目蓋の母
突然、ヤールンサクサにスルーズと呼ばれたリンドブルムは困惑していた。リンドブルムには、そのスルーズという名に、一切覚えがなかった為である。しかし、そんな彼女にかまうことなく、ヤールンサクサは歩み寄りその両肩に手を置いた。
「よくぞ戻った!母は嬉しいぞ!・・・しかし、妙だな。其方確か・・・」
不思議そうに、ヤールンサクサが首を傾げたその時、見かねていたゲルヒルデが、リンドブルムに助け舟を出した。
「ヤールンサクサ様、彼女はスルーズではないっス!スルーズは、人間の勇者と婚姻し、名を変えましたっス。そのヒルデガルドの娘が、そこのリンちゃん・・・じゃなくて、リンドブルム嬢という事っス!」
そうゲルヒルデに言われて、再びリンドブルムを凝視するヤールンサクサ。しかし、どうやら彼女も違和感があったらしく、即座に納得したようであった。
「言われてみれば確かにそうだ。あの娘の髪は、私譲りの金の髪だったが、其方は燃えるような赤い色の髪をしている。すまないな、久しく見ていなかった娘と瓜二つの其方を見て、勘違いしてしまったようだ」
残念そうに言うヤールンサクサであったが、一転満面の笑顔に戻り、リンドブルムを抱きしめた。
「だが、スルーズの娘ということは、私にとっては孫娘にあたるということではないか!よくぞ、尋ねてくれた!私は嬉しいぞ!」
自分を抱きしめる女神に混乱しつつ、リンドブルムは、ゲルヒルデに尋ねた。
「ゲルヒルデ様、この御方は・・・?」
その問いに首肯しつつ、ゲルヒルデは答えた。
「ヤールンサクサ様はスルーズの母君。つまりヒルデガルドの母上で、リンちゃんにとっては祖母にあたる御方っス」
リンドブルムは、突然現れた自分の血縁者に驚いていた。母の素性は父、ガルガンチュアでさえ口を閉ざして語ってくれなかったからだ。ゲルヒルデと共に旅をする内に、それとなく語られる母の物語に聞き入り、それが二人の仲が良くなる切欠になったりしていた。それで、ようやく自分の母が、トール神の娘の戦乙女であり、元は女神の一柱に数えられていたことを知ったばかりであった。驚きとともに受け入れ、そして誇りとなった事実に、そうであるなら父上も包み隠さず話してくれればよかったのにと少し恨めしく思ったほどである。
しかし、今回の旅の目的は、ジークフリートの旅の力になることであった彼女に、降って湧いたかのようなこの出来事は、理解の追いつくものではなかった。だが、幼少の頃より、母を失い、父一人娘一人で育ってきた彼女にとって、今自分を抱きしめてくれる女性の体温とその香りが、まるで実の母のように思えた。
知らず、リンドブルムは、ヤールンサクサの腰に手をまわし、抱きしめ返していた。
「・・・お母様」
それは、誰に言うでもなく滑り落ちた呟きであった。その消え入りそうな声に過剰に反応したのはヤールンサクサであった。
「ああそうとも!!其方の母も同然だ!!母と呼ぶがいい!私が許す!!」
ヒシと抱きしめ合う二人に、他の者達は温かいものを感じ、二人が落ち着くまで見守り続けた。
時間にすれば三十秒程であろうか、気恥ずかしさに、リンドブルムが身じろぎしてヤールンサクサから離れると、一礼して名を名乗った。
「では、改めて名乗らせて頂きます。ヴィーグリーズ第一王女、リンドブルム。ジークフリート殿の供として、御前にまいりました。此度の邂逅は、望外の喜びです。・・・その、お母様」
顔を赤くして俯くリンドブルムを、再び抱きしめたヤールンサクサは喜々としてジークフリート達をグラズヘイムヘ招き入れた。余りの勢いに、手を引かれてついていったリンドブルム以外の者が、慌てて追いかけた程である。
「誰か忘れておらんかの・・・」
自己紹介もできず、置いて行かれたヴィーに、ジークフリートが気付いたのはそのすぐ後のことであった。ジークフリートは、土下座する勢いでヴィーに謝り倒して、ようやく許して貰えたのは余談である。
ヤールンサクサと、リンドブルムの邂逅。これがリンドブルムにとって如何なる運命を彼女にもたらすのでしょうか!?
以下次回!!