†chapter6 人間の瞳12
「ちなみに巡査はその賴とか言う奴と顔見知りなんか?」
唐突に言った上条のその言葉に、巡査は顔をしかめた。
「顔? 見たこともない」
つっけんどんにそう言うと、カツカツと階段を上った。
ミミックこと賴は擬態と呼ばれるカモフラージュ能力を持っているということだが、その能力の為に見たことがないというのだろうか? 裏ブローカーの行為は勿論犯罪であり、一応警察である巡査とは敵対関係にあるのかもしれない。
巡査を先頭に拓人と上条の三人は、延々と続く長い階段を急ぎ足で上った。
各階の踊り場には大きな窓が設けられており、そこからは建物の中庭を見ることが出来た。聞けばその中庭は、魔窟大楼の住人の為の墓場になっているのだという。ここの住人は死んだ後もここから出ることが出来ないようだ。
どれくらい上ったのだろう? 言葉も無く黙々と階段を上っているとやがて19の表示が壁に付いていることに気付いた。
20階より先は、魔窟大楼の住人でも寄り着かないと本庁刑事のワタヌキが言っていたところだ。心なしか巡査も念入りに警戒している気がする。
「賴は23階の部屋に住んでいる。ここからは全速力で駆け上がるぞ」19階に辿り着いたタイミングで巡査は言った。
ここまでの階段ですでに足は棒のようになってしまっていたが、どうやらここからが正念場のようだ。拓人は疲労した足をほぐそうと身を屈めると、しゃがんだ瞬間背中を何者かに踏みつけられた。
「えっ!」驚いて顔を上げると、その背中から高く飛び上がる人影が映った。
その飛び上がった人影は背中を向けた巡査の首元を両足で蹴ると、反転して地面に着地した。
「また敵かっ!?」
見るとその敵は、京劇で使用する白い面を付けた怪しげな黒服の人物だった。白面の者は音も無く横に移動すると、どこからともなく現れた赤面、青面の者にいつの間にか囲まれる形になってしまった。
「くそっ! 鼎武人か!」
蹴られた首をおさえた巡査が舌打ちすると同時に三人の面を付けた武人が襲いかかった。巡査は三人の蹴りを紙一重でかわしたが、胸の辺りに切創を負った。青面の武人の靴に刃物が仕込まれていたようだ。
「ここは我に任せろ。お前たちは賴のところに行けっ!」
その巡査の言葉に、上条は少し戸惑った。
「相手強そうやんか! 一人で大丈夫なんか!?」
「足手纏いがいなければ余裕だ」巡査はそう言うと「嘻嘻嘻嘻嘻」と笑った。
「言ってくれるやんけ。ほんなら頼むでっ!」
上条が階段に向かって走り出すと、拓人もその後を追った。
背後から激しい戦闘の音がすると「賴は廊下を突き当たった一番奥の部屋に住んでいる!」と言う声も一緒に聞こえてきた。迷う気持ちを捨てた拓人と上条の二人は、歯を食いしばり階段をひた走った。人間の瞳を奪還したら、必ず戻ることを誓って。
23階に辿り着いた二人は、そのまま廊下を真っすぐに走った。下層階は廃墟同然の状態だったが、20階を越えると急に近代的とまではいかないが比較的まともな住環境になった。ゴミや落書きもなければ照明もきちんと設置されている。まるで中国社会の縮図がここにあるようだった。
四つの扉を過ぎ、五つ目の扉が見えたところで廊下は突き当たった。
「ここみたいだな」
目の前の部屋の扉には『福』という字がデザインされた赤い紙が逆さに貼られている。
少し息を整えドアノブを捻る。鍵は掛かっていないようだ。
上条はノックもせずにその扉を開け放った。扉の奥には短い廊下が見える。
二人は遠慮なく土足で部屋に侵入する。廊下を抜けると広い部屋に出たが薄暗くて様子がわからない。壁に付いたスイッチを入れたが電気はつかない。壊れているようだ。
仕方がないので閉め切られたカーテンを開けた。ベランダに出る掃き出し窓が現れ薄明かりが洩れる。ベランダの向こうは雨に濡れる渋谷の街並みが見えた。
上条は薄日を頼りに部屋を見回した。年代物の箪笥と焦げ茶色の猫脚テーブル。その上に置かれた陶器の灰皿には、フィルターぎりぎりまで吸われた吸い殻が山盛りになっていた。
「留守なのに鍵も掛けんとは不用心やな」上条が言う。
「油断するな。ミミックにはカモフラージュ能力があるって言ってたから目に見えていないだかかもしれないぞ」
「いや。少なくともこの家の中にミミックはおらんで」
そう断言する上条に拓人は疑念の目を向けた。
「何故わかる?」
「俺の暴露の能力は半径5メートル以内におる亜種の能力が頭に浮かぶんや。仮に姿が見えへんとしても、そいつが俺の近くにおるんなら能力名の『擬態』が頭に浮かぶはずなんや」
上条はそう言いながら一人、奥の部屋に入っていった。
「なるほどそうか。けど困ったな、外ですれ違った車の中にミミックも乗ってたのかもしれないな……」
拓人が声のトーンを落として言うと、それとは対照的な明るい顔で奥の部屋から上条が顔を出した。
「ちょっと来てみ。ええもん見つけてもうた」
上条がこっちに来てみろと手で合図を寄こす。
人間の瞳の手掛かりでもあったのかと思った拓人は、上条のいるその部屋の扉を潜った。