†chapter9 泰国の若獅子10
「きたねえ野郎だな。よだれが垂れてるぞ」
そう言うと若獅子は、不破に狙いを定めていたコルト・キングコブラの引き金を引いた。銃弾は左足に命中したが、それに対して不破は特に何も反応しなかった。
「言ってんらろ? 俺は痛みを感じねぇんら」相変わらず不破の呂律は回っていない。
「知っているとも。先天性無痛症とかいう病気らしいな。だが、痛みを感じねえのがお前の強さなら、そんな浅はかなことはねぇ。痛覚は人体に危険を知らせるシグナルだ。それがないというのは戦闘する上で致命的だとは思わねえか?」
案の定、不破の膝が崩れた。痛みを感じなくても、人体へのダメージは確実に蓄積しているのだ。
「あ、足が動かねぇ……?」
その時、交差点にいる亜種が感じていた脳内の違和感が霧が晴れるように取り除かれた。不破の結界の能力が解除されたようだ。
「だから言っただろ? しかし痛みを感じねえってのは、こっちにとっては都合が良さそうだ。お前にはヘロイン+の実験台になって貰う」
若獅子は不破に近づき背後から肩を掴むと、そのまま首元をガブリと噛みついた。
「やめれ、てめー!」
痛くはないが、やはり気持ちが悪いのだろう。不破は肩を大きく揺らし振り払おうとしたが、若獅子は喰いついて離れない。吸血鬼の如く生き血を吸い上げると、やがて血色を失った不破は地面に倒れた。
若獅子の八重歯から赤い血が滴っている。
「しばらくは大人しくしてろ。蠍野郎」
若獅子は血の混ざった唾液を倒れる不破に向かって吐き出した。しかし不破は地面に伏したまま動かない。
「何をしたの……?」
立ちあがった雫が呟くと、それを聞いた若獅子が不気味に笑った。
「俺の能力は知らなくていい。それと言っておくが、ここにいる連中は全員死んで貰うぞ」
若獅子が指を鳴らす。するとパイソンが周りの人間全てに睨みを利かせた。雫とみくるを含んだそこにいる約半数程の人間の足が竦み動けなくなった。
スネークアイから逃れられた聴衆は我先にとそこから逃げ出し、渋谷の駅前はパニック状態に陥った。残されてしまった人達は、その場でただ小さく身体を震わせている。
「パイソンの能力を忘れていたようだな。もはや身動きが取れまい」
雫達の近くに横分けの構成員が近づいてきた。雫の足は恐怖で動かなくなってしまっていたが、目だけを動かしその構成員のにやけ顔を睨みつけた。
するとその構成員の足が止まった。雫がまたパイソンのスネークアイの能力をコピーしたのだ。
「ちっ、忘れていたのはこちらも同じか。あの女は相手の能力を模倣するんだったな」
若獅子は雫に銃口を向けた。だが雫達はスネークアイの能力のため動くことが出来ない。しかしそんな中、1人だけパイソンに睨まれなかった人物がいた。それは琴音だった。
「あああああああああっ!!」
琴音は幼女とは思えない威嚇の声を上げると、横分けの構成員の足を両腕で掴みかかった。するとどうだろう。その男の足がみるみる氷塊に包まれてしまったのだ。
「む、氷結能力か?」
交差点内に動揺が広がった。琴音の小さな身体から白い気体が漂っている。
パイソンは小さい娘だから大丈夫だろうと油断していたようだが、琴音こそ真っ先に身動きを止めておく必要があったのだ。何故なら異形は恐ろしい能力を持っているというのが定説なのだから。
「あなたたちも氷の中で眠りなさい……」
冷酷な表情でそう言うと、琴音はパイソンに向かって駆け出した。
少々取り乱したパイソンだったが、すぐに冷静になり琴音の顔を睨んだ。目線さえ合ってしまえば、余計なことなど出来やしないのだ。
走る琴音の低い目線がスネークアイにより強引に引き上げられる。だが琴音はスネークアイの能力に捕まるの前に、パイソンの右腕を掴んだ。
「shit!!」
パイソンの右腕が指先から肘まで氷塊に覆われる。だがそれと同時に琴音の動きが止まってしまった。
苛ついたパイソンは凍りついた腕で、動くことのできない琴音に殴りかかった。
「Python!!」
若獅子の声が響くと、パイソンはそれを思い留まった。デーンシングにとって亜種や異形は商品。異形なら死んだ状態でも金にはなるが、無傷の方がより高い値がつくのだ。
「腹を据えかねることもあったが、欲しいもんは手に入ったんだ。後はこいつら殺して終わりにしようじゃねえか」
若獅子は口元を手で拭うと、物部の元に近づいた。
「物部。マシンガンは持ってねえのか?」
「生憎マシンガンは持っていませんが、マシンピストルならございます」
マシンピストルとはマシンガンのようにフルオート射撃が可能な拳銃サイズの火器のことだ。
「それでいい、寄こせっ!」
若獅子は物部からイタリア製のマシンピストル、ベレッタ93Rを受け取ると夜空に向かって数発発射させた。排出された薬莢が地面に落ち、カランカランという金属音が鳴った。
「良し、皆殺しと洒落込もう」




