†chapter14 コロシアムの怪人26
たった今、ここにいる全員を助けると明言した瀬戸口だったが、何やら不安そうな顔で周りをキョロキョロと見回している。
「あのさぁ、天野は? 天野はここにいないの?」
恐らく彼女は魔窟大楼でもそうしたように、『同調』の能力を持つ雫に協力して貰い瞬間移動の負荷を軽減させるつもりだ。
「いや、雫はいるんだけど……」
拓人はそう言って視線を落とす。確かに雫はそこにいるのだが、今はまだ巡査が亡くなった悲しみを抱えたまま泣き伏してしまっているのだ。
「ちょっと天野、こんな時に何泣いてんのよ! あんたも半分手伝いなさい!」
瀬戸口が叱咤するが、雫は言葉を返さない。
拓人は瀬戸口に、雫の横に目を向けるように促した。そこには側頭部が赤く染まった巡査が静かに横たわっている。
「えっ! 巡査!? う、嘘、死んでるの……?」
瀬戸口も渋谷の住人、当然巡査の強さに関しては十分承知しているはずだ。彼女はとても信じられないといった表情で口に手を当て、その場に立ち尽くした。
「今の雫に人外の能力を使うほどの精神力はないかもしれないな。あんなに仲良くしてた巡査が死んじまったんだ。お前だって友達が死んだら、簡単には立ち直れないだろ?」
「それは、そうだけど……」
瀬戸口は口を濁すと視線を横に動かした。巡査から少し離れたところにもう1人、大の字で倒れている男がいる。それは瀕死の状態の不破征四郎だった。
「不破……? 巡査はスコーピオンの不破と戦って命を落としたの?」
「ああ、不破はヘロイン+の影響で、恐るべき力を手に入れたんだ。巡査がいなければ、俺たちは全員不破に殺されていただろうな」
拓人の言葉を聞いた瀬戸口は何かを悟ったように深く息を吐くと、導かれるかのように前へと進んだ。
「おい、何する気だ?」
嫌な予感がした拓人は瀬戸口の肩を掴む。だが彼女はそれを振りきると、雫の頬を思い切り平手で打った。半球体の障壁の中に肌がぶつかる音が小さく鳴る。
「てめえ! 瀬戸口、何してくれてんだよっ!!」
その行為に憤る拓人を、上条が後ろから制した。
「ちょっと待て、拓人」
「けどよぉっ!」「いいから、待っとけって」
上条に押さえられた拓人が大きく鼻を鳴らすと、瀬戸口は跪く雫に合わせて身を屈めた。
「ねぇ、天野。ウチは詳しいことはわかんないけどさ、巡査はあんたらを守るためにこうなったんでしょ? だったらここでウチらが死んだら、巡査のしたことは全部無駄になっちゃうんじゃない?」
瀬戸口は言うが雫は反応を示さない。しかしそれでも構わず言葉を続ける。
「わかる? 巡査は天野のことが好きだったの! だから自分の命を掛けても、天野のことを守ったのよ!」
瀬戸口が雫の両肩を力強く掴む。泣くことしか出来なかった雫の目に、僅かながら意思の力が宿った。
「鄭さんが、私を……?」
「そうよ」
瀬戸口が頷く。するとそこに、ファンタジスタの黄が無駄に飛び跳ねながらやってきた。
「天野さん。鄭巡査が不破くんに立ち向かう前にあなたに言った言葉を覚えてますか?」
雫は赤い目を大きく瞬かせ、少しだけ首を捻った。
「中国語で何か言ってたけど、私は聞いたことがない言葉で意味はわからなかった……」
その言葉に黄は「でしょうね」と頷く。
「失礼ながら実はあの時、僕もあなたたちの会話を聞いていたんですけど、鄭巡査が言った『死而无憾』という言葉は古代宮廷劇で使われるような古い言い回しなんですよ」
中国語に精通している黄が言う。
「どういう意味なの?」
「翻訳すると『死んでも心残りはない』みたいな意味です。その前に雫のためならとも言っていましたので、繋げると『雫のためなら、死をも厭わない』みたいな文章になりますねぇ」
それだけ言うと黄は朗らかな笑みを見せ、正面入口の方に走っていった。彼もまたキョージンと戦うようだ。
「鄭さん……」
雫の瞳にまた涙が滲んだ。
「天野、巡査の想いはわかったでしょ。今度はあんたがそれに答える番だよ」
瀬戸口が手を差し伸べる。雫は眉根を寄せ歯を食いしばり、その手を掴んだ。
「私、鄭さんが助けてくれた命、絶対に無駄にしない! 瀬戸口さんお願い、私に力を貸して!」
2人は目を合わせる。瀬戸口はにこりと微笑み、掴んだ手を引いた。「力を借りるのはウチの方だよ」
その時、炸裂音と共にドーム型の障壁上部にひびが入った。構成員の1人が発砲したようだ。
「まずい、撃ってきやがった。瀬戸口、俺らはどうすればいい? 早く指示を出してくれっ!」
「すぐに飛ぶよ! 全員ここに集めてっ!!」
瀬戸口に言われた通り、拓人はキョージンと戦っている亜種に向かって叫ぶ。それに気付いた黄が親指を立ててそれに答えつつ、他の連中にも合図を送った。
彼らはすぐに戻ってくるかと思ったがそうはしなかった。黄の合図と共に亜種たちは戦陣を組んだ。
挑発する氏家にキョージンが襲いかかる。だがその背後を突き、岸本と佐伯がそれぞれ右足と左足の関節を攻撃した。膝が曲がりキョージンがよろけると、正面にいた相楽が衝撃波を喰らわせた。床に卒倒するキョージン。最後に氏家が顎を蹴り飛ばすと、全員がこちらに戻って来た。
「急げ、急げ! 瞬間移動でここから脱出するぞっ!!」
拓人たちが手招きすると、更にもう1発銃弾が飛んできた。そしてそれが呼び水となり、雨のような銃弾が飛んでくる。向こうも発砲を躊躇している場合ではないと気付いたようだ。
「クソがっ!!!」
拓人は体育館の中に巨大な旋風を巻き起こす。銃弾は風に弾かれ、満足に当てることが出来なくなった。その隙に中央に集結する亜種たち。そしてそれを囲い込むように、先程よりも2回り小さい障壁が頭上に張られた。
「これで全員集まったね。皆、輪になったら横に人と手を繋いで!」
瀬戸口の命令に従い、普段は敵対するような男たちが黙って手を取り合った。それは多くのストリートギャングが跋扈する渋谷においては、奇跡的な光景だったのかもしれない。
「この人数じゃ、どうせ大した距離の移動は出来ないから、NHK側の出口に飛ぶよ。天野、ウチのイメージ伝わった?」
雫は首を縦に振る。「うん。大丈夫」
その時、キョージンが立ち上がる姿が見えた。顔を真っ赤にして大きく鼻息を立てている。
「まずいぞ! キョージンが来る。早くしろ!」拓人が叫ぶ。
「うるさいな、わかってるってばっ!」
瀬戸口は全員の手がしっかり繋がれていることを確認すると、雫に向かって合図を送った。
「良い天野、せーので行くからね!」
亜種の放つ波動で、障壁内の空気が張り詰める。遠くからキョージンの床を蹴る音が聞こえてきた。
「行くよ! せーの、ジャンプッ!!」
怒り狂うキョージンが迫る中、アリーナにいた亜種の若者たちは全員まとめてその場から姿を消した。




