ラブレター その⑨
カリンは定期的に王宮を抜けだしては、タキール広場へ繰りだすようになっていた。
その日もカリンは、ヘルメスの手引きにより、王宮を抜けだした。ノートで知り合った少年を探すため、いつものようにアセビと広場を歩く。
いつの間にか少年を探すことは主な目的ではなくなり、アセビと広場を散策することが主な目的に変わっていた。美味しい食べ物に舌鼓を打ったり、外国の遊戯に興じたり、曲芸に拍手を送ったりと、ここでは毎日新しい発見があった。
アセビと出会ってから一年余りの時が流れ、二人の距離は急速に近づきつつある。
11歳になったカリンは身長が急激に伸びて、子供から大人の体へ変わりつつあった。対するアセビも16歳となり、細かった体に筋肉がついて、逞しい青年へと成長した。肩を並べて歩く二人を見て、誰もが二人の関係を恋人か、それに近しい関係だと思っただろう。
その日も少年は見つからなかったが、楽しい時間を過ごすことができた。歩き疲れた二人は、広場にあるベンチに腰かけて、足を休めていた。
もうすぐウトリとの約束の時間だ。そろそろ戻らなくてはならない。次はいつアセビに会えるのだろう?
この時間になると、いつもそんな不安が胸を占めて寂しくなる。お互いに思いは同じなようで、それまで途切れることなく続いていた会話が、不意に途切れた。
隣に座るアセビをなんとはなしに見ると、アセビの鞄が目に入る。アセビはいつもその鞄を持ち歩いていた。
「その鞄の中には、なにが入ってるの?」
「商品だよ。リンカと別れたあと、俺は広場に戻ってきて、商品を売ることになってるんだ」
アセビは袋状になっている鞄の口を広げると、鞄の中から桃を取りだして、ベンチの上に置いた。それが商品ではないことは、カリンも知っている。
「アセビは本当に桃が好きなのね」
「桃は世界で一番おいしい食べ物だからな。でも、こいつは商品じゃない。さてさて、今日の商品はなにかな?」
ベンチの上に、商品が次々と置かれていく。王宮でも滅多に見ることのできない珍しい品物ばかりだった。
「凄い! こんなに珍しい品物を取り扱っているなんて……。アセビって実は、凄い商人だったんだね」
感心するカリンに、アセビが苦笑する。
「商品を仕入れたのは、ウトリさんだけどな」
「アセビもウトリみたいに立派な商人になれるといいね」
カリンはアセビを励まそうと思ったのだが、なぜかアセビは真顔になった。
「どうしたの?」
不思議に思って尋ねると、アセビは周囲に視線を巡らせたあと、声を落として囁いた。
「まだたしかなことはわかってないんだけど、ウトリさんには気をつけたほうがいい」
「どういうこと?」
「それは事実がわかってから言うよ。いいか? 俺がこんなことを言っていたことは内緒だぞ?」
アセビの瞳の奥で、恐怖が揺れていた。本気で怯えているアセビに、カリンまで怖くなる。ゴクリと唾を飲みこむと、カリンは神妙な面持ちで頷いた。
「わかった。誰にも言わない」
「よし、この話はこれでおしまいだ。商品の話をしていたんだったな。これは恐竜の化石だろ。それでこっちはビキューナのハンカチで――」
再びベンチの上に、珍しい品物が並べられていく。ウトリに対する不信の念は、その品物に対する驚きにとって代わった。
次の品物を鞄から取りだそうとしたアセビだったが、品物を鞄の中に戻した。
「おっと、これは商品じゃない」
ほんの一瞬だが、ノートのようなものが見えた。そのノートを、ずっと前にどこかで見た気がする。
どこで見たのだろう? 思いだそうとしたところで、ウトリとの待ち合わせの時間を告げる教会の鐘が鳴った。
「もう時間だ。そろそろウトリさんのところへ戻ろう」
アセビは手早く荷物を鞄の中に片付けると、カリンをベンチから立たせる。
帰りの道中でも、二人の会話が途切れることはなかった。話題は、今もっとも注目を集めている和平協定の話になった。
「カステア王国は、ヤマ帝国と和平協定を結んだんだろ?」
「そうだよ。これできっと戦争も終わって平和になるね」
「ヤマ帝国の使者が暗殺されそうになったとき、それを止めに入ったのはカリン王女だ。カリン王女がいなければ、和平協定は結ばれなかった。カリン王女には感謝しないとな」
アセビがイタズラっぽく笑う。カリンも釣られて口角を吊り上げた。
ヤマ帝国の使者は、父の文書を携えて、ヤマ帝国へ帰国した。そのときに、カリンに命を救われたことを、ヤマ帝国の皇帝に話したらしい。その話は瞬く間に、世界中へ広まった。
「カリン王女が女王に即位したときに、その王配になりたいと、各地の王子が名乗りを上げてるそうじゃないか。カリン王女は、誰を夫に選ぶんだろうな?」
王の妻は王妃だが、女王の夫は王配と呼ばれる。その王配の座を巡って、にわかに社交界がざわついていた。
隣を歩くアセビの瞳を、カリンは覗きこむ。
「アセビは誰と結婚するのがいいと思う?」
「うーん、誰がいいんだろうなぁ」
アセビは頭をかきながら、困った顔をしている。
「教えてよ」
「もうすぐウトリさんとの待ち合わせ場所だ。その話は、また今度にしよう」
カリンは足を止めた。それに気づいて、アセビも立ち止まる。
カリンは背伸びをすると、アセビの耳に唇を近づけた。
「アセビがいいと思う人と、私は結婚する。だから、私の結婚相手は誰がいいのか教えて」
瞬きの音さえ聞こえそうなほど間近で、カリンはアセビの瞳を見る。アセビは瞳を逸らさずに、カリンだけを見ていた。騒々しい人通りの中で、二人の瞳には、互いの姿しか映っていない。
アセビの喉仏が上下に動いた。
「それは……カリン王女の好きな人だよ。自分の好きな人と結婚できたら、カリン王女も幸せだろうし」
「じゃあ、カリン王女がアセビと結婚したいって言ったら、アセビはカリン王女と結婚するの?」
「なに言ってんだよ。そんなことあるわけないだろ」
アセビは笑って冗談にしようとする。しかしカリンは、それを許さない。
「もし、あったら?」
「あったらって……」
どう答えればいいのかわからなくて、アセビは困り果てている。
アセビの真意を聞きだすために、カリンは口を真一文字に結び、次の言葉を待った。
「俺は平民だぞ。平民が王族と結婚するなんて、ありえないだろ」
カリンの聞きたい言葉は、そんなつまらない言葉ではなかった。
「意気地なし」
カリンはアセビを置いて、ずんずん前へ歩いていく。その後ろを、アセビが慌ててついてくる。
「だって仕方ないじゃないか」
「そんな簡単にあきらめちゃうんだ。アセビにとってカリン王女は、その程度の存在なのね」
不機嫌丸出しで、そっけなくカリンは突き放す。カリンがこんなにも不機嫌なのは、アセビに失望したからだ。
そんなカリンの様子に、ようやくアセビは決心したらしい。
「ここで買い物をしよう」
アセビがカリンを呼び止める。その声には有無を言わせぬ響きがあった。
アセビの立ち止まった店では指輪を売っていた。決意したアセビの顔に、その意味を悟り、こっちまで緊張してくる。
「指を見せてくれ」
言われるままに、おずおずとカリンは手を差しだす。赤面したアセビは、カリンの指のサイズを調べた。
それからアセビは店主に頼んで、二つの指輪を購入する。同じデザインの指輪のうち、小さい方を、カリンに差しだした。
「この指輪を受けとってくれないか? いつかこれとは違う本物の指輪を贈るから」
アセビがなにを言わんとしているのかは、カリンにもわかった。この指輪は婚約指輪であり、あとで渡すという指輪は結婚指輪だろう。
「わかった。大事にする」
湯気が出そうなほど赤い顔で、カリンは指輪を受けとり、左手の薬指にはめる。
きっとこの日、カリンは世界で一番幸せだった。なんの疑いもなく、この幸せがずっと続くものだと思っていた。
しかし、その日を境に、アセビはカリンの前から姿を消した。




