追放もテンプレートで
「今回は異世界からの方が二人も。なんと心強い。我が教国の歴史に、新たな黄金の1ページが刻まれる瞬間に立ち会えるとは、このアイバー、身に余る光栄にございます」
アイバー神官長の言葉は、表面上こそ蜜のように甘く、懃懃無礼なまでの祝辞に満ちていた。しかし、その声のトーンは、彼の視線が誰に向けられているかによって露骨なほどに変質していた。彼が熱烈な視線を送るのは、身なりの良いフランソワとショウタの二人だけであり、礼子やシェーラを見るその冷徹な瞳には、明らかに「期待に沿う者」と「そうでない者」を峻別する、残酷なまでの天秤が置かれていた。
「それでは皆様方、神より授かりし、どのような力をお持ちか判定を行いましょう。フランソワ様とシェーラ殿は、この世界の住人として既にご自身の能力はご存知かと思いますが、召喚の儀式を経て、魂の奥底に新たな称号が芽生えているはずですので。さあ、こちらへ」
神官の従者が、恭しく捧げ持って運んできたのは、鏡面のようにどこまでも深く磨き上げられた一枚の黒曜石の板だった。そこに映り込む自分たちの姿は、まるで深淵に吸い込まれるように黒ずんで見える。まず、凛とした、そして一分の隙もない足取りでフランソワが前に出た。彼女が白く細い指先をその冷たい石板にそっと触れさせると、滑らかな表面に、内側から光が溢れ出すようにして白い文字が浮かび上がった。
『聖女 火/光』
「おお……! 聖女様だ! しかも、この暗雲立ち込める時代に、最も尊ばれる火と光の加護を併せ持っておられるとは!」 「これぞ神の御意志。我が教国の救い主が現れたのだ!」
周囲を囲む神官たちの間に、祈りにも似た熱狂的な歓喜のどよめきが、さざ波のように広がっていく。フランソワ自身も、その称賛の嵐を当然の権利として受け入れるように、美しく整った胸を誇らしげに張り、神官長に向けて優雅な微笑みを返した。
次に、ショウタが己の主役としての座を確信したような、自信満々の笑みを浮かべて前に進み出る。彼はまるでスポーツの優勝カップに触れるような軽やかさで、その石板にガサツに手を置いた。
『勇者 光』
「勇者様だ! 光の勇者様がお出ましになったぞ! 伝説の再来だ!」 「これで魔王の軍勢など、恐るるに足りぬ。神よ、感謝いたします!」
神殿内のざわめきは、もはや制御不能なほどの熱狂へと変貌した。神官たちは跪き、涙を流して天を仰ぐ。ショウタは、そんな周囲の過剰なまでの賞賛を全身で浴びながら、少しだけ得意げに鼻を鳴らした。
礼子は、その光景を少し離れた場所から、まるで他人の家の喧騒でも眺めるような冷めた目で見つめていた。彼女は無意識に、ボサボサの髪の毛先を指で弄りながら、脳内で現状のスペック分析を開始する。 (……出るのは称号と属性だけか。ステータスの詳細や、恥ずかしいスキル名まで筒抜けにならないのは、プライバシーの観点からも助かる。現地人も日常的に使っている鑑定法なら、魂を削り取られるような変な罠の可能性は低そうだし。何より、この先どう動くにせよ、自分の手札が何であるかを知っておかないと、攻略前に詰んで死ぬだけだからね)
礼子は、周囲の熱狂に水を差すように、のっそりと無造作な足取りで歩み寄った。高価な大理石を汚すような安物の靴の音を響かせ、彼女は無骨な、指の節が少し太い右手の指先を、その黒い石版に無遠慮に触れさせた。
『勇者 土/水』
その文字が浮かび上がった瞬間、沸き立っていた神殿内が、まるで氷水を浴びせられたようにしんと静まり返った。 「……勇者が、二人? そんな馬鹿なことが」 「しかし、土……? 地味すぎる。それに、副属性が水だと? どちらも光を含まないのか?」
アイバー神官長の目が、それまで見せていた懃懃な輝きを失い、あからさまに「出来損ないの不良品」を見るような、濁った色に染まった。ショウタに至っては、肩をすくめて「お前が勇者? 冗談だろ」とでも言いたげに、鼻で笑って視線を逸らしている。
「有史以来ですね、勇者が同時に二人顕現するとは。ですが……正属性に土、副属性に水ですか。通常、魔王を討つべき真の勇者ならば、その本質には闇を払う光、あるいは浄化の力が宿るものなのですが」
アイバーの言葉の端々には、隠そうともしない「偽物」、あるいは「ハズレ」を引き当ててしまったという落胆と蔑みが、ねっとりとこもっていた。
最後に、その重苦しい空気から逃げ出すように、あるいは押し潰されそうになりながら、シェーラがおずおずと指をかけた。
『聖女 疫病/回復/死』
「二人目の聖女……三属性だと? まさか、フランソワ様以上の逸材か?」 一瞬だけ、神殿に驚きと期待が走ったが、その内訳が判明した瞬間、神官たちの態度は「嫌悪」と「恐怖」へと一変した。彼らはまるで汚物を見るような眼差しを向け、中には魔除けの印を切りながら、シェーラから目に見えて距離を置く者まで現れた。
「……なるほど、現状の状況は過不足なく理解いたしました」
アイバー神官長は、これ以上時間を割くのは無駄だと言わんばかりに、事務的に、そして極めて冷酷に言い放った。その声には、先ほどまでショウタたちに向けていた慈愛の欠片も残っていない。
「神のお告げは明白です。我が教国が戴くべき本物の勇者と聖女は、こちらのショウタ様とフランソワ様のお二方のようですね。残りの二人は、次元の歪みが生んだ、何かの手違いで召喚に巻き込まれただけの不純物……といったところでしょう」
不純物。 その容赦のない一言を切り捨てた合図のように、それまで控えていた屈強な護衛神官たちが、威圧的な動作で一斉に動き出す。
「お引き取りください。これはせめてもの、我が国の情け。迷惑料です。早々にお立ち去りください」
礼子の足元に、ジャラリと、重みのない鈍い音を立てて小さな薄汚れた皮袋が投げ捨てられた。まるで道端の乞食に施しを与えるような、無造作な動作。次の瞬間、神殿の巨大で重厚な扉が無機質な音を立てて開かれ、野良犬を追い払うような、言葉にならない無言の圧力が二人を外の世界へと押し出した。
背後で、重い石の扉が「ドン」と腹に響くような音を立てて閉まる。 夕闇が忍び寄る、冷たい石畳の路地裏。湿った風が吹き抜ける中、そこには地味で冴えない現代の新社会人と、腰から下が蛇という異形の女が、無情にも放り出されていた。
(……見事なまでの追い出し。まあ、あんな利権の匂いがプンプンする面倒そうな連中に囲まれて、いいように駒として使い潰されるよりは、自由が利くだけマシか)
礼子は、地面に転がった皮袋を無造作に拾い上げると、壁際で膝を抱えて小刻みに震えているシェーラを、感情の読めない瞳で一瞥した。
「絶望しているところ申し訳ないけど、シェーラさん。ここにずっと座り込んでいても、事態は一ミリも好転しないわ」
礼子の声は、慰めというにはあまりに平坦で、まるで業務連絡のような響きだった。しかし、そこには相手を嘲笑するような悪意もなく、不思議と突き放すような冷たさもなかった。
「まずは今夜の拠点。それから明日の食糧。あなたが故郷に帰るための具体的な方法を見つけるまで、私はあなたに協力するわ。でも、タダじゃない。代わりに私にこの世界の常識やルールを教えて。持ちつ持たれつ、ギブ・アンド・テイクでいきましょう」
膝を抱えていたシェーラが、涙に濡れた長い睫毛を揺らしながら、戸惑いと驚きを隠せずに顔を上げた。礼子は投げ渡された皮袋の中身を指先で探り、ため息をつく。中に入っていたのは、粗末な安宿でせいぜい数日過ごせば底をつく程度の、端金に等しい銅貨の束だった。
(……実に吝嗇な教国ね。まあ、最初から一国の予算を掠め取れるなんて期待はしてなかったけど)
二人は重い足取りで、神殿近くの活気だけはある市場へと向かった。礼子が、一銭でも長く資金を持たせるために、見た目よりも腹持ちの良さそうな硬い保存食を選ぼうとすると、シェーラは意外にも、隅で売られていた安物の小さな素焼きの壺と、ひどく熟して潰れかけたひと房のブドウを買い求めたいと、消え入りそうな声で訴えた。 ラミアという種族は果実しか口にしないのか、あるいはこの世界の奇妙な文化なのかと訝しみながらも、礼子はそれを買い与え、二人は場末の安宿の、カビ臭い風が吹き抜ける相部屋へと転がり込んだ。
部屋に入り、建て付けの悪い扉に鍵をかけるなり、シェーラの雰囲気が一変し、迷いのない動作で動き出した。
「……急にどうしたの。何をしてるの?」 「儀式の……準備、です。私の里では、皆が集まる時には、こうして神に捧げるものを作っていましたから」
シェーラは買ってきた壺の口を両手で包み込むように覆うと、その瞳に深い闇のような光を宿した。彼女の指先から、どろりとした重苦しい気配を持つ「死」の魔力が、壺の中へと静かに注ぎ込まれていく。 それを見た礼子が驚きをあらわにするのを余所に、シェーラはブドウの実を壺の中で丁寧に指で潰し、わずかな水を加えた。
次に、彼女の掌から放たれたのは、毒々しくも生命の躍動を感じさせる、どす黒い「疫病」の魔力。それが、「回復」という本来相反するはずの柔らかな白い光と混ざり合い、壺の中で奇妙な渦を巻いていく。 やがて、埃っぽく、湿った空気に満ちていた安宿の一室に、それらを全て塗りつぶすような、芳醇で刺激的な香りが立ち込め始めた。
鼻を突く、しかしどこか甘美な、アルコールの匂いだ。
「私の持つ『死』の力は、人間を殺すほど強くはありません。虫以下の、目に見えない小さな命しか殺せません。でも……だからこそ、聖なるものを造る前に、道具を完全に清め、不純な穢れを祓うのに丁度いいんです。そして『疫病』は、この果実の中で眠る命の変質……発酵を爆発的に早め、『回復』がその変化を望ましい形に安定させます」
シェーラは出来立ての、まだわずかに温かみすら感じる液体を木杯に注ぎ、その香りを確かめるようにちびちびと舐めながら、消え入りそうな声で己の素性を語り始めた。 彼女は遥か南の大陸にある平和な蛇人の里から、この教国の傲慢な「召喚」の歪みに巻き込まれて飛ばされたこと。魔王軍による海上封鎖が続き、正規の航路が断たれている今、今の自分には自力で帰る術などどこにもないこと。そして、故郷の里では、儀式に使う特別な「聖なる酒」を造り出す、神に仕えるシャーマンだったこと。
(……なるほど。死の力で殺菌を行い、疫病と回復を巧みに掛け合わせて、発酵のプロセスを分子レベルで制御して醸造する、か。これはファンタジーの皮を被った、高度なバイオテクノロジーじゃない)
礼子の目が、現代社会を生き抜いた社畜の、シビアなビジネスのそれへと鋭く細まる。 ただの「無能な不純物」として権力者から切り捨てられた能力。しかし、目の前のラミアの女性が、文字通り数分で造り上げてみせたのは、この粗末で不潔な部屋にはおよそ不釣り合いなほど、洗練され、芳醇な香りを放つ極上の酒だった。
「シェーラさん。これ、材料と道具さえあれば、他にも、もっとたくさん造れる?」 「え、ええ……。そうですね。きちんとした設備と、良質な原料さえあれば、もっと何年も寝かせたような、質の良いものもお出しできると思いますけれど」
礼子は硬いベッドの縁に腰掛け、自分に与えられた属性である「土」と「水」を脳内で転がしてみる。 土があれば、作物を育てるための豊かな大地を、あるいは醸造に耐えうる頑丈な容器を。水があれば、それを潤し、不純物を濾過し、清廉な仕込み水を。そして何より、目の前のシェーラには、それらを「黄金の液体」へと変える魔術的な醸造技術がある。
「決まりね。シェーラさん、私たち、まずはこの酒でこの世界の路銀を稼ぎましょう。異世界だろうと、時代がどうだろうと、美味しいお酒を欲しがる欲求に抗える人間なんて、どこにだっていないはずよ。これはビジネスになるわ」
地味な勇者の、光を宿さなかったはずの瞳に、社畜時代に消費されるだけだった日々には決してなかった、静かだが確かな野心の火が、青白く灯った。




