惨劇の始まり
それは、突然の出来事だった。
就寝時間になり始めていた。
華は読んでいた本を閉じ、窓の外を見る。
(……明日も赤野先生と色々と話せるといいなぁ……)
赤野章介がこの病院に来てそろそろ三週間になろうとしていた。
赤野がこの病院に成れ始めていた時だった。
いつの間にか華は、赤野と話すことを楽しみとしていたのだ。
明日の事を考えながら、病室のベットにもぐりこみ、ゆっくりと目を閉じて、眠りにつこうとした……が、その眠りは突然妨げられる。
次の瞬間、窓ガラスが突然割れる、激しい音が聞こえてきたのだ。
「っ!」
何が起きたのか理解が出来ない華はすぐにベットから起き上がると、そこに真っ黒い、人のような存在が立っていたのだ。
割れた窓ガラスなど気にしていないように、ジッと赤い瞳がこちらに視線を向けた。
華は、言葉が出ないまま震えていた。
目の前に居るこの人物は何者であり、本当に人間なのかどうかもわからない。
華はベットから起き上がることも出来ず、逃げることすら出来なかった。
赤い瞳の人物はゆっくりとこちらに近づいてくる。
(だ、誰か……っ)
逃げないといけないのに逃げられない。
その際、男は確実にゆっくりと近づいてくる。
瞬間、華の細い腕を、その人物は掴み、口を開いた。
「なるほど……お前か」
「……え?」
「探したぞ、『イヴ』」
「い……ぶ?」
目の前に居るこの人物は何を言っているのか華には理解出来なかったが、声のトーンからして性別は男性に違いないだろう。
男はどこか楽しそうに華に向けて笑っている。
瞬間、強い恐怖が華に襲い掛かってきた。
(私……ここで、殺される?)
この病院に入院していた時から、自分の病気が重い病気で治る確率が低いという事はわかっていたはずだった。
『死』を覚悟していたはずだったのに、華の頭に浮かんできたのは毎日のように色々な話をしてくれた赤野の事だった。
覚悟が、恐怖へ変わる。
(やだ……死にたくないッ!!)
『死』から、『生』に変わった。
次の瞬間、華は男の腕を強く振り払い、ベットから逃げ出す。
とにかく今、必死で逃げなければ殺されてしまうと思ったからだ。
華は病院の扉に手を伸ばし、ドアノブを掴んで開いた瞬間だった。
「オレから逃げられると思っていたか、『イヴ』」
「っ!!」
だが、逃げられなかった。
とにかく無我夢中で逃げようと病室から出ようとしたのだが、扉を開けた瞬間に男の両手に掴まり、そのまま引き戻されてしまう。
後ろから強く抱きしめられ、身動きがとれない。
口を塞がれ、そして男は華のパジャマに手をかける。
二つほどボタンを外し、首が露になって。
「さぁ、オレと一緒に来るんだ『イヴ』。お前はもうオレのモノだ」
「うっ……くっ……」
「これで、お前はオレのモノになるんだ」
男がそう告げた瞬間、強い痛みが華に襲い掛かった。
男は容赦なく華の首筋を強く噛み付き、首から流れ出した華の血液を、まるでジュースのように飲み始めたのだ。
遅いかかる痛みに、華は耐え切れなかった。
口を塞いでいた手が少しだけ離れ、華は叫んだ。
「あぁぁああああーーっ!!!!」
(痛いッ!痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいイタイッ!!)
感じてくるのは痛み。
それも、この世のものとは思えないほど痛くてたまらない。
強く叫んだ後、意識が飛び始める。
ゆっくりと瞼が閉じかけたその時、逃げようとしていた扉の前に息を切らしながら居る男の人が、立っていた。
(あか……の、せんせ……?)
華が見たのは、赤野の姿だった。
「華ちゃんっ!!」
赤野は叫ぶ。
彼が見た光景は、今日の昼にミステリー小説の事で色々と語った少女の変わり果てた姿だったのだ。
すると赤野の存在に気づいたのか、首筋を噛んだ男はゆっくりと首から離れ、笑みを浮かばせたまま赤野に向けて答えた。
「よう章介……数十年ぶりだな?」
「まさか……千利?志雄千利なのか?」
「ああそうだよ。久し振りだな赤野章介……まさかお前と出会えるとは思わなかった」
「……どうして……どうして彼女を!?」
「気がつかなかったのか章介?彼女の事を……」
男、志雄千利は笑っていた。
何に笑っているのか、赤野は理解出来なかった。
ぐったりとしている彼女を愛おしそうに抱きしめながら、志雄は笑う。
「この女は『イヴ』だ」
「な……に?」
『イヴ』
赤野はその言葉を聞き、真っ青な顔になった。
(まさか……華ちゃんが、『イヴ』?あの『イヴ』だというのか……?)
「『イヴ』の血は極上の味であり、俺たちにとっては『聖女』だ。この血があれば、そしてこの少女が居れば、俺は長年の復讐が出来る……人間どもを滅ぼすことだってな」
「志雄ッ!!」
志雄が考えていることは、恐ろしい事だった。
彼が笑みを浮かばせながら笑い始めた隙をつき、赤野が動いた。
素早く手を伸ばし、抱きかかえられている少女、華に手を伸ばし奪い取る。
そして抱きかかえた後、赤野はその場から逃げ出した。
意識のない彼女を軽く揺さぶり、声をかけながらも赤野は走り続けた。
「華ちゃん!!華ちゃん!!お願いだから目を開けて……華ッ!!」
心臓の音を確かめると、まだ動いている。
唇に手を当てると微かだがまだ息をしている。
噛まれた首筋に持っていたハンカチを強く当て、背後を見ながら赤野は走り続けていたその時、ゆっくりと華の指が動いた。
そしてそっと赤野の肩に手を伸ばし、触れる。
「……あかの、せんせ?」
「あ……華ちゃん!大丈夫!?」
「よかった……」
華はそっとそういいながら、笑う。
「先生が、来てくれたんだ……」
助けを呼んでも、誰も助けに来てくれないと思ってしまった華だったが、こうして赤野が助けに来てくれたことが嬉しかった。
笑みを浮かばせながら、華は赤野の腕を掴んだ。
ぎゅっと強く、もう二度と離さないかのように。
赤野はそんな少女を見て、優しく抱きしめる。
(……もし、この子が『イヴ』ならば……)
どうすれば彼女を守れるのかと、考えながらも。