†chapter2 宇田川町の花火01
無機質な鉄筋コンクリートの建物が密集して立ち並ぶ街並みに、極彩色の光を放つネオンが夜の闇を否定するようにケバケバしく辺りを彩っている。そしてその明かりに息を合わせる様に、けたたましい音量で流行のBGMが鳴り響いている。渋谷の駅前は街全体が巨大なクラブと化していた。
「あー、うるさい。うるさい。うるさい」
山田拓人は耳に手を当てながら渋谷駅の改札を出た。静岡から上京してきて何日か経つが、未だにこの騒音に慣れない。恐らく一生慣れることはないだろう。
顔をしかめハチ公前まで歩いて行くと、金属パイプ製のサポートベンチに腰を下ろした。くせ毛のマッシュヘアーがふわりと揺れる。
「一体何時だと思ってるんだよ……」
腕時計を確認すると短針は9時を刺していた。現在の時刻は夜の9時03分。渋谷の夜はまだ始まったばかりだが、彼の生まれ育った故郷ではすでに信号機が黄色か赤の点滅に変わる真夜中だ。
拓人は小さく背筋を伸ばすと、スクランブル交差点に目を向けた。信号機は勿論点滅ではなく、普段通りの運行をしている。日中と変わらぬ交通量があるのだから当然だ。
やがて車が停まり歩道の信号が青になると、歩道の淵に溜まっていた若者たちが一気に流れ出した。大勢の人々が足早に交差点を行き交う。だがそれでも彼らがぶつかりあうことはなかった。風に揺れる柳のようにするすると互いをかわし理路整然と交差していく。そしてサラリーマンらしき男性が小走りで駆けていくのを最後に信号は赤に変わった。
東京に住む人間は皆マスゲームでも習っているのだろうか? というか、そもそも人間の数が多すぎる。こんな遅い時間に一体どんな用事があるというのだろうか?
恐らくこの場にいる過半数の人間は、何の目的も無くただこの街に訪れてそしてその雰囲気を味わっているだけなのだ。何か新しい情報があるかもしれない。何か面白いことが起こるかもしれない。若者たちはそんな思いで夜な夜なこの街に集まってくるのだ。まあ、要約すると暇なのだろう。
将来に対して夢や希望は持てなくても、せめて今日1日の目的くらいしっかり持とうよ。そう思いため息をついた拓人もまた、何の目的も無くここに訪れた多数の中の1人に過ぎなかった。
「……しかし東京は暑いな」
そこに集まる人々の熱気が梅雨明けの気温と相まって、初夏だというのに熱帯夜に近い気温まで押し上げている。
汗ばんできた拓人は薄手の白いパーカーを脱ぎ、ふと自分の胸元に目を落とした。非常口のマークが中央にデザインされたライムグリーンのTシャツを確認した瞬間、拓人は「あっ」と声を漏らした。
拓人はその日、ペパーミントグリーンのハーフパンツを履いていた。白いパーカーを着ていた時は良かったが、脱いでしまったら緑と緑。これは完全なるコーディネイトミスだ。翡翠麺の上にチンゲン菜がトッピングされているかの如く緑がくどい。
暑さを我慢して脱いだ白いパーカーをもう一度着ようかとも思ったが、周りにいる人間に「あいつ、上着脱いだら中学のジャージみたいなスタイルになったから、痩せ我慢してまた上着羽織ったぜ」なんて小馬鹿にされても腹が立つので、ここは敢えて開き直った。座りながら股を広げた拓人は、これこそが渋谷最新のファッションなのだと言わんばかりに自分の服装をアピールしだした。
何の冗談かはわからないけど、最高だろ? この非常口Tシャツ。もしも非常事態が起こっても、これがあれば何となく安心だ。
訳のわからない理屈を並べて自分のファッションを正当化していると、突然渋谷駅屋上に取り付けられた巨大なサーチライトがぐるぐると回転しだした。
一体何が始まったのかと思った拓人は、呆気に取られながらそれを凝視する。するとそこから青い光線がこちらに向かってまっすぐに伸び、ハチ公前直径5メートルの範囲を薄青く照らし出した。
拓人はその青い光を遮るように腕をかざす。
「何だ、何だ!?」
拓人が驚くのは当然だが、その周りにいた連中も騒然としていた。これは正しく非常事態だ。非常出口の男が非常事態という異常事態。全然安心できないんですけど?
続けて今度は拡声器のようなものを通して、耳をつんざくような声が聞こえてきた。
「ここが何処だかわかっているのかぁっ!! ガキィッ!!」
近くに座っていた若者が「やれやれ、自警団気取りのB-SIDEか……」と小声で呟く。
自警団って、どういうことだ? やましいことは何もしてないぞ。多分。
状況が読めず、サーチライトのせいで周りも良く見えない。拓人は一先ず、その青い光から逃れるため建物の影に隠れた。
「駅前を通り過ぎるのは認めてきたが、お前らがハチ公前に居座っていいと言った覚えはねえぞっ!!」
なおも拡声器から怒声が響く。拓人は徐々に慣れてきた目で周りを見渡した。何人かの男がこちらを向いて立っている。どうやら囲まれてしまっているようだ。果たして怒鳴り声の主は、俺に対して叫んでいるのか?
「宇田川町、道玄坂は我々B-SIDEのエリアだ。そんなことすら理解できないのか、ファンタジスタの連中はっ!?」
目の前にいる複数の男の内の1人が拡声器でそう叫んでいる。
明らかにこちらに向かって言っているみたいだが、ファンタジスタというのがわからない。何やら勘違いされているようだ。
「待て、人違いじゃないのか!? ファンタジスタなんて俺は知らないぞ!」
拓人は喧騒に負けないように大きな声を上げた。
「お前のその服装、明らかにファンタジスタのチームカラーだろうがっ! それとも自分の趣味でそんなピーターパンみたいな格好してんのか!?」
面と向かってそのファッションを否定され、拓人は思わず顔を赤らめた。
「うっせえ! うまいこと言ってんじゃねぇよ! 誰がピーターパンだ!」
ここにきて徐々に目が慣れてきた。目の前にはたちの悪そうな輩が7人ほど並んでいる。そしてその中央にいるツーブロックリーゼントの男が、拡声器を投げ捨ててこちらに歩いて来た。男の左手にはブルーのカラーバンドが付けられている。
喧嘩には自信があるが、流石に7人相手では分が悪いか……。どうする?
側頭部を大きく刈り込んだ頭を揺らしながら近づいて来た男は、短い眉を尖らせると拓人の胸倉を掴みかかってきた。
「何すんだコッ!」拓人がそこまで言いかけた時、ツーブロックリーゼントの男の動きが止まった。背後から近づいてきた男に呼び止められたのだ。
「もういいだろ、辻堂」
後ろにいるメンズカチューシャを付けた長髪の男にそう言われると、辻堂と呼ばれたツーブロックリーゼントの男は拓人の胸から手を外した。
「鳴瀬さんいつの間に?」
鳴瀬と呼ばれた長髪の男は、唇の下の髭に手をあてゆっくりとそれを撫でつけた。
「駅前に『黒髪』が出たって情報がきたんでな」
それを聞くと辻堂の目の色が変わった。
「黒髪……? 本当ですか!?」
一瞬、怒りに満ちた表情をした辻堂だったが、すぐに薄く笑みを浮かべた。
事態の呑み込めぬ拓人が呆然と立っている横で、辻堂は周りの仲間たちに手で合図を送っている。
手下と思われる男たちが四方に散っていくと、辻堂は目の前にいる拓人の肩を乱暴に突き押した。
「どけっ、小僧っ!!」
そのまま残った仲間を引き連れ、辻堂はスクランブル交差点に向かって足早に走り去っていった。