「音」
たぶん人は、予期しない「音」を煩わしく感じるのだと思う。
自分の身体の外から聞こえる、不規則な連続音とか。目の端に入る、赤の他人の貧乏揺すりだとか。
疲れているときはなおさら、その「音」に対する許容範囲が狭くなってしまうのではないでしょうか。
その極みが「静かなところに居たい」
……無音を求めるということ。
何かを予期し続けながら、自分を確立していくことに疲れてしまっているのかもしれません。
エアコンの空調
車のエンジン音
女の子たちのおしゃべり
シャーペンが机を叩く音
パソコンのキーボード
……などなど。
そういった「音」もそうであるし、また少し色の違う「音」も苦しくなる原因なのかもしれません。
いつも自分につっかかってくる人
終わりの見えない今日の繰り返し
喧嘩している大人たち
付近で広がる冷戦
人と人とがスレるとき、「音」がします。
——あ、いまの少し違ったかな
——それ以上言ったらだめ
その「音」が重なると圧となって全身が押し潰されそうになります。
それでも隣にいる人のふとした笑顔に、心救われ、癒されている自分がいるので不思議です。
つまりは……
遠い笑顔も
遠いお喋りも
自分が全身をもって浸かれないものだから、煩わしくなる。という一面なのでしょうか。
それとも、本当に居てほしい人の笑顔は側にあっても全くもって疲れない、むしろ心安らげるということなのでしょうか。




