9*政幸と敏幸
政幸の外出許可期間と、私の出産が重なり、政幸は外出許可を私と幸人の退院に合わせて3日ほど延長してもらえることになった。
私の退院後、シェアハウス内は大にぎわい!!
誰がオムツを変えるか、誰が寝かせつけるか、誰が沐浴(赤ちゃんのお風呂)をさせるか…
がしかし、このシェアハウスには、出産はもちろん、育児経験者は、一人もいない。
こんなに大人数で、全員未経験者とは……トホホ…。
ま、みんなも喜んでくれてるし、いいとしよう!
明日、政幸は病院へ戻る。
そしたらまた、次の抗がん剤治療が始まる。
私は1つだけ、病院へ戻る前にどうしても政幸に聞きたいことがあった。
弟…仲尾さん。
仲尾 敏幸のこと。
政幸が、シェアハウスに来てから、彼は1度も戻って来ていないらしい。
政幸がいるからだってのは、理解できるんだけど、戻りたくないのか、戻ってこれないのか…
むっちーが言ってたように、私も仲尾さん…敏幸が母親を殺したなんて信じられなかった。
それに、よく考えてみると不自然じゃない?
万が一、その、敏幸がお母さんを…
それが事実なら、刑務所にいるはずよね?
まさか、逃亡犯!?
そんな訳ないわよね。
とにかく、ちゃんと政幸から説明してもらいたい。
子供たちも眠って、ダイニングテーブルには、私と政幸の2人きりになった。
今だ…!
私はそう思い、台所でコーヒーをいれながら政幸に話し掛けた。
「あのね、仲尾さん…敏幸さんのことなんだけど…」
私の言葉に、はぁ~っと深いためいきをついた政幸は、肘をついて遠くを見つめている。
そっと、私は入れたてのコーヒーをダイニングテーブルに置き、政幸の隣に腰を降ろした。
「あいつの話を美鈴にすることになるなんてな。
お前と知り合う前の話だから、出来るなら…話したくなかった…だけど話さなきゃな…」
政幸は、ゆっくり話始めた。
「敏幸は…アイツは小さい頃から勉強好きでな、母さんは敏幸の将来が楽しみだった。そんな出来のいい弟が、俺もまた自慢だった。
母子家庭の期待の星だったって訳だ。
アイツは期待通り、医者になった。
昼も夜もアイツの学費の為に働いた母さんが倒れたのは、アイツが医者になって3年後だった。
医者ってもんは、なってからすぐに高収入って訳じゃなくてな、研修医って言ってまだまだ一人前と認められないんだ。
だから、医者になってもすぐに母さんは楽になった訳じゃない。
実際のところあいつがまともな給料もらったのは、母さんが倒れる1ヶ月前からだったからな…母さん、大変だったんだろうな。
今思えば、俺ももっと手伝ってればって、後悔ばっかだよ…。」
政幸は、少し自嘲するように笑った。
「いい、弟さんなんだよ…ね…?」
私は政幸に聞いた。
いや、確認した。
だって、親の期待に応えてお医者さんになるなんて、誰にでも出来ることではないから。
だけど政幸は、私の希望通のストーリーは語ってくれなかった。
…………
母さんが倒れ、入院になった。
その時、担当したのは敏幸。
あいつには看護師をしているフィアンセがいた。
名前は…確か愛さん…だったかな。
その人が母さんの担当看護師になったんだ。
手術もない、点滴と食事、休養の入院。
大事をとって2週間ほどの予定だった。
俺は、見舞いには行かなかった。
敏幸が母さんをみててくれるし、安心だったから。
それに、もうすぐ義妹になる愛さんもいたし。
何にも心配することはない。
退院したら、温泉にでも連れていってやるか。
そんな呑気なこと考えてた。
なのに…
会社の同僚と一杯やろうと、居酒屋に入ってすぐ、病院から連絡が入った…
母…
危篤…俺はなんでだと思った。
だって、ただの過労だろ?
何で危篤なんだ?
タクシーに乗り込み、敏幸に電話をかける。
事情を聞きたくて。母さんの様子が聞きたくて。
敏幸。俺はお前が居るから安心してたんだぞ!!
一体、何が起きたってんだ!!
「兄ちゃん…済まない…俺のミスだ…」
それだけ言うと、敏幸は電話を切った。
それから、病院に着くまで何度も何度も敏幸に電話をかけたが、繋がらなかった…
11時…
病院に駆けつけたが、母さんはもう目を開けることはなかった…
敏幸のフィアンセの愛さんは、ただただ、俺に向かって、
「ごめんなさい…」
それしか言ってくれず、事情を聞くこともできないほどパニックに陥り、泣きじゃくっていた。
敏幸。
電話にでることなく、病院にも姿を見せず、愛さんの前にも現れることなく…
母さんの葬式にも来なかった…
アイツは逃げた。
己の失敗を受け止めることができず、アイツに関わる全ての人から逃げた。
………
私は、ただただ頷くことしかできず、政幸の話をずっと聞いていた。
………
それから、母さんの葬式が終わり、10日ほどたってやっと病院側から説明があった。
弟、敏幸の投薬ミスによる急死だった。
俺は、敏幸を探した。
フィアンセの愛さんも、連絡がとれない。
そのうち、49日も過ぎ……
愛さんは婚約を解消。
俺も敏幸を探すことを辞めた。
探したところで母さんは生き返らない。
探したところで俺はアイツを許せない。
探したところで何も元には戻らない…。
………
私と政幸の間に、しばらく沈黙が続いた。
政幸は、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、私の肩をそっと叩き、2号室のドアを開けた。
何も言えなかった。
幸人が泣き出したので、私も2号室へ行くと、政幸は賢人と義人の間に丸くなって寝ていた。
暗くてよく見えなかったけど、こちらに背を向け、肩を震わせていた政幸は、多分……
そんな政幸に私は小さく、
「お休み。」
そう言い、幸人を抱いてリビングルームへ戻った。
翌朝…。
政幸は、次の抗がん剤治療のため、病院へ戻った。
9*政幸と敏幸
完
10*いざ、決行
続く。