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1―11 夕焼けの部屋

 相変わらず久美さんはキッチンで忙しく動いている。しかし、例によって僕の顔はあまり見ない。 


 僕は上目遣いで久美さんの部屋を探る。

 低い本棚の上にはデノンのミニコンポがある。シャンペンゴールドで洒落たやつだ。その隣に何枚かのCDとMDが並んでいる。

1枚だけこちらを向けて、立て掛けているのは「ローランド・カーク」。ジャズを聴くのは知らなかった。そういえばあまり音楽の話はした覚えがない。というより、話さえあまりしないのだ。

 その壁には内田新哉の水彩画が飾られている。海が見える丘の、人だけが通る幅の道端に置かれた自転車が清々(すがすが)しい。そこだけ季節はまだ夏だった。


 しかし・・・・・・。やはり、ない。

 一度下ろした腰をまた持ち上げるのは、今の僕にとって一番腹立たしいことではあった。

 さっきよりも首の振り幅を大きくして、風切り音のない扇風機のような体勢で探しているものは、写真。


 ・・・・・・無いはずはない。


 肩なんか組んだりして、ニヤニヤしている写真・・・・・・。

 いや、結構カメラ目線の伸太郎さんは大真面目な顔をして、後ろで手を組んで警察学校の訓練前の朝礼のように微動だにせず、久美さんは開きすぎたVサインかLサインを「これでもか! 」というほど前に突き出している、印象的な笑える写真かも知れない。


 なければないで余計に気になるものだ。「困る」とさえ思えてくるから不思議なものだ。

 身振りも大きく、露骨になりだしたし・・・・・・。

 これならいっそ、きっちりと話を付けたほうが、今後の人間関係の継続にもよさそうなものなのに。しない。

 これ見よがしにそわそわしだす。ここまでくると、大袈裟なパントマイムで意思を無理矢理伝えているようなものだ。

 ショーウィンドゥの外からガラスを叩いて、中の彼女に気づいてもらおうと一生懸命の男、そんな感じ。

 それでも変なポリシーが邪魔を・・・・・・。

 この場合のこれは簡単にいうと、「強情」という。

 強情が変な角度で跳ねっ返って、それも運悪く裏返しで着地したりすると・・・・・・「偏屈」という普通、世間ではあまり好まれないものに置き換わる。

 そして、それに気づいている久美さんも十分、今のところは第1段階の「強情」の路線に当てはまる。


  

「ないですよ」モニターで監視でもしていたように、教室のスピーカーから出てきた声のようだった。こちらの挙動不審ぶりが目に余ったらしい。

「何がですか? 」僕は、一応とぼける。

「探してるものがですよ」

 後ろ向きの久美さんは、コーヒー豆にゆっくりと熱湯を注ぎながら言った。こちらから手元が見えなくても集中しているのがわかった。

「まさか、そんなはずは・・・・・・」僕の言葉はうわ擦る。

「ないの───」久美さんはサラッとした口調で言った。

「なぜに? 」

「約束なの」

「誰との? 伸太郎さんと? な、わけないか」いない人と約束なんかできない。

「あと9年したら、見せてあげるわ」と、振り向きざま両手で写真の形をつくってみせて、またもとに戻った。やはり目は合わない。


 見てやろうと思えば、どうやったって伸太郎さんの写真ぐらい探せる。それも、そんなに難しいことではない気がする。だけど、知らないことが暗黙の約束だと思っているというか、思いたい。

 9年と言うなら、9年。待とうじゃないか。

 9年後に想い出を取り出して部屋中に広げたときには、ランプを擦ったら魔人が出てきて、びっくりして嬉しすぎる日になりそうな気がする。

 知らない伸太郎さんの顔は、不本意そうだけど、笑って手を上げた挨拶をしながら僕の脳裏を横切っていった。


 夕焼けが始まった窓の外は、100台の消防車がオレンジジュースでも放出したように、秋の雲を茜色に染めていた。

 この何日かの札幌の空はご機嫌で、天気予報通りの晴天が続いていた。



      ▽



 ドアホンが2回。続けて鳴った。

 1回目と2回目の間に、意識的に作ったような間隔がある。休符と言ったほうが分かりやすい。個人を認識できるような2人だけの取り決めかもしれない。


 振り返った久美さんの顔にぱっと光が当たった。それからくすぐったいようなえみが口元から鼻、目尻へと順番に連鎖していった。会社では絶対に見せないやさしい皺ができた。


「来た? 」久美さんを見て僕が短く訊いた。そのついでに緊張したふりをする。

「来た来た」と言いながら、必要がないのに久美さんは足を忍ばせた。

 2杯分の淹れたてのコーヒーが入ったポットをテーブルに置いたまま、久美さんは玄関ドアのロックとチェーンを外しに行った。

 何日か前に、ここに来る約束をしたときに、今ドアが開くのを待っている人とは電話で挨拶だけは交わしていた。メトロノームのように正確で、はっきりとした明るい声だった。

 それだけでわかる。───聡明だ。

 さすがに顔は想像しようがなかった。久美さんが「私に似ている」と言っていたから、どうだろう? それなら美人系か・・・・・・。

 

 ドアを目一杯に開かなければ入って来られないらしい。体を横にして侵入を試みているようだ。最初に大きなトートバッグが照れた子供のように顔を出した。

 鼻で荷物を抱えた象が半歩づつ入ってきたらこんな感じだろうか。

 どどっ、と崩れ落ちるように荷物が置かれ、当たったスリッパが回転した。


「こんにちわー! 」


 肩からも大きな黄色いズックのバックが斜めに下っている。赤い顔が蒸気している。こぼれ落ちそうなほど詰め込まれている荷物が相当重いのだ。

 まだまだあどけない、中学1年生だ。耳を隠すぐらいのショートカットは活発そうに見せる。鼻筋が通って、シャープな顎の切れ具合は久美さんとは少し違うけれど、間違いなく美人だ。

「こんにちは・・・・・・」と、僕は桃太郎のように立ち上がった。

 緊張で声が裏返しにならないように、いつもより若干低いほうから出そうと決めていた。もったいぶったように聞こえたかもしれない。

 少女は暫く僕の顔を見つめていた。そして久美さんを見つめて、また僕を見た。いつかの遠い記憶のカードをめくっているような、そんな感じも窺える。

 久美さんはその様子を観察するように眺めていた。札幌のどこかで会っているだろうか? いや、たぶん初めてだ。


「会いたかったです! 宮下さん」大人びた少女の言い方に少し驚いたふりをして、僕は両手を広げた。

 少女は靴を揃え、左の手だけで荷物を降ろし、器用に上着を脱いだ。

 

 僕も言った。


「会えたね。───亜美ちゃん」


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