18. 白狐の友
売上金を腰に引っさげ、冒険者街を出た。
いつも売れ残りが多少あったので、完売に至れた私はほくほくとスキップ混じりに浮かれている。
フードを外して、荷車をいつものように茂みに隠し、いざ箒に跨って近道である森を抜けようとしたとき。
──キィン、と耳鳴りに似た短い音が頭に響いた。
誰かが、ペンションに繋がる森の入口に引いていた境界線を越えたのだ。
まもなく十一時。アリの巣ダンジョンに行っていたコクランさんが戻って来たのかもしれない。
森を飛んで進むと、展望台の建物の横に出る。
箒から地面に降り立ち、せっせと本館の正面に回ると人影が見えてきた。
入口前の階段をうろうろとしている。
おかしいな? どうして中に入らないのだろう。
「コクランさ──」
言いかけていた名前を、私は咄嗟に口を塞いで止めた。
「ああ、どーも。この宿の人?」
立っていたのは、コクランさんではなく。コクランさんとは正反対の色をした、亜人の青年だった。
大きくツンと尖りある白い耳と、それは太くて長い形の尻尾。雪のように汚れない色に、ちょんちょんと生える銀の毛は美しく反射している。
ふわりと上向きに動く大きな尻尾には、見たこともない不思議な模様の線が三本縦に入っていた。
「おーい。お嬢さん、聞こえてる?」
「……っ、はい」
いけない、あんなに白い毛の亜人はまだ見たことがなかったから頭が呆けていた。
「ようこそお越しくださいました。『月の宿』の店主、ルナンと申します。……ご宿泊のお客様でよろしいでしょうか?」
「え?」
青年は細長い黄色の瞳孔を見開いた。
顎に手を当てまじまじと私を見下ろし、何事もなく欠けた月のように瞳を細めて笑う。その笑みに、私はどういうわけか引っ掛かりを覚えた。
「ぼくは見た通り亜人だけど、宿泊できるんだ? はは、珍しい」
「当宿は、特定のお客様に対しての宿泊拒否などは行っていません。どなたでもしっかりご対応いたします」
遠回しに亜獣人、他種族の宿泊も歓迎です、のつもりで言ったはいいけれど、遠回し過ぎて逆にいやらしくなってはいないだろうか。
森の入口と、本館正面の立て看板に『どなた様でもいらっしゃい』と書いたほうが入りやすいのかな。
……ちょっと試しに作ってみよう。ウェルカムボード。可愛らしく動物の足跡でも描いて……ああ、そうだ、師匠の前足を拝借すればいいのか。
「契約獣がいても?」
「もちろんですよ」
「へぇ、そう」
聞いたわりにさっぱりとした素っ気ない返答だった。
妖しげに私を見てくる青年は、どことなくキツネを連想させた。
さらりと目にかかった前髪も、銀の毛が混じっているからか、反射すると錯覚で輝いて見える。
「……泊まるのは、とりあえず置いといて。本当は知り合いを探しに来たんだけどさ」
「お知り合いの方、ですか?」
なんと言ってもここは、人の出入りが少ないペンション。訪れる者は少数に限られていた。
「黒い毛の亜人、ここに来たよね。どこにいるの?」
来たことを前提にしているが、まさしくコクランさんのことだ。
亜人のお客様は今のところコクランさんだけしか利用していない。この白い亜人はコクランさんの友達……なのかな。
手には深緑色の外套、肩には大きめの旅鞄と、口を紐で縛る仕様の一回り小さい巾着のような鞄が背負われている。
旅人のような風貌ではあるが、足元は汚れていないし、服もくたびれていない。冒険者というより、旅芸人とでも言われるほうが納得いく軽装をしていた。
昨夜、執拗に自身の体を隠していたコクランさんとは違って、彼は尻尾や耳を晒そうが気にした素振りも見せない。亜獣人によってこうも違いがあるんだ。
コクランさんならそろそろアリの巣ダンジョンから帰ってくるだろう。
ただ、念のために知り合いの名前を確認しようとしたところで――また耳元でキィンと音が聞こえた。
「……あ」
思わずこぼした声に、白い亜人の青年は不思議そうにした。
彼には言えないが、新規のお客様でない限り次こそコクランさんだ。もうまもなく、あの森の木が並んでアーチになった道から現れるはず。
「この匂い。……やっぱりここで合ってたか」
そう言って顔を斜め上に向け、流れてきた風を嗅ぐように彼は鼻をすん、と動かした。
確信した表情は、わずかに柔らかく緩んでいる。
澄んだ黄色の目が、不意に鋪装された森の入口へと向けられた。
さわさわと木々が気持ちよさそうに揺らいでる。
そして、木陰の下からライオンを引き連れた――コクランさんが姿を現した。
「……そこにいるのは、キー、か?」
朝に出て行ったときと同じ黒いローブを纏うコクランさんは、白い亜人の青年に気がつくと驚愕の目を向けその場に立ち止まった。
『キーだ』
通常サイズに戻っているグランが、のっしのっしと足音を立てながら走り寄ってくる。
白い亜人……キーと呼ばれた青年の前で元気よくおすわりをしたグラン。感極まったように尻尾の先を地面にばしばしと打ち付けている。
「おーおー。グラン、元気だった?」
『オレ元気だったよ』
グランは応える。おそらくキーさんには通じていない。
「はは、その様子は元気いっぱいだな」
グランの頬を包み込んで撫でているキーさん。グランの言っていることを理解しているわけではないのに、心が通っているように見えた。
疑ってはいなかったけど、本当に知り合いのようで、グランはとても懐いた様子だ。
『ルナン〜、ただいま』
グランは私にも擦り寄ってきた。
ぐりぐりと甘えるように自分の頭をお腹に当ててくる。
……はああ、試されるもふりもふり。
「おかえり、グラン」
「へえー、珍しい。グランが懐いてるなんてねえ」
「珍しい? グランは人懐っこいライオンじゃないですか?」
「まあ……基本的には?」
キーさんはとくに詳しく語ることもなく、笑って肩をすくめていた。
グランの言葉が分かる私には、そりゃもう人に懐きやすい性格をしているように思えるが、どうなのだろう。
「どうして、お前がここに?」
遅れてコクランさんがそばにやって来た。
ダンジョンに行ってきたわりに、コクランさんの服は綺麗なまま。汚れも乱れも見当たらない。本当に強い人なのかも。
「今朝ぼくが飛ばした鳥に、魔力を流し込んだでしょ。それを辿って来たんだよ」
「……ああ」
ちらりと、コクランさんは私を一瞥する。
あまり聞かれたくない話なのか。それなら建物の中に入ってもらって、エントランスロビーなりラウンジなりに通したほうがいいのではないだろうか。
『ねえ、キー。そこにいるのコンじゃないの?』
グランはキーさんが背負っている……小さいほうの鞄の端を引っ張っていた。
すると、もぞもぞと中身が動き始める。
「ああ、もしかして匂いでわかっちゃった? ほら、コン。起きな。グランが呼んでるから」
キーさんは鞄袋を何度か優しく突っつく。
また、もぞもぞと動いた。
もぞもぞ、もぞもぞ、もぞもぞ――ひょこっ。
『……な〜に』
縛られた鞄の紐が解け、中から出てきたのは、とろんと垂れた瞳をする白い小ギツネだった。
何度もあくびを繰り返し、目尻にちょんと下がるように入った茶色い毛色が、より眠たそうな顔に拍車をかけている。
体の大きさはグランの小型をもう一回り縮めたぐらいだろうか。
立派な狐の耳が、鞄の入口で窮屈そうに引っかかり、不格好に折れ曲がってとんでもなく可愛いことになっていた。
『キーちゃん、ここどこ?』
「起きたかい、ねぼすけ」
キーさんは小ぎつねが入った鞄を軽く揺すった。
『コン、オレだよ起きて』
『む……? わ、グラン?』
きつねの子……コンは、グランの声に勢いよく鞄から飛び出した。
鞄に収まっていて見えなかったが、コンの尻尾は二本に分かれていて、それが不規則にゆらゆらと揺らめいていた。
見るからにふわっふわである。
『お久しぶりじゃ〜ん。なんだよ早く起こしてよ〜』
『起こしたけどね』
『そうだっけな〜』
ようやく対峙した二匹は、「ガウガウ」「キュンキュン」言い合っているようにしか見えないけれど、中身の和む会話には仲の良さが垣間見えていた。
『グラン、この人間だれ?』
『ルナンだよ。オレとコクランを泊めてくれた人』
『ふうん』
なぜかグランの背に上ってダラっと寝転がっていたコンが、私をじっと観察して小首をかしげている。
『あと、ご飯がおいしかった。ホカホカケーキって名前だった』
惜しい。ホットケーキ。でも語呂的に似ているから全く問題なし。
『ホカホカケーキ』
復唱したコンは、食べ物のことだからなのか興味津々といった様子でグランの言葉に耳を傾けていた。
そこまで持ち上げられると照れちゃうんだけど。
ただのホットケーキをグランがあんなに気に入ってくれていたなんて。作った甲斐があったというものだ。
「コンがケーキの名前を言ってるけど、何の話をしてるんだろ」
「……ホットケーキだ。店主がわざわざ朝に用意してくれていてな、グランはそれが気に入ったらしい」
コクランさんもキーさんも、自分の契約獣が話している内容は理解できているけれど、相手の契約獣の言葉は分からないらしい。それは少し不便だなと思う。
……って、いい加減ここで立ちっぱなしでいるのはよそう。目と鼻の先に建物があるというのに、中に通さないでいるというのも失礼だろうし。何よりここにいつまでも立たれていたら、それはそれで困る。
「あの、よろしかったら中へお入りください。お二人とも積もる話もあるのでしょうから」
「それはありがたい提案だ。店主のお嬢さんがこう言っていることだし話の続きは中でしよう、コクラン」
「あ、ああ……店主、たびたびすまない」
コクランさんは申し訳なさそうに私に謝る。場所の提供をしたぐらいで、こうも萎んだ表情をしないで欲しい。本当に大丈夫だし。
コクランさんの言葉には、自分の友人を――亜人を招き入れたことに対しての謝罪も含まれているような気がしてならない。
昨日のことで安心してくれたと思ったのだが、一人増えたらまた違うのだろうか。
「構いませんよ、コクランさん。それより、ご無事で良かったです。あのダンジョンから帰って来られるということは、すごく強いんですね」
「買いかぶり過ぎだ。……ああ、そうだ。これを店主に渡そうと思っていたんだ」
自分が羽織るローブの内側をゴソゴソと手弄り、取り出したのは昨夜、宿内に入るときグランを隠していた小麦色の麻袋。
けれど中に入っているのは、洋梨のような形をした香りの良い果物だった。見るからに美味しそうに熟したそれを、コクランさんが私に袋ごと差し出してくる。
「こんなものでは朝食の返礼にならないが、よければ受け取って欲しい」
「あの、そんなつもりで朝食をお出ししたわけでは……」
どっさり入った果物を前に私はたじろぐ。昨晩の詫びと材料の消費を目的にやったものなので、お礼を返されるようなことはしていない。
それでもコクランさんは受け取って欲しいらしく、いつまでも手に取ろうとしない私を、何とも淋しそうな顔で伺っている。
……わかった、わかりました。受け取るからその顔はやめていただきたい。耳が生えているから、そのような顔をされると捨てられた子犬のように映ってしょうがない。私って亜人に耐性がない分、もしかしてとてつもなくチョロい人間になっているのでは……少し心配になった。
「労を取らせたようになってしまいましたが、ありがとうございます」
それでも遠慮し続けていては埒が明かないので、最終的に私は麻袋を受け取ることにした。
腕に抱えると、袋の口から果物独特の風味が香る。
「どうぞ」
私はもたついた手で扉を押し開け、コクランさんたちを中へと通す。
扉を閉めるとき、隙間から見えた遠くの空が光り輝いた気がした。
ありがとうございました。
ちなみにキーさん一人称。
ぼ↑く↓
ではなく、
ぼ→く→
です。
些細なことですが、それだけで印象は変わると思いますので……一応。




