†chapter14 コロシアムの怪人24
不破征四郎との戦いがこれでようやく終わったというのに、拓人は大きく気力を失いただ静かに溜息をついた。
「俺にもう少し力があれば……」
大勢の亜種の中で、唯一能力を使うことが出来るようになった自分が何としてでも不破を倒すべきだった。だが20もの人外の能力を使いこなす不破が、今の自分に敵う相手ではなかったということも十分承知している。
自分の気持ちに折り合いがつかない拓人は頭の中でそのことを何度も何度も反芻し、その全てを忘れたいという思いに駆られた。拓人は願い事でもするように天を仰ぐ。脳裏に巡査の最後の言葉が蘇った。
拓人、雫のこと頼んだぞ……。
目を瞑り瞼を押さえる。すると目の奥に感じていた特殊な感覚がなくなっていることに気付いた。どうやらスターイエローの効果がなくなり、元の状態に戻ったようだ。しかしそれでいて脳の違和感がなく、普通に人外の能力が使用できるようだ。不破の力が弱まり、彼の持つ『結界』の効果も薄れているということだろう。
頼んだぞって、巡査はそれで良いのかよ?
横たわる巡査に目を向けるが、彼はもう何も語らない。拓人はそっと鼻をすすり、アリーナを見渡した。捕らえられていたみくるも助けたし、人外の能力も元に戻った。もうこんな所からは一刻も早く脱出しよう。
拓人は泣き伏せる雫に声を掛けた。しかし彼女は肩を震わせるだけでその場から動かない。
「雫、ここは危険だ。辛いだろうけど、1度体育館の外に出よう」
「……うん。わかってる」
雫はそう言うが、身体は動かない。ここは無理にでも引っ張っていった方が良いだろうか? そう思った矢先、2階の観客席に黒いスーツを着た集団が列をなしやってきた。まずい。あれはデーンシングの構成員だ。
彼らはアリーナを取り囲むと、中央に集まる亜種に向かって一斉に拳銃を向けた。
「ピストルとか、嘘だろ……」
今日は人生の中で、最低で最悪の日だ。これ以上の不幸はもうないだろう。そう思い至り失意の底に落ちた拓人だったが、その視線の先に最後の希望を見出したのだった。
金属の擦れる音と共に正面の扉が開かれようとしている。観客席からの銃弾さえ交わすことが出来れば、あそこから逃げられるのではないだろうか?
だが拓人は、一瞬でもそんな風に思った能天気な自分を殴り飛ばしたくなった。不幸というものには下限がないらしい。その扉から現れたのは、希望ではなく絶望そのものだったからだ。
扉が開き異常に肩幅の広い大男がのしのしと歩いて来る。あの類人猿のようなシルエット。それは代々木体育館の近くで戦ったウエスタン警備保障のガードマン、通称『キョージン』と呼ばれている男だった。
「……いよいよ詰んだな」
拓人をはじめ、亜種全員の顔が青褪める。わくわくファイナンスの赤間に至っては、キョージンを見るなり奇声を上げると泡を吹いて倒れてしまった。何かトラウマを呼び起こしたのかもしれない。
キョージンは手に持ったブラックジャックという殴打武器を肩慣らしに何度も振り抜く。離れているが、風を切る音がここまで聞こえてきた。奴は戦いたくてうずうずしているようだ。全く冗談じゃない。
「ヘミスフィアシールドッ!」
不意にB-SIDEの三浦が叫んだ。するとアリーナの中央にドーム状の障壁が張られ、亜種たちを大きく囲んだ。危機感を覚えていた亜種たちは、すぐにその中心に集まりだす。だがこの障壁の大きさでは耐久性は期待出来ないだろう。
突然現れた透明な壁に観客席にいるデーンシングの構成員たちがどよめくと、どこからか若獅子の怒鳴り声が聞こえてきた。
「メビウスだ。とっととメビウスを発生させろっ!!」
天井中央の大きなスピーカーは破壊されてしまっていたが壁側にもいくつかスピーカーが残っており、そこから発せられた声だった。
「恐れながら若様、メビウスの発生装置がスピーカーと共に破壊されております!」
サングラスを掛けた構成員の1人が大声で報告する。不破が天井から落としたあのスピーカーには、メビウスの発生装置も一緒になっていたようだ。
若獅子は体育館内の音もしっかり聞いているようで、スピーカーから彼の舌打ちが聞こえてきた。
「そのガキどもは絶対に逃がすんじゃねえぞ! そいつらはバンコクに連れて帰って四肢を切断したら、蟲壺の中に閉じ込め蟻酸に塗れながら死んで貰う。少しくらいなら撃っても構わねえが、基本は生け捕りだ。1人でも逃がすようなことがあればわかってるだろうな? 俺を失望させた奴は『赤の掟』通り、自らが出演するスナッフフィルムをお前らの家族に送ることになるだろう……」
若獅子の言葉に、体育館の空気が一気に張り詰める。構成員も命が掛かっている。いつ発砲されてもおかしくない状況だ。
「四肢を切断って正気かよ!?」
拓人は足の付け根を押さえる。何故だか腕と足の付け根がむず痒くなってきた。
「腕と足を切り落とすんは、デーンシングがよくやる身体刑の1つや。ほんでしっかりと治療を施した後で、それを売り物にするらしいで」上条が上擦った声で言う。
「売り物って、そんなもん買う奴がいるのかよ!?」
「わからんけど、少なからず需要があるんやろうな。いつの時代も猟奇的な変態ってのはおるもんや」
上条にそう言われると、拓人は恐怖と緊張で手足が次第に痺れてきた。
四肢を落とされてたまるかよ。それに蟲壺って何だ? 何だかわからないけど、何か想像がつく。絶対に捕まりたくねえ。だがここを脱出することに関しては、ほぼ絶望的な状況だった。
「ところでこの障壁って銃弾も防げるのか?」
拓人が聞くと、三浦は苦笑を漏らした。
「馬鹿言え、不破が作りだした障壁と一緒にすんな。しかもこれだけのでかさだ。キョージンなら素手でも破壊するだろうよ」
拓人と三浦は正面の入口に目を向ける。キョージンが徐々に障壁に近づいているのが見えた。
「けど全員、人外の能力が使えるんだ。何かしら逃げ出す方法があるだろ!」
しかし正面にはキョージン、そして周りには拳銃を持ったデーンシングの構成員たち。一体どうやって逃げれば良いというのだろう?
するとその時、大掛かりなイリュージョンのようにパッと若い女が障壁の中心に出現した。金髪縦巻きのドーリーヘアー、そして露出の多い派手な服と肩に掛けるように緩く巻いた豹柄のストール。それは『瞬間移動』の能力を持つ、ALICEのリーダー瀬戸口であった。




