3−3 雑踏の影
2007/10/10 8:14
From 加賀沢 鈴
Subject おはよー (^^)v
きのうはありがとう
おいしかった
また行こうね
今度は鈴がごちそうするねっ
安いのね(笑)
2007/10/12 8:22
From 加賀沢 鈴
Subject おはよー part2
あれれ?
メールまいごかなぁ?(>_<)
そういうこともあるよね
今日もお天気
よさそうだよぉ
2007/10/13 8:17
From 加賀沢 鈴
Subject おはよう
へーちゃん?
どうしたぁ????
おへんじ
ほしい・・・
2007/10/13 18:14
From 加賀沢 鈴
Subject おつかれ〜 (^^)v
鈴はいまお仕事おわりました
へーちゃんは?
このまえのパスタやさんに
8時ごろまでいます
2007/10/14 8:14
From 加賀沢 鈴
Subject 無題
おはよう
お返事もらえませんね
鈴がきらいですか?
でも
お話がしたいです
2007/10/15 9:03
From 加賀沢 鈴
Subject 無題
おはようございます
今日は日曜日ですが
へーちゃんはいそがしいで
すか?
じつは
とっても大事な話が
あるのです
少しでいいので
時間もらえませんか?
お願いします
▽
そして今日の朝、メールではなく直接電話がコールされた。5回鳴らされて切れた。
ダイジナ、ハナシ? 鈴。どうした・・・・・・
「どうしたの? 」
語尾を上げた久美さんの声と自分の心の声が重なって、僕は現実につれもどされた。
「あ、いや」
「いいこと書いてある? 」久美さんが遠くから携帯をのぞきこむようにしてたずねる。
「大事な話があるらしいんですけど」
「あら、いいわねぇもう。うらやましいわ」
そうだろうか? うらやましがられる種類の話だろうか? 「へへっ」と笑ってはみたけれど、なぜだか鈴のメールは深刻な懇願のようにも思え、変な胸騒ぎをおぼえた。
いや、いつも僕はみた夢の事さえ考えすぎる。考えたあげく、臆病になり、閉じこもって墓穴を掘った。
電話をしようか。軽い気持ちで。
着信履歴を開いて鈴の携帯をコールしようとしたけれど、もう昼の時間は終わろうとしていた。急いで少し温度の下がったコーヒーを流し込んだ。
▽
店を出た。真上からの陽ざしは高く、道行く人の影は短い。午後から就業までの時間を、「もう時間がないぞ」と囁くように後を追ってゆく。
何かがふんぎれたのか並んで歩く久美さんの顔は、はつらつとして眩しかった。ベージュのショルダーを肩に歩くヒールの音も軽快にリズミカルに午後の雑踏のアンサンブルとなった。
たった1段のちがいで、景色はみちがえる。
何かのきっかけで。
人からいわれた言葉からとは限らない。
自分が何気なく発した自分の言葉からかもしれないし、街を流れる風かもしれない。目が合った老人の会釈かもしれない。
一瞬に世界は変わるものだ。そうだ。表から見るか裏から見るかのちがい───。そしてどっちのほうから覗き込もうが規則はない。自分次第。
回転を忘れて慣性のままに宇宙を漂っていた球が、偶然ほんの小さな突起に触れて高速に回転し始めたようなそんな感覚。
永久に回転を続けるためには慣性の法則に従わなければならない。摩擦が抵抗になり、重力に吸い寄せられないように邪魔が入らない環境にいることが必要だ。
それが叶わないなら。
邪魔な抵抗よりも強い力で回ればいい。回せばいい。重力に逆らって跳び上がればいい。
もし、まだ会ってくれるなら連絡してみようか。・・・・・・鈴に。
『エスピー・ライフ・メンテナンス』が僕の勤める会社だ。社員は10人。社長の跡部宗太は今年45歳と若い。オーナーは父親で市内に高級マンションを五十棟も持っているという大金持ちらしい。
ビルやマンションの維持管理をしている僕らの仕事は、このオーナーが所有するマンションすべての設備を管理しているだけで間に合っている。
だから、さしたる営業をしなくても修繕箇所を業者に委託したり、交換期限のきた警報器や消火設備やらを交換したり、官庁への書類でも提出していれば会社としてやっていける。社員の給料もそこそこにベースアップもしていった。
要するに跡部連三郎というこのオーナーに囲われているようなものだ。
ぬるま湯だ・・・・・・。
現在僕は傾斜が変わってもずり落ちそうになると自動的にストッパーが働いて、それ以上危険のない環境に居座っていた。収入は決して高くはない。が、それと引き換えに危険の「き」の字もない場所に胡坐をかいている。
仕事は自分本位で、やりたいときにやり、時間を潰した。それでも咎められることはなかった。
いつだったかテレビのドキュメント番組で若い売り出し中の俳優を密着取材していたのを思い出した。
映画2本とドラマのかけもち、そして舞台。台本は山積みになる。コマーシャル撮影。深夜放送のDJは録音はせずに生放送を貫く。寝る間は移動中の車しかない。
走っても走っても追いつかない・・・・・・。
やはりフラストレーションは蓄積してガスが溜まる。
爆発寸前になる。
折れそうになる。
無愛想になっていく彼に女性マネージャーがいった。その時は僕の耳にも心のどこかにも引っかかることなく、つるんと素通りしていったただのテレビのスピーカーから出る音だった。
なぜだろう? いま。
説き伏せるというのではなく、淡々とした、鏡に映った自分自信にいっているようなその声は妙にリアルに、その時の声音そのままでよみがえった。
≪世の中には忙しい人と忙しくない人がいるんですよ。
忙しくない人は忙しくないことを、実は、よろこんではいない。
そして実は───。
忙しい人には忙しい人の幸せがあるんです ≫
眠い目をこすりながら彼はいった。
「幸せなのかな? おれ」
「そっか。幸せなんだよな・・・・・・おれ」
そして10分間の短い細長い眠りに落ちていった。受け止める2人掛けソファーの柔らかさは、やさしい。
思いおこせば僕の周りにはたくさんの言葉が埋もれていた。そして芽吹く野花のようにあちこちから顔をのぞかせた。
≪「もうだめだ」の「だめだ」とはだれにいわれた?
だめだと医者に余命でも宣告されたのか? それならしかたがないが・・・・・・。
自分が自分にいったんだろ?
決めたのは自分だろ? だめだ、と。
口に出して「だめだ」といわない限りは、いつまでも土俵ぎわで堪えていられるんだ ≫
僕は「だめだ」のずっと手前でもう両手をあげ降参していた。走り出す前から、ブレーキを踏んでいたんだ・・・・・・。
≪今日より明日がよかったら
明後日はもっとよくなるはずだ
・・・・・・そんなこと、あたりまえのことだろ? ≫
≪強がりなのか、強いのか
強がりも強さの一部だよ! ≫
≪もうやめてしまうのか?
本当のおもしろいことはそこから先にあるというのに─── ≫
久美さんの言葉の、話の。
亜美の前向きさの、思いやる心の、くったくのない笑顔の。
中村竜太郎の憂いの、優しさの。
伸太郎さんの男らしさの、誠実さの。
誰の何が記憶に残ったのかは思い出せない。
だけど確かに僕の中のめそめそとしたぬるま湯を、熱いほうにか冷たいほうにかに移行させられたことはまちがいない。
それも、一個の瞬きのうちに、だ。
人波は途切れ途切れにグループをつくるように流れていた。
街角のスピーカーからは呼び止めるコマーシャルの声が流れ始める。
歩調を合わせていた久美さんが僕のほうを向いた。彼女の唇から綺麗な歯が少しのぞいた。空を見上げて、空気を吸い込んで宣誓をするようにいった。
「今度また遊びに来て。・・・・・・だけどねっ! 」
雑踏と横断歩道の信号機の音で、「だけどねっ! 」の前が聞こえなかった。
「え? なんですか? 」
僕が耳に手を当てがって訊き返したと同時だった。「きゃっ!!」
久美さんの体は短い悲鳴をあげたかとおもうとふわりと浮かび、5メートルほど向うの信号機の鉄柱に吸いよせられた。それに従うようにスローモーションで、久美さんの全身を映した鳥のような影は歩道の上をなぞるように流れていった・・・・・・。
バイクの音は遠ざかっていった。