がある場合、決まった場所に泊まる冒険者がいる一方で、冒険者街(レリーレイク)は冒険者がひっきりなしにやって来て人気の宿は常に満室、ほかの宿も立地的に好条件のところは空き待ちの状態が多かった。

 亜獣人の冒険者も増えてきたようなので、さらに泊まる場所には苦労するかもしれない。

 ……あれ、そんなに泊まる場所に困っているのなら、おこぼれでもこっちに流れて来ればいいのに。やはり近場にダンジョンがあったり、森の中にあるのがネックなのか。地球では隠れ家的ペンションとご好評頂いてたんだけど。

 


 冒険者が拠点にする宿屋は、長期滞在用(一週間〜一ヶ月、またはそれ以上)の部屋と、短期間用(一泊〜数日間)の部屋とで分けられているケースが多い。

 また、その場の金銭の交渉で状況は変わってくる。

 拠点部屋が埋まっていて、どうしてもそこに泊まりたい場合、宿泊希望客らは提示された金額より上乗せして払うか、それでも不可能だと別の宿を探しに行くという二択となっていた。

 ……強引に脅して部屋をとるお客様も多少いるらしいが、そんなの私からすれば論外である。


 部屋を分けたほうが効率が良いというのを冒険者街の宿屋さんから教えてもらったので、私も一応はその体制をとっているが、そんなの部屋が全室埋まるほどお客様が来なければ意味のないことだった。


「拠点用のお部屋なら、空いていますよ?」

「だよね。だって今ぼくたち以外にお客いないでしょ」

「そうですね。まだ上手く軌道に乗れていないものですから」


 魔女術がなかったら赤字続きで疾うに破産していただろうなぁ。今も余裕があるわけではないけれど、一人と一匹が暮らしていくには不自由ない生活を送れているし、魔術薬が想像よりはるかに売れ行きがいいのも嬉しい誤算だった。


「まあ、ぼくは人が少ないほうが都合がいいけど。ほら、亜人や獣人って人間から毛嫌いされてるから」

「……」


 堂々たる振る舞いながらも卑屈に吐き捨てるキーさんに、コクランさんは苦虫を噛み潰したよう表情を浮かべるだけだった。


 皆が皆、亜獣人を毛嫌いしているわけではないと思いたいけど、街の人々が亜獣人をどう言っているのかも私は知っている。たとえそれが極少数の意見だとしても、軽口で「そんなことない」とは言えなかった。

 だからといって、私は思ってないです、というのもなかなかに図々しい。

 何せ、不遇な扱いを受けているのは他でもない亜人であるコクランさんたちなのだ。自分がどう言葉にしたところで、彼らから見て『人間』である私から、無神経なことを言って欲しくないだろうと思う。


 こんなにも返答に困ってしまうとは。

 悩んだ末、私は無難に答える。


「……ともかく、もし長期滞在をご希望でしたら遠慮なくおっしゃってくださいね」


 昨夜からずっと、コクランさんは私の顔色を気にしていた。グランのことがあって少しは気が緩んだと思いきや、結局こうして拠点宿にすることを私が拒めばあっさり引いてしまうのだろう。

 ……なんだろう。餌で釣って懐いたと思いきや、次の日には元の遠い距離に戻ってしまっていた前世の飼い猫を思い出す。あれは地味に切なかった。


「迷惑だとは思いませんから」


 これが今の私の精一杯のフォローである。

 もういいよ。どうぞどうぞ、拠点宿にしてください。


「……!」


 コクランさんの黒い耳が、微妙にひくひくと動いた。

 これは一体どういう意味なのか分からないが、なんかいいものを見られた気分。


「……本当に、構わないのか?」

「はい、もちろんです。長期滞在となると、改めて宿の説明を詳しくしたほうがよさそうですね」

「だそうだ。よかったね、コクラン。いい宿主さんで」


 キーさんが横からひょっこり顔を出し、糸目になって薄らと笑った。……まあ、収まるところに収まったのでよしとしよう。


『コクラン〜』

『キーちゃんキーちゃん』


 ついでなので長期滞在にあたっての説明をしようとしたところで、今まで静かだったグランとコンが揃って二人の名を呼んだ。

 テーブルの前に座った二匹は、ただひたすらトレイの上の皿を見つめている。今か今かと、パタパタ尻尾を揺らして合図を待っているようだった。


 ……ああ、そういえば。おとなしいと思ったら、ずっと待っていたようである。


『『パラードたべたい』』


 二匹の瞳はきらきらと、甘い果実を見つめていた。



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