†chapter4 雨の殺戮者01
その日は朝から、延々と大粒の雨が降り注いでいる。渋谷の街はそんな悪天候の中でも、夜になれば自然と人が集まってくるのだが、まだ夕方の時点では人通りは少なく街は普段より閑散としていた。
宇田川町の裏手にあるカフェバー『スモーキー』も例外ではなく席が1/4も埋まっていなかった。
整理の行き届いたバーカウンターの中でグラスを拭いている上条圭介は、退屈そうに自分たちのチームの今後の行く末について考えている。
自分たちのチームといっても、まだ上条の他は同じスモーキーのバイト仲間である佐藤みくるしかいないのでチームと呼んでしまうにはいささか心苦しいのだが、ただその佐藤みくると『黒髪』こと天野雫が顔見知りだったのはこちらとしては非常に好都合だった。どうにかしてあの黒髪をチームに入れたいのだが、群れるのを好まなそうな性格も先日会話した時に感じていた。
「どうしたもんやろなぁ」
翌日分のアイスコーヒーの仕込みも終了し暇を持て余した上条が思わずそう呟くと、ホールにいた佐藤みくるがそそくさと上条のいるバーカウンターに近づいて来た。
普段はツインテールにしている髪型も、仕事中は店のユニフォームのウイングカラーシャツと黒いパンツに合うようにアップスタイルで後ろにまとめ大人っぽい感じに仕上がっている。
「圭介っ」
名前を呼ばれたが、上条は考え事をしていてそれに気付かない。結果的に無視されてしまったみくるは、音も無くバーカウンターの中に入ってくると上条の足を踵で踏みつけた。
「いっ!!」
上条の悲痛な声が店内に響いた。
少ない客が一瞬、2人の方に目を向けたが、店員同士で揉めているだけだとわかるとすぐにその視線を戻した。
「何すんねん、みくるちゃん。いきなり足踏むなんて酷いやないか」
上条は小声ながらも強い口調で言ったのだが、みくるはそんなこと気にも留めずに客席に視線を向けた。
「ねぇ、あの23卓のお客さん見て」
「はぁ、23卓?」
店内の全ての座席は業務上、料理の提供などを円滑に進めるための番号が振られている。みくるが言う23卓とは店の入り口から一番離れたところにある背の高い丸テーブルの3人席を指すテーブル番号で、そこには1人の男が座っており先ほどみくるが運んだパスタを口にしようとしているところだった。
「アラビアータ食うとる人? 有名人?」
「いや、少し見覚えがあるなぁと思ったんだけど、あの人このあいだ雫と一緒にいた男じゃない?」
そう言われ店の奥に目を向けると、今まさにフォークにパスタを巻きつけようとしているくせ毛のその青年は、確かに先日ビルの屋上で出会った『疾風』の能力を持つ男に違いなかった。
「なるほど、風はこちらに吹いてるってことやなぁ」
くせ毛の男の持つ疾風の能力と掛けてうまくいった上条は、拭き上げ用のクロスをタオルハンガーに掛けカウンターを出てると、並んだテーブルの間をすり抜け店の奥へと歩いて行った。
「いらっしゃいませ」
上条は奥の席でパスタを口に運んでいるくせ毛の男に今更ながらそう挨拶した。くせ毛の男はフォークに巻きすぎたパスタを口いっぱいに頬張っており、何か理解できない言葉を発しながら上条に目を合わせた。
近くで確認するとやはり疾風使いの男で間違いないようで、相手も上条のことを思い出したようだ。
「あんは、おふじょうにいはやふふぁ?」
口の中の物が少しは処理されたようだが、それでも何を言ってるのかはわからない。
「こんな偶然もあるんやな。山田拓人くん」
上条がそう言って唇の端を上げると、拓人は驚いたようにまだ咀嚼途中のパスタを呑み込んだ。
「あれっ? 何であんた、俺の名前を知ってるんだ?」
「何でも知っとるで。静岡県熱海市出身の18歳。上京してきたのは2週間前やな」
そこまで言ってやると何かを思い出したのか拓人は「ああ」と声を上げた。
「そういえば『暴露』の能力だっけ?」
「そうや。暴露の能力で暴くんは、何も相手の持つ人外の能力に限ったことやあらへん。森羅万象、この世の全ての事柄を暴く力が俺にはあるんや」
上条は己の能力をかなり誇張して説明する。拓人がそれをどこまで信じたのかは暴くことができないが、面食らった顔で水を口にしているので、言葉を額面通りに受け取ったのかもしれない。
「田舎では亜種なんて俺しかいなかったけど、東京は亜種だらけなんだな」
拓人のその言葉に、上条は「それはそうや」と笑う。
「俺たちみたいな亜種が小さなコミュニティで生きていくんは大変や。何か不可解な事件が起これば真っ先に関与を疑われるし、年寄りなんかは未だに亜種に対する差別意識が強いねんもん」
「うん。俺は田舎の排他的な空気に嫌気がさして東京に出て来たんだ」
「俺も似たようなもんや。暴露の能力を使うて探偵気どりで色んな事暴いとったら、いつの間にか俺の周りから人が離れていってしもうた」
拓人はフンッと鼻で笑うと、またフォークを回しパスタを巻き付けた。
「あんたの能力は悪趣味だからな」
「ははっ、辛辣やなぁ。けど気にいったわ」
「それはどうも」
目も見ずに礼を述べる拓人に対し、横にいた上条は今1歩テーブルに近づいた。
「なぁ、山田くんに1つお願いがあんねんけど?」
「拓人でいいよ」
拓人はそう言うと、またフォークに巻きすぎたパスタを大きく開けた口に放り込んだ。
「ここで会ったのも何かの縁やと思うし、俺らが新しく作ったチームに拓人も入らへんか?」
そこで一瞬、拓人の表情が固まり、そして「ふぁっ!!」という声と共に口の中の物を飛散させた。
そんなに驚くことじゃないだろうと、上条がサロンエプロンについたトマトソースとパスタを払い落としていると、拓人が勢いよく入口の方を指差した。
「おい! 外にヤバい奴がいるぞっ!」
拓人にそう言われ目をやると、拳銃を持った上半身裸の男が紹興酒の瓶を傾け口の中に流し込んでいた。
「ああ、巡査か」
慌てている拓人とは対照的に、抑揚のない声で上条は言った。
「巡査? け、警察官なのか?」
あまりにも警察に似つかわしくない格好をしているためか、拓人は訝しげに眉をひそめ、そしてトマトソースの付いた口元を紙ナプキンで拭う。
まるで蛇のような目でこちらを睨むその警察官は、痩身で小柄だがかなりの筋肉質だ。半裸で酒をラッパ呑みする姿は到底まともな社会人には見えないのだが、彼はあれで勤務中なのだ。
「巡査、店の中をガン見してるやん。捕まえたい奴でもおるんかなぁ。困ったで」
上条がため息をつくと、拓人が首を傾げた。
「犯罪者がいるのか? けど捕まえてくれるなら良いじゃないか」
「そうかも知れへんけど巡査は不必要に大暴れするから、もしも店内で捕り物なんてことになったら後始末が面倒やろ」
その荒くれ者のような風貌に納得したのか、拓人が「成程……」と頷くと、不意に店の外から奇怪な笑い声と共に3発の銃弾が店内に撃ち込まれた。
タンッ、タンッ、ターンッという発砲音とガラスの割れる音が同時に鳴り響く。
「嘘やろっ!?」
上条は身を伏せると同時に、自分の身体を調べた。痛みはないし、血も流れていない。どうやら銃弾は当たっていないようだ。
「あの警察官、俺らに向かって発砲してるよな!? どういうことだ!?」
拓人にそう言われると、上条はようやく自分が犯した罪を思い出した。電力会社のビルへの不法侵入、駅前周辺の強制停電、無許可での花火打ち上げ。これらは全て犯罪行為だ。
上条は頭を抱えて顔を歪めた。「軽犯罪ですやん。敵わんなぁ……」