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1―10 保護色な言葉

 伸太郎さんの葬儀に宗方夫妻の姿を見ることはできなかった。


 宗方夫妻は宗方亜美ちゃんの両親だ。亜美ちゃんというのは、あの事故の日、身代わりになった伸太郎さんに突き飛ばされて命が助かった、あの少女のことだ。

 そして、片腕を失ってしまった。

 死と直面し、大怪我にみまわれ、抜け殻のような・・・・・、というより触れることすら許されない、近づいた時に巻き起こるわずかな空気の移動にも耐えられなくて、舞い上がって、どこかへ行ってしまいそうな、薄い薄い殻、そのものになってしまった。

 かわいい魔女の操る魔法の掃除機ぐらいでしか吸い取ることはできないぐらい、そのショックは計り知れない。


 宗方夫妻は、伸太郎さんの病室には一度来たきりで、次に顔を見せることはなかった。

 高齢になって、やっと授かった我が子の惨劇を目の当たりにさせられた宗方さんも、普通でいられるはずもなかった。

 半ば放心状態で担当刑事に付き添われ、チューブが体中に張り巡らされて、なお意識不明のまま眠り続ける伸太郎さんの傍らのパイプ椅子に、バスを待つように座っただけだった。


 亜美ちゃんのお母さんは、亜美ちゃんが産まれてから長い間、心臓病を患っていた。

 その日は久しぶりに外出許可をもらっての、家族らしい一日のはずだった。

 何かの荷物のように飛ばされる亜美ちゃんの惨い姿を目撃してしまったお母さんは、そのまま気を失い病院へ運ばれた。


 

 非番の現職警官が身を捨てて少女を救った行動は、美談として連日ワイドショーの話題に取り上げられた。

 そして、一人のリポーターが口走った何気ない一言が、久美さんにも、宗方さんにも世間にも、言いようのない苛立ちとやるせなさを、心の底の湿った場所に植え込むことになる。


 見たくもない事故現場を背景にして、神妙な顔をした40代半ばの男性リポーターは、舞台役者のような手振りで動き出す。

 一歩一歩、タイミングを計るように歩きながら、その時間、伸太郎さんが警察官だった頃の事。亜美ちゃんの学校の成績や性格。近所の主婦のコメント。

 カメラから視線を少しもはずすことなく重々しく語り出す。

 そしていう・・・・・・。

「もしも、亜美ちゃんが突き飛ばされていなければ、もしも、その方向が少しでも変わっていたなら、亜美ちゃんの腕は、どうでしょう? 失われていなかったかもしれませんが・・・・・・」

 何を言い出すんだ───。

 伸太郎さんは少女をかばった。今さら、どうしろと言うのだ。

 そんなことを言い出したらきりがないじゃないか───。

 後学のためにか? このことを何かの参考にするのか。

 あの時ああすればこうすればと反省を繰り返したところで、周りが顔を寄せ合って意見を述べ合ったところで、伸太郎さんは死んでしまった・・・・・・。

 絶対に口から先には出せない言葉は、舌の先で無理矢理フィードバックさせられて、腹の奥底で悶々とする。


 久美さんのアパートの窓ガラスが皹割ひびわれていたのは、四十九日を過ぎた頃だった。

 何かが偶然に飛んできたものと思い、その時はサッシを取り替えた。

 それから何日か経った日の夜。

 眠りに着こうと戸締りを確認して窓越しに立ったときだった。

 ガシャン! と嫌な音が鼓膜に刺さる───。

 前と同じ箇所に投げ込まれたのは拳ほどの角ばった石だった、とっさにカーテンをひき、気配を探るが外は闇に闇を重ねただけで何も見えない。

 そのとき!

 右折してきた車のヘッドライトが急ぎ足で立ち去ろうとする人影を照らした。

 目が合った!

 その残像は黒い縁取りまでもして久美さんの瞼にしっかりと写りこんでしまった。「・・・・・・どうして、あなたなの? 」

 全身の力は栓を抜いたように、あっという間に床に流れ出て、背骨も太腿も支えることは出来ず、その場だけ重力が増えたように、ぐったりとへたり込んでしまった・・・・・・。

 その人間は、悪戯のサーチライトのように追いかけてくるヘッドライトから逃れようと、しゃがみこんで垣根の脇に隠れようとしたけれど、そむけた顔は久美さんの驚いて見開かれた目と鉢合わせをした・・・・・・。

 

 その夜は眠れるはずもなく、ただ驚きと悲しみと無念さが交差する、終わりのないような、底のない井戸に投げ込まれたような夜の中で、身を硬くするだけだった。

「伸太郎・・・・・・たすけて・・・・・・」と、遺影を抱いて、音がするほど震えながら朝が来るのを待ち続けた・・・・・・。


 次の日、坂口刑事の後ろで見えないほど小さく縮こまって、口の端を下げて、震わせて、バッタのように何度も何度も謝る宗方さんがいた。

 自分から坂口刑事に付き添いを頼んだらしい。

 顔を見られたからなのか、自分の愚かさを悔やんだのかは分からないけれど、制御が利かないショベルカーのような自分を、どうして良いのか分からないまま時間を送っているのは確かだった。

「すみません。許してください。すみません。すみません・・・・・・」

 最後にはうずくまり、土下座になっても頭をコンクリートに擦りつけ、鼻水と涙が入り混じり嗚咽になってもなお謝り続ける。「許してください・・・・・・すみません・・・・・・すみません・・・・・・どうか・・・・・・許してください」

 そして、急に、コンセントが抜かれたようにぐったりとした背中が言った。


「昨夜、家内が・・・・・・亡くなりました・・・・・・」


 昨夜、亜美ちゃんの病院で洗い物をしていた宗方さんに、奥さんの入院先から電話が入った。

 ・・・・・・容態が急変して・・・・・・。いま、お亡くなりになりました・・・・・・。

 蒼白の宗方さんが真っ先に向かったのは、奥さんの眠る病院ではなく、伸太郎さんと久美さんが暮らしていたアパートだった。

 そのときの宗方さんは、人間の被り物をした幽霊だったのだろうか?

 どうして?

 どさくさ?

 腹いせ? ・・・・・・腹いせ?!

 

 あなたに何をしたの!

 え?

 突き飛ばした角度が悪い? だから・・・・・・

 お前のせい?

 自分がこうなったのも、妻が死んだのも───全部・・・・・・。


 私の家のガラスが割れれば、あたなの子供の腕が生えてくるの?

 私が怖さで怯える振動で・・・・・・あなたの奥さんの心臓はまた動き出すの?


 久美さんの心は音を出してしぼんでゆく・・・・・・。

(伸太郎?・・・・・・私は、どうすればいいの・・・・・・)



 ───荷物といっても、それほどあるわけではないし。伸太郎と初めて買ったクリーム色のソファーと、伸太郎が初月給で買った液晶テレビと、高校生のときに私があげたベンジャミンを最初に持っていこう───



 その日の夜、久美さんは函館を出た・・・・・・。



 今から3年前のことだ。


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