ラブレター その⑦
それからカリンは、アセビと協力して少年を探した。
人が多すぎて思うように前へ進めない上に、広場は桁外れに広い。3時間近くも歩いたのに、広場全体の10分の1も回れなかった。
額に浮かぶ汗を、カリンは腕で拭う。人々の生み出す熱気で、立っているだけでも汗が滲み出てくる。
「どれだけ広いのよ。全部回るのに丸一日あっても、ぜんぜん足りないじゃない」
「おまけに同じ場所でも、時間帯によって商人が変わるからな。ここで売られているすべての商品を見るなんて、絶対に不可能だ」
ここで商売を営むアセビが、活気に満ちた広場を、我がことのように自慢した。
――俺が知らない商人だって、たくさんいるし、その中にきっと、その男の子もいるはずだ。
少年を探す前に、アセビはそんなことを言っていた。カリンを励ますための気休めの嘘かと思ったが、あながち嘘でもないらしい。
砂漠で宝石を探すような途方もない徒労感を覚えた。一方で希望も湧いてくる。これだけ人がいるのなら、どこかに少年もいるかもしれない。
「リンカ、もう時間だ。残念だけど、そろそろ戻らないと」
「わかった。また一緒に男の子を探そうね」
「もちろん。俺一人でも、男の子を探してみるよ」
「ありがとう」
少年に会いたい。その思いに変わりはないが、別の思いが胸に生まれていた。
協力して少年を探すうちに、アセビともずいぶん打ち解けた。ウトリとの待ち合わせ場所まで戻りながら、カリンはアセビに質問する。アセビのことが気になって仕方なかった。
「アセビのお父さんも商人なの?」
それは何気ない質問で、カリンに悪気はなかった。
「父さんはもう死んでるよ。7年前のヤマ帝国との戦争のときに、徴兵されて戦死したんだ。母さんは弟と妹の世話で、いっぱいいっぱいでさ。それで家族を養うために、俺はウトリさんのもとで働いてるんだ」
アセビの表情からは、明るさが消えていた。
何人死んだとか、何人殺したとか、戦争に纏わる死者の数は、カリンにとって戦争の規模を推し量るものでしかなく、なんの感慨も湧かなかった。単なる数字の大小でしかなかったからだ。
しかし、ここに戦争の犠牲者がいた。遺族を前にして、初めてカリンは人の死の重みを知った。
重い空気を変えようと、カリンは言葉を捻りだす。
「次の戦いでカステア王国が勝って、戦争は終わるから。アセビのお父さんの死は無駄にはならないよ」
アセビは視線を地面に落として、黙りこんでしまった。伏せた長いまつ毛には、憂いが滲んでいる。きっと父を失って、そのまつ毛を何度も涙に濡らしてきたのだろう。
「もうすぐヤマ帝国に勝てるんだよ? アセビだって、それは嬉しいでしょ?」
不安になったカリンが早口で尋ねると、アセビは真剣な目をカリンに向ける。その真剣さは恐ろしいぐらいだった。
「戦争をすれば、カステア王国とヤマ帝国のどちらにも死者が出る。俺みたいに親を亡くした子供が増えるんだ」
どうして、そんな当たり前のことに気がつかなかったのだろう? カリンは過去の浅はかな自分の言動を恥じた。
食事をしていても、最近はやたらと家臣が食堂に入ってくる。
王である父の耳に、家臣は口を寄せると、声を潜めて報告した。カリンたちに聞こえぬように配慮しているようだが、水を打ったように静かな食堂では、その声は筒抜けだ。
「ヤマ帝国が和平を結ぼうと使者を送ってきました。いかがいたしましょう?」
父は眉間に深い縦皺を刻み、腕を組んで考えこんでいる。
カステア王国とヤマ帝国は、海を挟んで向かい合っていた。祖父が玉座に座っていたときは、海が二つの国を隔てており、互いに干渉することはなかった。しかし、造船技術の進歩により、航海距離が伸びると、両国は干渉しあうようになった。
最初は漁船が衝突したことが始まりとされているが、正確なところは定かではない。両国は小競り合いを繰り返し、しだいに争いの規模は大きくなり、ついには戦争にまで発展してしまった。
ヤマ帝国とは交戦と休戦を繰り返しているが、交戦状態にあるときは貿易船が途絶える。すると、王宮に運びこまれる食材は貧相になり、毎日変わり映えのない料理が食卓に並んだ。カリンの好きな異国の服や宝飾についても、休戦に入るまではお預けだ。だからカリンは、食事やお洒落の楽しみを奪うヤマ帝国が大嫌いだった。
そんなヤマ帝国を、あと少しで降伏させるところまで追いつめている。今は休戦状態にあるが、次の戦いが最後になると予想されていた。
敗色が濃厚になったヤマ帝国は、和平を結ぼうなどと寝言を抜かしている。自分の力量を見誤り、間違った相手に喧嘩を売った愚かな者に、逃げ道を与える必要などない。
「そんな使者なんか殺しちゃえばいいのよ。早くヤマ帝国をやっつけて!」
感情を剥きだしにするカリンだったが、父は冷静な視線を返してきた。
「簡単に言うな。海の向こうにあるヤマ帝国に、大量の兵士を送らなければならないんだぞ? そうなると我が国の兵士も、たくさん死ぬことになる。戦争が終わるのなら、和平も一つの手だ」
「どうせ和平なんて嘘よ。ヤマ帝国は私たちを油断させて、寝首をかこうとしてるのよ。お父さんのバカ!」
カリンは食堂を飛びだした。憎悪でしか物事を考えられないカリンの背中を、周囲の大人たちは呆れた目で見ていた。
あのときの自分を、ぶん殴りたい。戦死した人、そしてその家族について、もう少し想像を巡らすことができれば、あんなバカなことは口にしなかったのに。
自らの行いを反省するカリンに、アセビは静かな声で続ける。
「和平を結ぼうと、ヤマ帝国から使者が来たんだろ? 戦争なんて、もうコリゴリだ。カステア王国の国王が、賢い判断をしてくれることを、俺は祈ってる」
アセビは知らないが、ヤマ帝国の使者を殺すように、カリンは父に意見した。それを責めるようなアセビの言葉に、なおさらカリンは落ちこんだ。
そんなカリンを見かねたのか、俯いたカリンの前に、アセビはピンク色の果物を差しだした。
「ほら、これを食べろよ」
アセビが優しく笑う。その笑顔に、カリンの胸はたちまち軽くなった。
「なにこれ?」
「桃だよ。東洋の国から最近輸入されるようになった果物で、俺はこれが大好物なんだ。皮ごと食べられるから、食べてみろよ」
「ふーん」
淡いピンク色の果実は、まだ熟していないようにも見える。もしかしてアセビは、まだ熟れていない果物を、私に食べさせようとしているのだろうか?
上目遣いにアセビを見ると、アセビは目で食べるように促している。
妙な勘繰りをして、アセビの好意を断るわけにはいかない。カリンは勇気を出して、未知の果物に被りついた。
果汁があふれて、顎を伝う。とても甘いのに、サッパリとしていた。この果物なら、いくらでも食べられそうだ。
「おいしい!」
「だろ? はい」
アセビが手の平を差しだした。その意味がわからず、カリンは首を傾げる。
「なに? どういう意味?」
「お金だよ。タダでやるとは言ってないぞ」
いたずらっぽく笑うアセビに、カリンは頬を膨らませる。
「ケチ!」
「ごめんごめん。冗談だから怒るなって」
帰りの道中でも、二人の笑い声は絶えなかった。




