序章
この世界とは異なる次元に存在する異世界、アズガルド。
九つの世界から成るこの世界では、科学ではなく魔法がその世界の住人の生活を支える術であった。
行き過ぎた科学は、魔法のように感じることがあると言うが、この世界では逆に、魔法そのものが科学として存在していた。
そのアズガルドを構成する世界の一つ、英雄達の魂が集う場所、グラズヘイムでは、今まさに最終戦争が勃発し、全ての生命が、消えようとしていた。
金色の雲海の中に、浮遊大陸が点在するグラズヘイムは神々が住まう場所である。
その中心、主神オーディンの治める玉座、白亜の宮殿が立ち並ぶその都市ヴァーラスキャールブでは、常の平和の面影は、街全体に響く警報によって打ち消されていた。
その宮殿に造られた、巨大な格納庫とでもいう場所に、一人の隻眼の壮年の男性が、白銀の鎧に身を包んで先を急いでいた。
彼こそ、この世界の主神、オーディン神である。
オーディン神の向かう先には、機械の巨神とも言うべき存在が立っていた。
全身が神の金属、オリハルコンで創られた白亜の機神、その名は『叫ぶ者』オーディン神が、戦場で纏う彼自身の分身とも言うべき存在である。
「叫ぶ者よ、遂にロキの軍勢が、ここグラズヘイムにも侵攻してきた。我等はここで死すことになろう。しかし、ただではやられぬ!未来に希望を繋ぐ為、今一度お主の力を貸してはくれまいか?」
その問いに、オーズは地の底から響くような雄叫びを上げた。
その目は、雷光を宿し、滾る闘気はオーディン神の居城、ヴァルハラ神殿を揺るがせた。
オーズは魔導科学で創造された、魔導巨神である。
魂を宿すその双眸が、オーディン神に応と答えていた。
「うむ!では行くか、我が友よ!」
しかし、そこへ駆け付けて来た者がいた。
「父上!何故我等は出撃してはいけないのですか!!」
それは、オーディン神の九人の娘の長女にあたる、ブリュンヒルデだった。
まるで共に戦場に行くような戦装束でオーディン神の前にまわると、自分も共に戦うと願い出に来たのだ。
しかし、オーディン神は静かに首を振り、その願いを取り下げた。
そして、一つ残った澄んだ青色の目でブリュンヒルデを見つめながら言った。
「そなた達を連れて行くことは出来ん。この破壊と再生の連鎖を止める為には、そなた達の力が、必ず必要となる時が来る。それまで、しばしの間、封石へ入り、眠りに就かねばならぬ」
「そんな!!」
「聞きわけてくれ!そして、未来において必ず現れる救世主を導き、世界に安らぎと平安をもたらすのだ!」
そう言うと、オーディン神はオーズの瞳から発した光に照らされ、その身体は光の粒子となり、オーズに取り込まれた。
「父上!!」
「お止めなさい!ヒルデ!!」
尚も、オーディン神に追従しようとするブリュンヒルデを止めたのは、金色の鎧の騎士鎧を纏ったオーディン神の妻にして、グラズヘイム最強の戦乙女フリッグであった。
「母上・・・」
「父上がどのようなお気持で、あなたに未来を託したと思うのです!短慮を起こして、蛮勇に走ってはなりません!それに父上と共に戦いに赴きたいと思うのは貴方だけだと思うのですか!?」
フリッグが視線で促した先には、ブリュンヒルデの八人の姉妹達が揃っていた。
「姉上・・・」
「姉様」
「姉さん」
「姉君~」
「姉貴」
「姉御」
「姉者」
「おねえちゃん」
ブリュンヒルデの行動について行くと姉妹たちの瞳が雄弁に語っていた。ブリュンヒルデは困った顔で、溜息をつくと、姉妹達に言った。
「馬鹿者・・・これでは行けぬではないか」
ブリュンヒルデの元へ姉妹達が集まり、互いに抱き合った。
フリッグは、その姿を見て憂いなく出撃していく夫の乗った魔導巨神の大きな背中を見送った。
「ついて行きたかったのは、私もですよ・・・アナタ・・・」
その呟きは、魔導巨神の起こした風でかき消えた。
オーディン神が戦場であるグラズヘイムの果ての空中に辿り着くと、そこには金色の輝きが整然と隊列を成し、迫り来る魔神族に備えていた。その輝きの一つ一つが、エインヘリヤルと呼ばれる不死者達の乗る大型動甲冑、魔導機である。その隊列の中心に金色に輝く巨大な空中戦艦があった。光神バルドルの旗艦、太陽の船、フリングホルニである。その甲板上に、雷神トール、光神バルドル、戦神テュ―ルが、それぞれの魔導巨神に乗って待っていた。
『遅かったな、オーディン!奴等はすでに次元境界線を破り、こっちに突入してくるぞ!』
トール神の乗る魔導巨神が、その武器、雷神の鎚で指した方向を見ると、星雲のような鮮やかな空間の中心から、暗雲のようなものが溢れだし、それが次第に大きくなり始めていた。
『エインヘリヤル達の準備は?』
『すでに、魔導機に乗って待機中ですよ。父上』
そう答えたのは、神滅の槍を持った魔導巨神に乗るのは、光神バルドルである。
『敵の突入と同時に、こちらも仕掛ける!この戦、負ける訳にはいかぬでな』
戦神テュールが乗る魔導巨神が腕に巻きつけた魔法の鎖、貪り食う者を振り回しながら、戦闘態勢に入った。 空間の歪みである暗雲が渦を巻きその中心から、巨大な黒い船の舳先が突出すると、その周辺からロキの僕である霜の巨人族が大挙して押し寄せて来た。
『無茶しやがる。あれがロキの旗艦、ナグルファルか!全機防御陣形!!押し返すぞ!!』
雷神トールが叫ぶと、魔導機達がその陣形を変える。まるで蜂の巣のような形である。しかし、確かにこの陣を襲う者は、その痛烈な一刺しを受けるであろうことは、容易に想像できる。
だが、巨人達は恐れなく、紫色の光の翼の付いた鎧を纏い、空中から襲いかかって来た。秩序も統制もないバラバラの突撃である。しかし、その数は圧倒的である。
オーディン神は、神罰の槍をオーズの掌に出現させ、敵の群れに投擲した。
槍は、白き光の矢となり、巨人族を蹴散らして行く。
しかし、その閃光は暗雲の中心に現れた巨大な影に弾き返された。
『来たか!ロキよ!!お主の野望、ここで終らせてやる!!』
巨大な影に立ち向かう、神々とその軍勢達、こうして一つの時代が終ろうとしていた。
神々の時代から、人間の時代へと・・・しかし、未来に傷跡を深く刻み込んだこの出来事は、人々の記憶から神々の存在が希薄となり始めたとしても、その後の時代に影響を与えるだろう。
そして、それから二千年の時が流れた。
真の始まりです。