†chapter6 人間の瞳01
渋谷区役所の隣の敷地にあるビルの一階にはドーナツ屋がある。うまいコーヒーと、種類豊富なドーナツを安価で食わせてくれる店だ。かねてよりその店の常連だった上条圭介と佐藤みくるは、チームを結成した際はここを拠点にしようと考えていた。
先日ようやく疾風の能力を持つ山田拓人が仲間になったこともあり琉王の依頼も含め、一度皆で集会をする必要がある。
そんなわけで三人はドーナツプラネット渋谷店の窓側のテーブル席を陣取り、難しい顔でコーヒーやらを飲んでいた。
「ねぇ君、デリカシーって言葉知ってる?」
持っていたアイスカフェオレのグラスをテーブルに強めに置くとみくるは、高圧的な態度で拓人を睨んだ。
「【デリカシー】感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ」
拓人は携帯電話を見ながら淡々と答えた。言葉の意味など知らなくても、携帯電話やスマートフォンがあればすぐに調べられるのだ。
「だから、そういうのがデリカシーがないって言うのよっ!!」
みくるはカンカンに怒っている。彼女がこうなってしまったら、もう手がつけられないことを知っている上条は困った表情でそれを見つめていた。
「何だよ。デリカシーって言葉を知ってるかって聞かれたから答えたのに……」
「はぁ!? マジで言ってんの? ケータイで調べたことは知ってる内に入らないですから! あんた絶対女の子にモテないでしょ! 屁理屈魔人っ!!」
「屁理屈かなぁ?」
そこでようやく拓人は、砂糖とクリームを入れたコーヒーをスプーンで混ぜ口をつけた。もうすでにぬるくなってしまっている。
横にいる上条が、拓人の耳元で訴えかけた。
「だからみくるちゃんには『異形』は禁句やって言うたやろっ」
「いや、言ってないよ。琉王の名前を出したら、急に怒りだしたんだろっ」
「琉王は異形のカリスマなんやから、琉王の名前を出すっちゅうことはすなわち異形と言ってんのと同じなんやで」
「知らねーよ、そんなのっ!」
思わず大きい声を上げてしまった拓人は、上条と一緒に恐る恐る前の席のに目を向けた。だがみくるはそんな二人のやりとりなど無視して、皿に盛られた大量のドーナツを頬張っている。
とりあえずみくるの怒りの矛先が食欲に移ったことに安堵した拓人と上条は、今一度目の前のコーヒーに口をつけた。
「だけどどうする? そんなこと言ったら、琉王からの依頼なんて絶対引き受けないよな?」拓人は小声で言う。
「そらそうや。だからとりあえず琉王の名前は伏せて、人間の瞳の在り処だけ何とか調べて貰うんや」
懐から人間の瞳の写真を取りだした上条が、作り笑いを浮かべた。
「なぁ、みくるちゃんに頼みがあんねんけど……」
みくるはドーナツを持ったままキッと睨みつけた。
「琉王の頼みなんて、あたし絶対聞きたくないからねっ!」
先日道玄坂ヘヴンに行ってからすぐの集会だったので、みくるもどんなことを話し合うのか良くわかっているようだ。
しかしわからないのは、何故みくるが琉王をそこまで嫌っているのかということだ。病的なまでの嫌悪感を抱いているように思える。
「みくるちゃん頼むわぁ。この依頼こなせへんかったら俺らどうなるかわからへんねんて」
「自業自得でしょ。そもそもヘヴンなんて逆に潰しちゃえば良いよ。それなら協力してあげるから」
「うげぇー、ヘヴンを敵に回してもメリットないでぇ」上条はため息をついた。
「しかし、何であんたはそんなに琉王のことを嫌ってるんだ?」
拓人がそう言うと、みくるはドーナツを食べた時にトレーの上に零れたクラッシュアーモンドの粒を拾って拓人に投げつけた。
「あんなギャンブルで儲けてるヤクザの下請け業者みたいな奴、好きになれるわけないでしょっ!!」
拓人は顔に当たってテーブルの上に落ちた粒を拾うと、渋面を作りそれを口の中に放り込んだ。
「あれだぞ? あんまり大きい声だすと、百聞の能力で会話聞かれてるかもしれないぞ」
「良いのよ。わざと聞こえる様に言ってるんだから!」
そう言って立ち上がると、みくるは天井に向かって大声を上げた。
「人の会話盗み聞きするような下衆野郎の協力なんて、あたしは絶対しないからねっ!!」
あまりのパフォーマンスに周りの客が唖然とする中、上条は一人頭を抱えた。
「ああ、言ってもうた。終わりや、全て終わりや……」
テーブルの上でうな垂れる上条が、手に持っていた写真をはらりと落とした。印画紙に写った真球の如き丸い宝石が禍々しく深紅の光を放っている。
それを見たみくるの腕に鳥肌が立った。「何これ……?」
ゆっくりと腰を下ろしたみくるは、緊張した面持ちでその写真を手に取った。
「何で圭介がこんな写真持ってるの?」
左右で色の異なるみくるの瞳が、無意識に揺れていた。