†chapter10 空中公園の隠者14
「ガイ・チョン賭博ねぇ……。亜種同士の殺し合いを見世物にするとか、ほんまに恐ろしい集団やな。絶対に阻止したるわ」
上条はそう言うと、付け合わせのエリンギを口に運んだ。そしてその言葉に異を唱えたのは拓人だった。
「けど阻止するも何も、そんな殺し合い誰が好んで出場するんだよ。いくら金を積んだとしても、命懸けてまですることじゃないだろ?」
「ところが金を積まなくても、出場する人たちはいるんですよ」琉王が淡々と言う。
「どこに?」
「若獅子、チャオ・ヴォラギアットの能力を使えば、出場者を集めるのは簡単なことですから」
そう言われ上条は、宇田川交番で四月一日肇に聞いた若獅子の能力について思い出した。
「そうか、若獅子は洗脳能力を持ってるんやったな」
「そうです。若獅子は渋谷にいる亜種を全て洗脳し、大規模なガイ・チョン賭博をしようとしているのかもしれませんね」
琉王はそう言って天井に目を向けると、2階が急に騒がしくなった。VIPルームの扉が開かれたようだ。
「奴さんたち帰るみたいですねー」
黄がそう言うと、柄の悪い連中が上の階からぞろぞろと降りてきた。
「昨日見た奴もおるな」
上条はちらりと琉王に目を向けた。琉王は階段から入口に続く通路に背を向けて座っている上にしっかり変装もしているので、彼らに見つかることはないだろう。
黄は興味津々にデーンシングのメンバーを観察している。
「あのファーコートを着てるのが若獅子、その後ろの帽子を被った黒ずくめの男が東京支部長の物部ですねぇ。けどバンハーンってのはどの人かな?」
「バンハーンなら今、出てきますよ」
デーンシングに対し背中を向けている琉王だったが、彼の顔は今まで見たことがない程に険しくなった。バンハーンは母親の仇なのだから憎むのも当然なのだろうが、普段物腰の柔らかい琉王がここまで感情を露わにするとは想定外だった。以前、巡査が琉王のことを執念深い男と評していたことがあったが、存外的を得ているのかもしれない。
階段の上からガリガリに痩せた褐色の肌の男が降りてくる。大分アルコールを摂取したのか千鳥足の様子だ。
「あれがバンハーンいう奴か? ベロンベロンに酔っぱらってるやんか。階段から落ちそうやな」
バンハーンは半開きになった口からよだれを垂らし恍惚の表情を浮かべている。ただの酩酊状態ではないようだ。
「バンハーンは薬物常用者だということですからね。天童会から手に入れたヘロイン+を早速試してるようです」
「なんや、あいつジャンキーなんや。性質悪いな」
上条がそう言うや否や、案の定バンハーンは足がもつれて踊り場から転げ落ちた。
「あーあ、言わんこっちゃない……」
バンハーンの周りにデーンシングの若い衆が集まる。肩を借りて立ち上がったバンハーンは、突然肩を借りたアロハシャツの男を殴りつけた。八つ当たりだ。
バンハーンの細い腕のどこにそんな力があるのかはわからないが、殴られた男は2メートル程吹き飛び奇怪な声を上げた。
「あの殴られた男、どうしたんや?」
アロハシャツの男は床に尻をつきながら腕を押さえている。そしてその腕はどういうわけか、ゴツゴツとした岩のようなものに変化してしまっていた。
「あれはバンハーンの持つ『ペトロクラッシュ』という能力です。彼はあらゆる物体を石化することが出来るのです」
バンハーンはへらへらと笑いながら殴ったアロハシャツの男の身体を起こした。岩と化した重い腕を引きずる様に起き上がった男は、苦虫を噛み潰している。
「ジャンキー相手なら楽に勝てそうやけど、石化能力とは中々厄介やな」
運命とは実に因果なものだ。バンハーンの持つその能力は、彼が殺した佐藤紘子の持つ人体を宝石化する能力に良く似ていているのだから。
「厄介なのは能力だけではありません。彼が使用しているヘロイン+には、亜種の持つ人外の能力を高める作用もあるということです」
「そ、そうなん?」
石化の能力がヘロイン+によって高まると、どういう効果が生まれるというのだろうか? 上条はバンハーンに目を向ける。アロハシャツの男の耳元で何か呟くと、バンハーンはそのままにこやかに店を出て行った。
「自分たちの仲間まで石化させるとは、ほんまに危険な奴やな? あれ治せるんやろか?」
「バンハーンさん出て行くときに小声で、後で治してやるみたいなことを言ってましたよ」
タイ語を理解できる黄がそう教えてくれた。
「ああ、さすがに治せるか。腕が岩のままやったら、この後の人生最悪やで。ははは」
上条はデーンシングの連中が出ていった出口を見つめた。その付近には緊張から解放されたであろう従業員たちが、ほっと胸を撫で下ろしている。
「どうする琉王さん。奴らの後追いかけるん?」
琉王は首を振った。
「いや、それなりに収穫もありましたし今日のところは深追いするのはやめましょう」
「収穫? さっきの闘鶏場のことか?」
「ええ」琉王はにこやかに微笑む。
「それよりデザートがまだでしたね。最後に甘いものでも食べて我々も帰りましょう」
「やったーっ!!」黄が幼い子供のように喜んだ。
「本当に追いかけなくてええんか?」
「ええ、構いません。言ってませんでしたが、この店のパティシエが作るデザートは絶品なんですよ。食べて行かなかったら皆さんきっと後悔すると思いますよ」
琉王はテーブルを見渡し口角を上げると、従業員のいる方に振り返り右手を上げた。するとそれに気付いた給仕長が、急ぎ足でこちらに向かってやってきた。
―――†chapter11に続く。