†chapter2 宇田川町の花火02
これは、助かったのだろうか?
隙をついて逃げだそうと思っていたところだったが、辻堂は『黒髪』と呼ばれる人物を追いかけていってしまったので運よく窮地から逃れられることができた。だがしかし、拓人の目の前にはまだ鳴瀬という怪しげな男がウインドブレーカーパンツのポケットに手を突っ込んでじっとこちらを見ている。
「あんたは行かねぇのか?」
拓人の質問に鳴瀬は答える素振りも見せない。
全くもって腹の立つ奴らだ。周りの連中もいなくなったことだし、相手が1人なら売られた喧嘩買ってやってやるか……。
拓人は右の拳を強く握りしめたが、相手の視線が全身に絡みついているような感覚を覚え、どうしても次の一歩を踏み出すことができなかった。
「……あんた、何者だよ?」
鳴瀬はポケットに手を突っ込んだままの無防備状態。だが、どうしてなのか隙というものが全く感じられなかった。幾つもの死線を潜り抜けてきた軍人のような立ち姿。手を出そうものなら、一瞬にして返り討ちに合うイメージが頭に浮かんでしまう。
「お前、田舎者だろ?」
鳴瀬は拓人の質問を無視してそう言ってきた。拓人の頬と耳がわかりやすく赤くなると、彼は文字通り腹を抱えて笑い出した。
「笑うんじゃねぇよ! 東京なんて田舎者の集まりだろっ!」
鳴瀬はひとしきり笑うと、目の脇に溜まった涙を手で拭った。
「確かにその通りだ。俺も生まれは東北だしな」
拓人はチッと舌打ちした。
「人の格好見て喧嘩売ってきたり、馬鹿にしてみたり、何なんだよ!?」
閉鎖的な田舎に嫌気がさして上京してきたというのに、すでにそれと同じくらいの悪感情を渋谷という街に感じている。都会なんて大っ嫌いだ。
「あー、悪かったよ。だが、この街に来るからには最低限の情報は頭に入れておけ。グリーンはファンタジスタのチームカラーだ。そんな目立つ緑色の服着てB-SIDEの領域に入ってきたら、今後も俺たちの仲間が容赦しねぇだろうからな」
「……ビーサイド?」
聞き慣れぬ固有名詞だったが、先程近くにいた若者が『自警団気取りのB-SIDE』と揶揄していたことを思い出した。つまりはそれが彼らのチーム名のようだ。ストリートギャングの類だと思うが、自分勝手なルールを作りこの街の治安を彼らなりに守ろうとしているのだろう。高尚なことだ。
「そうだ。スクランブル交差点を中心とした道玄坂、宇田川町の一帯は全て我々の領域だ」
鳴瀬はそう言ってポケットから左手を出した。彼の手首にも、辻堂と同じくブルーのカラーバンドが付けられている。その青がB-SIDEのチームカラーなのかもしれない。
鳴瀬が左手を広げると、その中でジャラジャラと音が鳴る。彼の大きな手の中には20個程度のパチンコ玉が握られていた。
「こうなりたくなかったら、お前もそのルールを守るこったな」
そう言い終わると同時に、鳴瀬は目と目の間に力を入れた。手の上の銀色の玉が怪しく蠢き、辺りは緊迫した空気に包まれる。
何かが起こりそうな予感がする。
拓人が鳴瀬に対して警戒していると、突然逆方向から何者かが猛スピードでこちらに駆けてきた。
「何だっ!?」
慌てて後ろに振り返る。その人影は拓人の横を通り過ぎると、不意に拳を振り抜いた。しかしそれは拓人にではなく、鳴瀬に対する攻撃だった。彼は表情も変えずにその拳をかわすと、己の左手を前に差し出した。
「現れたな『黒髪』!」
大気が揺れるような独特の空気感が辺りに漂う。すると鳴瀬の手のひらに載る鉄の玉は何らかの力によって浮きあがり、そのまま勢いよく前に飛び出していった。
弾丸の如く飛んでいく鉄の玉。すでに走り抜けその場を離れていた黒髪と呼ばれる人物は、振り返ると一瞬だけ目を光らせた。その瞬間大きな炸裂音を響かせ、鉄の玉はどこかに弾け飛んでいった。
「これは『人外の能力』……? こいつら2人とも『亜種』なのか!?」
拓人の心臓が大きく高鳴った。人外の能力を持つ亜種同士の戦いを、生まれて始めて目の当たりにしたからだ。
慣性の法則に逆らうようにローファーを滑らせ反転すると、黒髪はこちらに向かって駆けだした。見れば背もそれほど高くないし細い体躯をしている。B-SIDEはチームとしてこいつを追っているようだったが、この人物はそれほどの実力を持っているのだろうか?
「あれっ?」
拓人の視線の先に絹のように滑らかな肌の女子学生が走っている。それが黒髪と呼ばれる人物を始めて認知した瞬間だった。
「お、女!?」
白いブラウスの上にアイボリーのニットベスト、それにネイビーのプリーツスカート。一世代前の学生服のような姿をした黒髪と呼ばれる少女は、持っていた伸縮式の特殊警棒を伸ばすと小さく飛び上がり鳴瀬に向かって力の限り振り下ろした。
「やっ!!」
だが鳴瀬は平然と右手をポケットに入れたまま上半身だけを反らせ、その攻撃を避ける。
「相変わらずこえーな」
初撃、2発目と攻撃を外した黒髪は、更なる攻撃を仕掛けることはせずに一度その場から離れた。先程のパチンコ玉による謎の攻撃を警戒しているようだ。
「この至近距離で俺の攻撃を弾けるかな?」
鳴瀬の手のひらに残っていた何粒かの鉄の玉が、ゆっくり浮かび前に飛び出していった。
「くっ!」
鋼の礫は弾かれることなく背中や足に命中し、黒髪の口から思わず苦しげな声が漏れる。だが彼女の足は止まることなく、そのまま地面を駆け続けた。
「女のくせに根性あるよなぁ」
鳴瀬はポケットに入れていた右手を差し出した。やはりパチンコ玉を大量に掴んでいる。左手の玉がなくなったので、これで追撃を喰らわせるつもりだ。
「あんたの能力は何なんだよ……」拓人は弱々しく口にした。
目を光らせて黒髪を追っていた鳴瀬だったが、そう声を掛けられると急に表情が崩れ、空いている左手で口元の髭を撫で回した。
「亜種同士の戦闘を見るのは初めてか?」
「ああ、俺の地元に亜種は1人だけだったからな」
「そうか、この街では別に珍しいことでもないけどな。まあついでだから見せてやる。人外の能力者の戦いを……」
鳴瀬の右手に乗る鉄の玉がまた蠢きだした。
「おい、相手は女だろ。まだやる気かよ!」
見ていられなくなった拓人は、堪らずに鳴瀬の前を遮る。
「当然だ。亜種は男女同権。そこをどかないならお前も血だるまになるぞ」
そう脅されたが、拓人はそこを一歩も動かなかった。鳴瀬は不快な顔を浮かべ、そして獣のような目を光らせた。
「それも覚悟の上か。ならば二度とこの街に来たくなくなるほどの恐怖を、その身体に刻み込んでやるよ」