†chapter18 ワンヒットの法則08
「はぁ!? 梨々香がいじめに?」
隣を歩く佐藤みくるは、人一倍大きな声でそう問いかけてくる。何も後ろめたいことはない上条であったが、あまりの迫力におもわず「すみませんでした」と謝ってしまった程だ。
「すみませんじゃなくてさ、どういうことなのよ? 梨々香は誰にいじめられてるっていうの?」
渋谷駅に向かう道すがら昨日の出来事をそれとなく伝えようとしたのだが、まさかみくるがここまで熱くなるとは予想外だった。彼女にとって、同じ施設で育った藤崎梨々香は妹のような存在なのかもしれない。
「いや、正確にはいじめられとるわけやないんやけど、今後そうなる恐れがあるというか、何というか……」
「何なのよ、その奥歯に物が詰まったような言い方。男ならはっきり言いなさいっ!」
みくるは攻撃的な言葉と共に、上条の左肩に拳をぶつけてきた。
「痛っ! 暴力はいじめちゃうんかっ!?」
余計なことを言ったため再び肩パンチを喰らった上条は、苦り切った表情で事件のあらましを語った。
「ふーん。つまり要約すると、梨々香が目を付けられているのは同じクラスの『夢魔』メンバーってことね」
おおよその話を理解した様子のみくるは、表情も無くそう語った。当初は自らの手で制裁を与えるくらいの勢いだったが、夢魔の名を聞いてそうも言っていられなくなったようだ。小麦色に焼けたみくるの肌も、今は気持ち青白く感じる。この街において多大な影響力を持つ夢魔に狙われるということは、それ相当の覚悟が必要になってくるのだ。
「けど大丈夫やで。学校では雫ちゃんが守ってくれる言うとったから」
気持ちを落ち着かせるためにそう言うと、みくるは驚いたように色違いの目をパチパチと瞬かせた。
「雫が? 梨々香と同じ高校なの?」
「同じ高校どころか、クラスも一緒みたいやで」
「へー、そうなんだ」
少しだけ安堵の表情を浮かべるみくる。だがそれも束の間、今度は背後から「どけ、どけ、どけーっ!!」という全く平穏とは程遠いがなり声が聞こえてきた。
何事かと思った上条は、状況もわからぬままみくるの肩を脇に引き寄せる。直後、マスクを付けたスキンヘッドの男が、その横を乱暴に突っ切って行った。
マスクにスキンヘッドって、もしかして昨日雫が言っていたキモい奴か? 走る男の後頭部を見らがらそんなことを考えていると、丁度特殊警棒を持った雫がその後を追うように駆け抜けて行った。やはり、昨日空に浮かんでいたキモい奴で間違いないようだ。
「何、あれ? 雫、全然梨々香のこと守ってないじゃない!」雫の姿を確認したみくるは、話が違うとばかりに憤慨する。
「いや、今は放課後やから。学校では守ってくれとるんやないかな? たぶん……」
そう口を濁した上条の横に、いつの間に戻って来たのかキモい男を追っていたはずの雫がひょっこり立っていた。
「藤崎さん、今日学校休みだったわ」
「うわっ、びっくりした!! 雫ちゃん、キモい奴追いかけてたんちゃうんか?」
上条の質問に、雫は黙って空を指差した。薄暗い夕暮れの空に羽の生えた人間が浮かんでいる。スキンヘッドのキモい奴だ。前回同様、空に逃げられてしまったらしい。
「あいつが人外の能力で空飛べるんやったら、雫ちゃんも『同調』の能力で空まで追いかけてったらええんちゃうん?」
上条はそう提案してみるが、雫は静かに首を横に振った。
「『亜人系』の能力はコピーしたくないから」
雫の言う亜人系の能力とは、人外の能力の中でも人に非ざるものに変化する能力の総称。賞金稼ぎをしているとはいえ、やはりそこはうら若き女子高生。人以外の姿が変わってしまう能力には抵抗があるのかもしれない。
「あれ、亜人系の能力なん?」
上条は改めて空を見やる。確かによく見ると、奴の背中から生えている羽は虫の翅のような形をしている。恐らく何らかの虫の能力を持った亜人なのだろう。
「そう。だけどあの人、長い時間は空を飛べないみたいだから、下で待ってれば勝手に下りてくるわ」
雫は空を飛ぶキモい奴を目で追いながら、微かに喜色を浮かべている。今は空を泳がせて体力を消耗させるという策略のようだ。上条は雫に狙われてしまった空飛ぶキモい奴に少しだけ同情した。
「しかし、雫ちゃんが賞金首以外を追い掛けるなんて珍しいな。あいつ何者なんや?」
雫は空から目を離さずに答える。「あの人、私のお尻触ったの」
「お尻? あー、そうなんや。そらキモい男やな」
空飛ぶキモい奴はただの変態だったようだ。とはいえ痴漢は犯罪。空から下りたら、ガッツリ絞められてください。
「そんなことよりさぁ、さっき梨々香が休みって言ってたけど、病欠か何かなの?」
黙っていたみくるが雫にそう問いかける。空を見ていた雫は一瞬だけ視線を下げた。
「さあ、そこまではわからないけど……、あっ、降下し始めた!」
会話の途中だったが、キモい奴が宮益坂方向に降下していくのを確認すると、雫は東に向かって強く地面を蹴った。
「ほどほどにしたれよ、雫ちゃん! 今は戦争前やし、面倒なゴタゴタはこれ以上勘弁やでっ!」
上条はそう言ったのだが、返事はなかった。彼女はすでに声の届かない距離まで走り去ってしまっていた。