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1―5 約束の濃度

 鈴


「すず」と書いて「りん」

「りんがわたしの大切な名前・・・・・・」

 彼女が勝手に自己紹介したのだったか、それとも僕が訊いたのだったか記憶がはっきりしない。

 言葉というより電波で交信したような感覚で会話が弾む。というより話すのは彼女ばかりだ。

 彼女は脈絡なくはなし続ける。だから僕は彼女の流れ続ける言葉についていくのがやっとだった。


 加賀沢 鈴 「かがさわ りん」


 が彼女の名前だった。

 そういえば、笑い声は鈴の音のようだし、話す言葉はどこかで聴いた何か高い音域の楽器のようだ。耳当たりが良くて、心地が良くてずっと聴いていたくなるような、そう思うのは僕だけだろうか。

 いま、向かい合っているから、「好意」のレベルが上がっているからそう聴こえるだけなのだろうか。 

 天国の門の扉にインターフォンがあったなら、こんな声が応答するのではないか。


「へーちゃん」

「はい? 」


「呼び捨てでいいよ」鈴は人差し指で鼻のてっぺんを二度、とんとん、として「私」といった。

りんって? 」

「うん! そう!」

 洋兵は首を横にふる。

「最初からそれはいくらなんでも失礼だよ・・・・・・」

 わかった、それならそう呼ぶよとか、そうだねとか了解とか。部屋の壁のスイッチの蛍光灯のように洋兵がパッと反応して簡単に同意をしてくると思いこんでいたのだろう。予想とは違ったので鈴はあれ? という顔をし、艶のある唇は少し早口になった。

「そんなことないよ。鈴でいいよ───。りんって呼んでよ。・・・・・・ね! 」と押し付けてくる。

「普通だったら、『ちゃん』を付けるよ」そうだと思う。会って何分も経っていないのだから。

「そうなの? そうかもね、でもね・・・・・・」

「鈴ちゃん」口に出してみると、なぜか恥ずかしさがこみ上げてくる。

「あ、それね。子供っぽくて、嫌なの」鈴は困った顔をかくそうとしなかった。

 洋兵は少し考えたあげく。押し出すようにいった。

「じゃあ、───どん」

「・・・・・・。どん・・・・・・って? 」

「りんどん」

「りんどん? ───?? 」

「そう。西郷どん。みたいな」

 かっこいい。

「やーよおーっ」

 両手で顔を被い、イヤイヤをしている。軽い髪も後を追って揺れる。

 優雅な外見とは別に頭の中では『りんどーん。りんどーん』と壊れたインターホンのような音が響いているはずだ。

 いや、ゆずれない! といったら泣きそうになった。


 復讐は成功した。


 結局・・・・・・。

 りんと呼ぶことになった。

 ときどき間違えたふりをして「りんどん」と呼んでやる。


 たぶん、聴こえないふりをするだろうが・・・・・・。


      ▽


 時間は確かにワープする。

 1時間は10分に・・・・・。

 10分は1分に・・・・・・。

 そして、勿体なくて惜しい時間ほど、シフトアップをくり返して加速をし、おまけに最短距離をとおって終点をめざす。

 ひょっとしてここでたどり着く最高速度がタイムマシンのスピードなのではないだろうか・・・・・・。 


 そんなにやりとりをした覚えはないけれど、洋兵は鈴のすべての言葉と表情を思い出して心に刻んでいた。

 それはスローモーションで、時にはフラッシュして、まるでスクリーンの映像のように輝きながら蘇った。

 そこには自分もいっしょに映っていた。鈴のくったくのない話をする息に耳を傾けては上機嫌な笑みを浮かべている自分がいる。

 洋兵は自分自身の過去も一緒にすくい上げて眺めていた・・・・・・。


 こんなにほつれや、つなぎ目がない滑らかな時間は、ずっと昔遠くに置いてきた何かをたぐり寄せてくれたような気がする。


 そういえば。

 何年か前にはこんな時間があった。僕にだってあった。


 毎日あった・・・・・・。


 そんな無限に流れ出ようとする時間を堰き止めたのは、遠慮がちではあるがしっかりと抗議を伝えようとする咳払いだった。

 3席しかない禁煙席はしっかりとした区別はなく、広めの通路を挟んで分かれている程度だった。


 ひとつは丹頂鶴のように神経質そうな学生が、参考書をテーブルいっぱいに並べて、カミキリムシさながらにページをめくってはノートをとっていたし、もうひとつの席では中学生ぐらいの女の子に、黒いスーツを着た男が、高いかすれた声で話しかけていた。

 少女は顔を上げもせず一心不乱に携帯メールを打ち込んでいたが、ときどき頷いていたので聴こえてはいるようだった。


 その咳払いは、当然丹頂鶴の学生がしたものに違いなかった。


 わかってはいた。洋兵たちは少々はしゃぎ過ぎていた。

 ブレーキのない事を言い訳にして走る坂道の自転車のように、「怪我をしたくなければどけ! 」と叫んでいるような乱暴な振舞いと言われてもしょうがない。

 声も大きくなっていた。なにしろ。頭にカップを乗せたりしているのだから・・・・・・。

「うううっ、うーん」という声ではない音は(うるさい! 気が散る! すこし考えろよ! このバカ)と、モールス信号のような明確さと無機質さでそう伝えてきた。


 鈴はまた唐突にいいだした。

「明日は何時? 」すきま風のような声だったので、息がかかるほど鈴の顔が近づいた。

 ドキリとした。

「明日はどうする? 何時に終わるの? お仕事」

「5時だけど」

「そう・・・・・・? 5時に、終わるの・・・・・・」

 鈴は言葉は一瞬止まったが

「明日の仕事はかならず6時まえに終わるから、じゃあ7時! 7時に会って、今度はご飯食べよ! ねっ、ねっ!」


 すきま風はすぐに雷に変わってしまった。


 鈴とは今日が初めて言葉を交わしたことを思い出す・・・・・・。それも、出会ったことさえ偶然だ。

 いくら話が合い、気が合ってもこんなことはあり得るのだろうか? 

「プリンを譲ってくれたお兄ちゃん」ぐらいが普通だろう。

 その場で次の日の夕飯の約束をするのも普通だろうか?


 積極的過ぎるものに少々臆病になっていた。注意深くなる歳に近づいてはいるのは確かだった。しかし、それだけではなかった。


(まずいぞ! よく考えてこたえをだせ。もう一度考えて、あとでれんらくをすればいいじゃないか)

(そんなことはないさ、ごはんだけ食べて帰ればいいよ。こんな子が何を考えてるっていうんだ・・・・・・)

(なにかあって、こまるのはおまえだ。いつもこまってたじゃないか)

(こまったっていいじゃないか。おまえをかえるチャンスかもしれない)

(なんだ───。おどろいたな。かわりたいのか? ほんとうはいやっだったのか? じぶんが。なりたくてなったんだろ? いまのじぶんに)

(またおなじことがおこるというのか? かんがえすぎだ・・・・・・)

(やめとけやめとけ)

 

 明日の7時に大通り駅の近くのパスタ店で会う約束をした。

「きゃー。パスタ食べほうだい? 」

「ちがう、イタリアン食べ放題。パスタばっか食べてどうすんの? 」

「ピザも、スイーツも食べ放題よね? もちろん」

「そうだけど・・・・・・そのからだのどこにそんなに入るの? 」

「入る、入る。なんぼでも」

「なんぼでも? 」

「いくらでも、よ」と、言い直して彼女は舌を出した。


 女性は「量をたくさん」ではなく、「種類をたくさん」食べたいというのは知っている。

『食べ放題』のプラカードで埋め尽くされた彼女の頭の中は、もはや大通りの明るい夜の街に飛んでいた。

 明日は朝から何んにも食べないそうだ。「やめたほうがいい」といったが、───たぶん本当に食べない。


 鈴はさっきの洋兵の名刺の裏にアドレスを書いていた。

「これ、鈴のアドレスだよ」といってもう一行つけ加えている。

「あとでメール、送ってね」


 勇気凛々ルリの色@docono.ne.jp

 ローマ字に変換しないとつながらないピョン!

  へーちゃんへ  by パスタ命のりん


 極端に右上がりの字だったが、なんだ、これは? ローマ字にしなければって・・・・・・そりゃ漢字じゃつながらないだろ、それに・・・・・・ピョンって?

(無理がないか? )


 赤外線通信だとか、その場で確認だとかという考えまでには及んでいないらしい。

 初めて知ったが鈴は自分のことを「りん」と呼んだ・・・・・・。


 コーヒー代は僕が払うといった。いい終わらないうちに「ダメ」と口を一文字にして小さな財布から100円玉を5枚出していた。


 並んで店を出た。清々しいコロンの香りが優しく後をついてきた。カシャンと閉まるドアと同時に、流れるBGMは待ちかねたように街の雑踏に切り替わった。


 街路樹もところどころ色を染め始めている。


 後に続くように女の子と大柄の男が出てきた。よく見るとその顔はドーベルマンがワイシャツを着ているようだった。少女は相変わらずメールを打ちっぱなしだった。


「じゃ、明日ね」と手を上げたのは僕だった。

 うん、とゆっくりうなづいた鈴の口から言葉はなく、唇だけが「あした」と形をつくった。

 胸の辺りで小さく振られた手は「さよなら」なのか「明日ね」なのか、とにかく僕の目に焼きついた。

 洋兵と鈴の帰る方向は反対だった。別れたあとふり返らないことは、どのタイミングだったかもはっきりしないが、決めていた。明日、鈴が来なかったときの言い訳にも似たような気がする。洋兵は何にでも保険をつけておきたかった。

 起きた都合の悪いことは、自分以外の、誰かのせいにしようとした。


 二つ目の信号に近づき、無意識に後ろを振り返ったとき突風が吹いた。

 僕も、周りを歩く人々も、一瞬足取りが止まり、思いもよらぬ強い風に首をすくめた。

 埃が入るのを嫌って閉じていた瞼を開けた時には、鈴の姿は歩く人波で上書きされて、つぶされてもう区別はつかなくなっていた。


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