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1―2 王冠

 テーブルに肘をつき。

 両手の指を組んで。

 その上にあごをななめに、かるくのせた彼女が。

 感想を述べた。


「おもしろい顔ができるね」

 うふふと彼女は意味ぶかげに、幼稚園児でも見るように笑った。

 洋兵はオオカミの顔のままふがふがといった。

「まあね」


「“おばあさん”を。“飲み込んだとき”の。オオカミさん、は。そんな顔なんだろうね! 」

(───何かをいおうとしている)

(───伝えようとしている)

 赤ずきんちゃんを食べてしまうオオカミなんかいない。そんな話はない。

 食べてしまってはもともこもない。

 飲みこむのは───。

 おばあさん。

 それもぺろんと飲みこんでおかないと、あとでおばあさんはピノキオみたいに生きて帰ってこられないでしょ。


(───そういったのか? )


 僕の心が読めている・・・・・・? ふと、うなづいたような気がした。


 ばかな。

      

      ▽


 真っ白なブラウスが華奢きゃしゃな体をふわりと被い、さらさらと秋の光りを反射する。強い光りなどないのにそこだけ照度が上がったところにいるような彼女。


 『レディー週刊誌○○』からでも出てきたのではないか、と思わせる彼女と向き合うこの店『カフェ・ビートル』に流れるBGMはストリングスからピアノの音色にかわった。


 たしかこの曲は清涼飲料水のコマーシャルに使われている。ロックをクラッシックに変換した16ビートを、単純に4ビートに引き伸ばしたような曲調。

 濃く、薄く。浅く深く透明度の高い海を潜水するように室内の隅々を流れてゆく。単純で当たりさわりがなくて、倍音が多めに響いて余韻を残し、やがてどこかへ浸み込んでゆく。

 かえってこの空間にはあっているのかもしれない。


 滑るようにウェストの細いウェイトレスが彼女のコーヒーを運んできた。丁寧にお辞儀をして「ごゆっくりどうぞ」と微笑んだ。

 知り合いかと思うほど親しみのある笑顔に彼女は「ありがとう! 」と礼をいった。

 驚いてしまう───。

 どうしてはっとしてしまったのだろう。

 ありきたりなはずの言葉は、明るく弾んだ声を媒体にして、洋兵の心臓を優しく包み込み、山峡の木霊こだまのように沁み込んだ。

 スイスかどこかの、アニメなんかの背景画が似合いそうな国の歌のようにも聴こえた。

 安心しながら驚いたのは初めてだ。

 

 彼女はもぞもぞと動きだした。

 砂糖は入れない。ブラック派のようだ。

 (似合わない)

 そして皿ごと胸の高さまで持ち上げ、カップを口に運ぶ。

 (上品だけど、もっと似合わない)


 普通に飲む。


 猫舌っぽいほうがかわいらしさをもっと演出できるだろうに。

 (惜しい)

 その後の彼女の動作はよくできたあやつり人形のように、糸を伝うロスがあるかのように、どこかがぎこちなくなった。


 そんな仕草は自然だと、それが固有の雰囲気だと思わせる彼女なのだが、初対面同様の男に、突然「なんて呼ぶの」だの「へー」だのと、ただ一方的に。

 まあ、それなりに真剣だし、悪気などあろうはずもないだろう。飾らない可愛らしさとはこういうことなのか。

 今、自分の顔はいやらしくゆがんでニヤついてはいないだろうか。と洋兵は思う。

 それにしても・・・・・・

 その時空気がざわめき尖った!

「あっ! きゃーっ! へーちゃんっ!! 」

 彼女はいきなり皿とカップを頭の上へ上げてテーブルを睨んで僕を呼んだ。肩までの髪が大きくゆれる。コーヒーがこぼれ落ちないのが不思議なほどだった。

「なんだ! 」洋兵は息が止まる。「どした?! 」───出たのか? 「なにが!? デタ? 」 「!? 」「で? 」「ど! 」「───! 」

 洋兵は今のこの場所に不釣り合いな、いいようのないものが動めいているに違いないはずの磨かれたテーブルの上にぶつけるほど顔を近づけた。

 いつもなら。

『動揺などしないポーズ』を無意識にとる。うろたえてはいけない。気がついている。わかっている。落ち着いた自分にとって、それはまったくもって他愛のないことだ。いざとなれば一瞬でどんなふうにでも対処できる。


 のだ。


 という。


 他人からすると実に大したことのない。相当に価値のないポーズなのだが。あまりに急で、その相当に価値のないポーズをとることは後回しになった。


 ドキンという文字が、ドキンドキン、ドキンドキンドキンといいながらひと回りづつ大きくなってくる。

 体中を耳にする。視野は360度を確保した。


 でも・・・・・・。

 

 いまのところ。


 しかし


 ・・・・・・し、かし


 何も・・・・・・、ない・・・・・・。


 しかし 


 やっぱり


 なにもない・・・・・・。


 一応、アドレナリンを抑え、ひと安心したときだった。


「へーちゃん・・・・・」


 泣き出しそうな、か細い声は聞き逃してしまいそうだった。

「うん? うん。なにもないよ」

 大丈夫。と洋兵はそのままのテーブルと目線が垂平の姿勢のままで答えた。


 また声がする。「へーちゃん」


 今度は確認するように、少し大きな声で彼女はまた僕を呼んだ。

「うん。なにもないよ。へいきだよ」洋兵は彼女の大きな瞳と、艶のある唇をみて、震えていないことを確認していった。

 やはり女の子だ、不安で胸がいっぱいになったろうに。安心していいよ。ほら、僕もそばにいるし・・・・・・。怖いものなどないよ。


 そのときの洋兵は床から泥だらけの脱獄犯が顔を出しても、これっぽっちも驚かない岩盤のような自信があった。

 何事もないことをもう一度確認して、舞い降りた正義の使者のような返事をしようとした。声が上づらないように気をつけた。


「うん。大丈ぉ・・・・・・」


 洋兵の言葉が終わらないうちに彼女はいった。


「できたね。お、返事」やたら得意げな顔が見下ろしている。


 えらい子ねぇ、といって彼女は自分が持ち上げていたカップを洋兵の頭に乗せた。それはどこかの国の女王が勇者に王冠を与える儀式のようだった。


 その日から宮下洋兵はへーちゃんになった。


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