†chapter6 人間の瞳05
階段の踊り場まで降りた時、下から車のエンジン音が聞こえてきた。この建物は地下はガレージになっているようだ。
何か嫌な予感がした上条は急いで階段を駆け下りた。波紋のように揺らめく空気の波が背中にぶつかると、先程とはガラリと空気感が変わった。
「なぁ、気付いたか?」
「ああ、メビウスの範囲内から外れたみたいだ」
そう言って拓人は、右手のガラス扉の奥にあるガレージに視線を向ける。
「失敗した。地下はガレージやったんか……」
踊り場で聞こえたエンジン音は不破が乗った車だったようだ。当然人間の瞳は不破が所持しているだろう。
「仕方ない。疾風の能力で追いかけよう」
「追わせるかよ!」
地下の密閉された狭いフロアに野太い声が響いた。
拓人と上条が声の聞こえてきた階段の上に目を向けた。そこには先程拘束したはずの犬塚が立っていた。
「不破さんがいねーんなら本気でやれるわ」
ゆっくりと階段を下りてくる犬塚の体から、薄ら蒸気が立ち昇っている。
「なるほど、能力を使ってで結束バンドを焼き切ったんやな」
不破の持つ結界の能力によって人外の能力を抑え込まれていたのは、どうやら犬塚も同じのようだ。
「あいつも亜種なのか?」
「ああ。犬塚は『パイロキネシス』の使い手だ。気をつけろ」
上条の言葉に、犬塚がクククッと笑った。
「俺ぁ、手加減とか出来ねぇから、二人とも殺しちまうかもしれねぇな」
階段を下りた犬塚が右腕を払うと、その軌跡に赤い炎が舞った。数歩離れたところにいた拓人にも火の粉が降り注ぐ。
「あっち! 曲芸かよっ! なんだよ、パイロなんちゃらって!?」
火に驚いた拓人が後退しそう言うと、上条は落ち着いた様子で犬塚を睨みつけた。
「発火能力、と言うても単なる目くらましにすぎひん。疾風の能力が使いものにならへんのならそのまま下がっとけ、俺が倒したるっ!」
「気が合うな。俺もお前を先に丸焦げにしたいと思ってたんだっ」
そう言い終わるか終わらないかの直後、犬塚は右腕を逆袈裟に払った。
半円状に現われた炎が閃光のように眩い光を放ち、薄暗い地下のフロアを一瞬だけ明々と照らした。
上条の言うとおり瞬間的な炎で殺傷力はそれほどないのかもしれない。だがしかしどうしても本能的に目を瞑ってしまう。
しかし上条は炎にも恐れずじっと犬塚を見据えている。
「サーカスにでも転職した方がええんと違うか? おもろい能力やな」
犬塚はその言葉を受け不敵に笑った。「面白くなるのはこれからだ」
上条と犬塚の両者が飛びかかる。僅かに上条が早いか。
体を捻った上条が左から大きくデッキブラシを薙いだ。腕の長さを加えれば、犬塚の横っ腹にデッキブラシの柄を喰らわせることが出来る距離だったが、犬塚は速度を緩めその攻撃を回避した。
空を切ったデッキブラシを犬塚が素早く掴んだ。柄の部分から炎が上がる。
しかし構わず上条は、火のついたデッキブラシを横に薙いだ。目には目を。火には火をだ。
だが犬塚は火を恐れない。燃え盛る柄を腕で跳ね返すと、体勢を低く構えた。
横蹴りが来る。犬塚の次の攻撃を読んだ上条は、デッキブラシを地面に突き立て蹴りに備えた。
その予測通り犬塚の横蹴りが飛んできたが、そこはしょせん掃除道具。蹴りを正面に受けると、デッキブラシは簡単にへし折られてしまった。
上条の顔が青くなるのとは対照的に、勝利を確信した犬塚は喜色を浮かべた。
勢いに乗った犬塚のボディブローが上条の下っ腹に突き刺さる。その崩れた体に続けざま右膝を喰らわせた。口元に膝がめり込むと同時に、目の前が閃光で真っ白になった。犬塚が止めに放った特大の炎だ。
上条は視界を奪われながらも、本能的に後ろに転がった。
再び薄暗い地下が赤く燃えると、辺りは焦げた臭気に包まれた。短く刈った上条の髪が少し焦げたようだ。
「……中々やるやんけ」
ひざ蹴りを喰らった時にそうなったのか、上条は鼻血を垂らしながら言った。
「おい鼻血! 俺に変われ!」
「ふざけんなや、まだこれからやぞ!」
まあ、不破を追いかけなきゃいけない以上別にタイマンにこだわる必要はないのだが、やはり一対一で勝ってこそ喧嘩の醍醐味。相手への威圧にもなる。
「俺にも少しは良いとこ見せさせてくれって言ってんだよ」
呟くようにそう言うと、拓人の目が不気味に光った。
拓人から凄みを感じた上条は、一歩下がり鼻を押さえた。
「ここじゃ不利だろ。大丈夫なんか?」
「ああ、任せとけ」
建物の外から風の音が聞こえてくる。外は強い風が吹いているようだ。