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3−4 遠い世界に

 久美さんの葬儀は函館でおこなわれた───。


 細長い針のような雨は途切れることなく、まっすぐ静かに降り落ちて地面を濡らした。流れるでもなくたまるでもなく、ただひたすら濡らすだけだ。

 涙雨。

 と、いうらしい。

 静かに。静かに。

 まるで、眠りをさまたげないように気づかいながら口の形だけで唄う母の子守唄のように・・・・・・。

 焼香におとずれた人々のいくつもの傘を弱々しい雨が濡らす。凪いだ夜の海のような音は寝息よりも、震える息よりも静かに、落とした肩にしみこむ。


 透明なビニールで被った何台かのテレビカメラがこちらを覗いている。傘とマイクを持ったレポーターが同じ言葉を同じ仕草で何度も語る。


 久美さんのショルダーバックをひったくったバイク。ふたり乗りの犯人はまだ捕まっていない───。


 一週前にも同じような事件おきている。同一犯ならこれで2件めだ。

 全力で捜査を進めているというが、一向に糸口すらみつからない。白昼の繁華街で大勢の人間が働き蟻のように行き交っていたというのに・・・・・・。

 変な方向からベルトに力が働いて、とっさに身をかたくしたのだろう。

 ショルダーベルトは久美さんの脇に食いこんだ。細いからだはそのまま軽々と空中を引きずられた。切れて、ちぎれてくれれば転んだくらいの怪我だけで済んだはずだった。

 よりによって鉄柱にぶつかって久美さんの体が半回転したはずみでそれはするりとはずれ、持ち去られた。

 天使のように羽がはえてふわりと浮いてから、ちょうどいい木陰に腰を下ろしてひと息ついているようだった。

 声をかけるのは心地よい眠りを妨げるようで気が引けると錯覚しそうなくらいきれいで、お昼の仮眠のようだった。

 今になって僕は記憶をつなぎ合わせた映像を覗いて、反芻はんすうしては、なぜだ? と問いかける。


「久美さん! 久美さんっ!! 」

 久美さんを抱きしめた僕は叫び続けた。見よう見まねの人口呼吸をし、両手を重ね、心臓を押し続けた。「だれか、だれか! たすけてくれ! 」

 死んでしまう! この人が! 久美さんが! 動かない、どうしたら───!

 だれか!

 伸太郎さん! 香織っ!


 たすけてくれ! たすけて・・・・・・。どうか・・・・・・。

 この人の。なにが、どこが悪いというんだ・・・・・・。

 夢なら、覚めてくれ!


 久美さんの体にはどこにも傷らしい傷はなく、痣も見当たらなかった。ただ、打ち所が悪るかった。それだけで・・・・・・。


 即死だった───。


 やっぱり。やっぱりなんだ。

 また、おなじことを思わずにいられない。残念だけど・・・・・・。

 神様は・・・・・・。

 いない───。


 麻酔が多く効いているだけであと1時間もすれば目覚めるのではないか、と誰もが思い、もう少し寝かせてやろうよ、と頬をなでていう目からは涙がとまらない。こらえるほど、もだえるほど、あふれだした。


 亜美は久美さんの傍らから離れようとしなかった。亜美は全身から涙をながしていた。

「久美ちゃん。おじいちゃんが来たよ。ほら、久美ちゃん。起きようよ・・・・・・久美ちゃん」でも。

「亜美ぃ〜。もう少し寝かせてよぉ」という日曜の朝の声はもう聴くことはできない。もしかして。あと一度声をかけたら。何かの間違いがおこって。目をさますのではないか? ひょとしたら。

 あと一度。もう一度だけ・・・・・・。久美ちゃん、もう、目をさまそうよ。

 と。


 伸太郎さんの父親である中村竜太郎さんはすぐに駆けつけた。

「代わってやれなくて、・・・・・・ごめんな。久美さん」声は嗚咽に変わり「伸太郎はどうして守ってくれなかったんだろうなあ・・・・・・」と顔をうずめた。

 中村竜太郎さんは僕を見た。震えると同時に叫んだ。

「おまえ! どうしてここにいるっ?! 」

 僕は中村竜太郎さんとは面識がなかった。だから。なにをどうしたらいいのか見当が付かず、「どうして、ここにいるのか? 」と問われても何も言えず、ただ竜太郎さんの涙でいっぱいの瞼の奥をうかがうことしかできなかった。

 久美さんの隣にいたくせに───、どうして助けてやれなかった?

 なぜ、身代わりにならなかった? そんなおまえが葬儀に顔を出す資格がどこにある?

 竜太郎さんのいう「どうして、ここにいる? 」をそんな意味にとらえた僕は、声など出せず、謝ることしかできなかった。深く。頭をたれることしかできずにいた。

 しかし、それは誤解だった。

「伸太郎・・・・・・? 」といぶかしむようにいった中村竜太郎さんの眼差しは僕を凝視したままだった。


 似ていたのだ。


 僕と伸太郎さんは瓜を二つとたとえるほど似ていた。眼鏡以外は。そういえば・・・・・・。

 坂口刑事と事情聴取で初めてあった日も、札幌駅で久美さんと初めて会ったときも、そして亜美も。伸太郎さんを知る人はみんな必ず、一度お決まりのように驚いた。

 少しばかりなら「そっくりだ」で済むものが、その域を大きく脱しているがゆえ、言葉という形にできないほど似ていたのだ。

 僕を幽霊でも見るようにはっとした。かるいパニックをおこして、伸太郎さんが過去からタイムスリップをして現在へきたか、それとも自分が過去にまいもどってしまったのか。

 もともと伸太郎さんの死亡などなかったことではないのかと。思考が過去や未来、現実と空想を交差して行き場を失う。


 初めて会った亜美は、僕をしばらく見て、久美さんを見て、また僕を見た。今思えば事前に久美さんから情報を得ていたのかもしれない。

 久美さんのマンションで夕食によばれたとき。伸太郎さんの写真がなかったのは、亜美に見せなかったのではなく、僕に隠したのではないのか。

 傷害事件をおこした僕を坂口刑事は弟のように親切にしてくれた。

 香織が自らの命を絶ち、僕が釈放された日の夜事故に遭って片足を失った。見舞いにも何度も来てくれていた。

 札幌での働き先も紹介してくれた。久美さんを通して・・・・・・。

 出迎えてくれた久美さんのその時の表情を言葉にすれば、そうだ。

「似ているとは訊いていたけれど、まさかこれほど───」という顔をしていた。

「本当は伸太郎じゃないの? 」

 そしてしばらくは、同じ会社にいても、親しげに話しかけてこなかったのは、久美さんの中で僕と伸太郎さんがだぶり、自分がどう動き、どう変わってしまうかが怖かったからなのだろうか?

 今となってはそれも僕の勝手な想像でしか見ることはできないけれど。


 明日、久美さんは煙となる。空にとけながら遠い世界の伸太郎さんのもとへ旅立つ。


     ▽


 夜があけても雨はやまず、坂口刑事はいまだに姿を見せなかった。

 亜美と僕は一晩中久美さんの話をした。久美さんが煙になるまえに、亜美との生活の2年間の短い時の流れにしては、いろいろな物語が山ほどあり、語りつくすには時間は月から見た砂粒のよう小さすぎた。

「坂口さんはプロポーズをしていたの」

 そういった亜美は久美さんの頭をなでた。「久美ちゃん。起きないとぜえーんぶばらしちゃうよ」笑った顔は、泣いていた。

「久美さん、なんて? 」

「なにもいわなかった。ただ笑っていた」

 久美さんは坂口刑事の初恋の人で、だから伸太郎さんとは親友で恋敵で。久美さんの精神状態をいちばん気にかけていたのは坂口刑事で。

 いつまでも、待つはずだった。

 その坂口が顔をみせない。犯人を追っている。

 そうとしか思えなかった。


 伸太郎さんのいるその場所を指し示すように、細い煙となった久美さんは天をめざす。

 久美さんおくりだす儀式を最後まで勤めようと、幼いながらも気丈にふるまっていた亜美は、係員の「最後のお別れです・・・・・・」という言葉を訊いたとたん、獣のように猛り狂い棺に覆いかぶさった。どんどんと叩く一本のてを血が出るほど握りしめて、あーっあーっと聞いたことがない絶叫が響いた。

「久美ちゃん! 久美ちゃん! おきてよ! 生きかえってよー! 」亜美は係員の足にすがって懇願した。「そんなところに久美ちゃんをいれないで! 」

 もう帰ってこられない───。

 もう帰ってこられなくなってしまう───。

 お願い! お願いだから、熱いところに入れないで!


 空へ旅立つ久美さんを傘の影からのぞいていた。放心状態の亜美の肩を抱いて、僕は涙がとまらない。頬のが歪んでは涙がしぼりだされる。

 亜美の時間は、またこの日から止まってしまうのだろうか・・・・・・。


 遠くに黒のワンピースを着た女性が佇んでいる。朝からずっとそこにいたことに今さら気づいた。僕が会釈をすると傘をあげて、すまなそうなおじぎを返してきた。

 鈴だった・・・・・。 

 昨日の夜のニュースで、久美さんのことが報道され、僕の顔も映ったらしかった。あの日、電話をするはずだった。

 鈴はいてもたってもいられず、汽車に乗ったといった。

 なぜ? どうして? とはいわず、「ありがとう」とだけいった。



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