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96. ためらう指先




「皆さんお待たせしました」


 見送りを済ませてラウンジに行くと、視線が一気に集中した。

 私はまず今回の騒ぎのお詫びを改めてする。

 深く頭を下げ、精一杯の謝罪をした。


「この度はご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません」

「店主、頭をあげてくれ。俺たちは気にしていない」


 コクランさんは全く気にした素振りもなくいてくれる。その少し後ろにいるキーさんも、口には出さないが似たような顔をしていた。

 不祥事の最たる原因はゴードンさんで、私は巻き込まれた一人だと思っているんだろう。


 たとえそうだとしても、私は管理する立場であまりにも甘すぎた。


 人の行き交いが増えてお客様が多くなれば、その分問題が起こる可能性も生まれる。

 その芽をあらかじめ摘むことがどれだけ大切なことかは知っていたはずなのに。


 境界線を解いても私が建物内にいるから大丈夫だろうと、そんなふうに安心していたんだと思う。

 無意識に傲っていたことに気づかされた。

 それなのにいざトラブルを前にして体が動かなくなった。恥ずかしくて、情けない。


「今後はこのようなことがないよう十分注意いたします。お礼を伝えるのが遅くなりましたが、カノくんとシュカちゃんを助けていただきありがとうございました」


 コクランさんとキーさんがいなければ、二人は怪我をしていたかもしれない。

 そして足元に近寄ってきたグランとコンにも同じようにお礼を言った。


「グラン、コン。どうもありがとう」

『んーん、平気。楽勝だった』

『あっという間だった〜』


 この無邪気な二匹の姿を見ていると、心が穏やかになっていく。


「先ほどの三人組はしっかり街まで連れて行ってもらいましたので、もう大丈夫です。安心してお過ごしください」


 いつまでもお客様に騒動の記憶を思い出させるのも忍びない。そして沈んだところを見せるわけにもいかないので、この辺りで話を切りあげた。


 

「ルナン、その怪我どうするの?」


 ラウンジでの謝罪後、カノくんが私の頬を見ながら聞いてくる。シュカちゃんは、コクランさんたちに出していた飲み物を食堂まで片付けに行ってくれた。


「そこまで深くない傷だから、塗り薬で済ませるつもりだけど……」


 この程度の傷なら魔術薬を飲むより自然治癒力に頼ったほうがいい。

 スパッと切れたから血もそれなりに出ていたんだろうけど、改めて確認してみると傷口はそこまで深いものでもなかった。


「店主」

「あ、はい」


 ふと、呼び止められる。

 振り向くと傍らにグランを連れたコクランさんが立っていた。つい先ほどまで彼の隣にはキーさんがいたはずだったけど、どうやら先にコンと二階へあがったようだ。


「……」

「コクランさん、どうしました?」


 コクランさんはこちらに目を向けたまま口を閉ざしている。

 話したいことがあるようだけど、躊躇しているというか。

 どこか言いづらそうな雰囲気を醸し出す彼を前にして、私はハッとした。

 

「もしかして、お怪我でも!?」

「え……?」


 ゴードンさんと向かい合ったとき、どこか打ったりしてしまったのではないか。問題ないと言っていたけど後々痛みが出ることだってある。

 あれだけ素早い動きをして取り押さえていたのだから、足や腕を捻ったりしていても何ら不思議じゃない。


「どのあたりが痛みますか? もし腫れたりしているなら、すぐに冷やすものを持って――」

「怪我はしていないから、落ち着いてくれ」

「おちっ……、すみません。いきなり前のめりになってしまって」


 詰め寄って確認したい衝動に駆られていた私を止めたコクランさんは、そのあと微かに笑みを浮かべた。

 さっきの微妙な表情は、怪我をしていたというわけではなかったらしい。


「店主が、そういった顔をするのは珍しいな」

「顔?」

「ああ。先ほど、ゴードンという男に堂々と言い切ったときも――」


 その先の言葉が続くことはなく、コクランさんはじっとこちらを見る。


「……、勇ましかった」


 少し溜めたあと、コクランさんは呟く。


「私が、ですか?」

「俺を野蛮でも、獣でもないと言ってくれた。ありがとう」


 だからどうしてこの人は、なんでもないことで嬉しそうにお礼を言ってくるんだろう。

 ゴードンさんのことはもうどうでもいいと言うように、コクランさんが重んじているのは、ムキになって出た私の発言だった。


 真っ直ぐ向けられる目に、私は突然きた喉の奥が詰まるような感覚を押し込める。


 どうして、なんて。もう分かりきっていた。

 野蛮も、獣も。きっと嘲る言葉のひとつとしてコクランさんが慣れてきたからなのだろう。


「お礼なんて……当たり前のことですから」

「それでも。店主がそう言ってくれたことが、嬉しかったんだ。だから、ありがとう」


 小さな子どもが浮かべる、あどけない笑顔のようだった。

 なんだか日向の中にいるような心地になる。


 長期滞在のお客様として、コクランさんと顔を合わせる機会は多い。すべてを理解することは無理な話だけど、日々の中で新しく見えてくる一面もある。


 そして今もまた、気づきがあった。

 コクランさんという人は、驚くほど純粋な人だ。


 二度も伝えられた「ありがとう」に、二度も慎んで返すのは少し違うような気がして。

 私は「こちらこそ」と、今回の件を寛大に受け入れてくれたことに感謝を伝えた。



「髪が傷口に……」

「あ、またすっかり忘れていました」


 軽く頭を下げていたので、横髪が頬の傷口に触れてしまっていた。

 ぱっと目線を上げると、ちょうど手を引っ込めたコクランさんの様子が映る。


「……?」

「コクランさん?」

「いや、なにもない」


 コクランさんは自分の手を不思議そうに見ており、そのあとすぐにローブの内側を探り始めた。


「よかったら、これを」


 コクランさんが差し出してきたのは、小瓶だった。


「これは、薬……?」

「ああ。魔術薬は飲まないと言っていたのを聞いたから」

「塗り薬で済ませるつもりでしたけど、いいんですか? まだほとんど未使用みたいですけど……」

「構わない。効き目がいいものだから、店主がよければ使ってくれ」


 コクランさんもこう言っていることだし、せっかくの厚意なので受け取ることにした。


『渡せてよかったね、コクラン』


 一度私たちから離れてラウンジをうろついていたグランが、こちらに戻ってくるなり「きゃん!」と鳴き、コクランさんは首をこくりと動かした。


「それと、もう一つ店主に話が――」



 ***



「ああ、用心棒か」


 その日の業務が終了し、お風呂を済ませた私は部屋に戻って師匠と話していた。

 

「うん。正式に雇わなくても、用心棒がいるんだって思ってもらうだけでも防犯になるからって」


 髪を梳かしながら定位置いる師匠に、塗り薬を私に渡したあとコクランさんが言ってきたことを説明する。


「あやつらは長期滞在客だ。ここにいる間はそういうことにしてもいいんじゃないか」

「キーさんにも言われたんだよね……。べつに四六時中警備するわけじゃないし、気軽に考えればって」


 用心棒の話になったとき、キーさんは二階から降りてくるや否や、意外にもコクランさんの提案に乗っかり出したのだ。


「あの小僧も変わったのう。ここにやって来たときとはえらい違いだ」

「確かに少しびっくりしたけど。キーさんはだいたいコクランさんの意見を尊重しているというか。最初は意外だったけどよくよく考えるとそうでもないような」


 滞在するついでだからお金は発生せず、またゴードンさんたちみたいなトラブルが起こったときは、前に出て一緒に対処する。それぐらいのものだと言っていた。


 大前提として、トラブルは起こらないように気を引き締めていくけれど。

 それでも抑止力になるならと、私は彼らの提案を受けることにした。


「あと、師匠にお願いがあるんだけど」

「なんじゃ」

「魔女術の修行、もっと本格的につけてもらいたくて」


 今までも日常的に必要な術や、細々とした術は練習していた。けれど最近、習得した魔女術ばかりを繰り返し扱っていて鍛練を疎かにしていたように思う。


 臨機応変に対応できるように、自分の魔女術にもっと自信をつけるために。相手を退けるための魔女術をもっと多く習得しないと。


「よかろう。今のお前なら、そうやすやすと力に呑まれる心配はないだろうからな」

「……呑まれる?」


 何となく不穏な空気を感じて、私は髪を梳かしていたブラシを置き、師匠に向き直る。

 

「強大な力を扱うには、それなりの下準備が必要じゃ。熟練の鍛冶師が作り上げた剣を持ったところで素人の剣士が扱えぬように、魔女術も同様ということだ」

「それって私、聞いたことあった?」

「ルナンがわしを召喚してすぐの頃に、月光浴をしろと言ったじゃろう」

「そこは覚えてるけど。力に呑まれるっていうのは」


 師匠は「ああ」となんでもないような顔で言った。


「分不相応な力は、時に己を呑み込んで自滅を招く。お前は生まれた頃から黒魔女としての資質があった。しかし月の魔力を蓄える(すべ)を知らず、操作する仕方もわからなかった」

「うん」

「本来なら赤子の頃より先人の魔力を通し、魔力の取り込み方、操作や押し込めるやり方を自然と身につけていくものだが、ルナンは出足が遅れたろう。その分、まず勝手に暴走せぬよう魔力を体内に定着させる時期そのものがずれ込んだというわけだ」


 何より私は黒魔女であり、月の魔力という膨大な燃料を糧に術を使う。

 魔力の定着が疎かなままでは、扱うリスクも大きくなるということだった。


「あの、雷を細く散らしたような術。初めてにしては安定していたろう?」

「ゴードンさんに使った電流のこと? 加減がうまくいかなくて、すぐに起き上がったけどね」

「それも、魔力の制御ができず力に呑まれていたのなら、黒く焦げていたはずだ。そうならなかったのは、魔力の扱いを十分に心得たということじゃ」


 今までは防衛中心の魔女術が多かった。

 しかし、攻撃系の術や大掛かりなものは、自分の手に余ると暴発しやすい。

 師匠によるとそうならないための下準備がある程度整ったという。


「他人との関わりも増えた分、守りだけでは不十分なことも出てくるだろう。わしがいつでも稽古をつけてやるぞ」


 どことなく機嫌よさそうに尻尾をちょろちょろ動かし、師匠は欠伸をする。

 話が終わると、私はもう一度近くの鏡を覗き込み、もうすっかり固まった頬の傷を見た。


「寝る前に薬を塗っておかないと」


 私は近くの台に手を伸ばし、塗り薬を探す。


「あ、そうだ」


 さまよわせた手が、ピタリと止まる。

 前に私が作った塗り薬と、コクランさんから貰った塗り薬。

 ちょうど隣合って並んだそれらを前に指先がためらい、一瞬だけラウンジでの会話が蘇る。


「せっかく譲って貰ったものだし」

「なんじゃ?」

「ううん、なんでも」


 片耳を動かした師匠に応え、私はとりあえずそれを使ってみることにした。


「量はこれぐらいでいいかな? 早く消えるといいけど」


 コクランさんから受け取った塗り薬は、ベタつきもなく無臭でとても使いやすい。

 今晩は頬につかないように軽く髪を束ねて横に流し、部屋の明かりをひとつ残して横になる。


「……?」


 その日は色々あったからか、妙に目が冴えて眠りにつくまで少し時間がかかった。

 夜は肌寒いからと毛布を被っていたけれど、すぐに体温があがって剥いでしまう。


 そろそろかと思っていた夏は、すでに始まっていたようだ。


 




ありがとうございました。

こちらで二章前編終了になります。

更新が空いてしまいなかなか本編が進みませんが、お付き合いくださりありがとうございました。


また、書籍2巻が発売してあっという間に1ヶ月が経ちました!購入して下さった方、本当ありがとうございます(;;)カノくんシュカちゃんの可愛い挿絵付き番外編もありますので、どうぞよろしくお願いします!


そして、コミック版2巻の発売も11月に決定しております!予約受付中ですので併せてよろしくお願いします。


☆評価、ブクマなど頂けたら幸いです。

また、誤字報告、感想もありがとうございます!

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