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モデル その⑦

 流乃の絵に書かれていた病院の前に、五夜は立っていた。そこは精神病院で、病院は山の中にひっそりと佇んでいた。

 入り口の自動ドアを抜けると、白を基調とした明るい受付が見えてくる。五夜は受付の女性に声をかけた。


「ここに入院していた患者のことで、お話を伺いたいんですけど」


 すると受付の女性の顔には、ありありと警戒の色が浮かんだ。


「入院患者については守秘義務があるので、お話することはできません」

「その入院患者は僕の母なんです。入院患者の家族になら、話しても問題ないでしょう?」


 母という単語を口にしたことで、いくぶん女性の雰囲気が和らいだ。しかし依然として、その警戒は解けていない。女性から返ってきたのは、もっともな言葉だった。


「それなら、お父様に聞けばいいじゃないですか。わざわざ、こんな辺鄙な場所にある病院まで来て、質問することではないでしょう」

「父に聞いても教えてくれないから、わざわざ、こんな所まで来たんです。お願いします。僕に母のことを教えてください」


 女性の情に訴えかけてみたが、女性は職務に忠実だった。


「お父様が口を閉ざしているのなら、なおさら私の口から、お話しするわけにはいきません。仕事の妨げになるので、お引き取りください」


 どうやらこれが最後通告らしい。女性からは、五夜を撥ねつけるような空気が出ていた。これ以上の説得は無駄だとあきらめて、五夜は病院を後にした。


 初夏の日差しを浴びながら、五夜は反省する。もっと考えてから話しかけるべきだった。もうあの女性から、母の情報を引きだすのは不可能だろう。


 落胆した瞳に映ったのは豊かな自然だ。藤やヤマツツジの花が、五夜を慰める。近くにあるベンチに腰を下ろすと、A4サイズのスケッチブックを、リュックサックから引っ張りだした。

 母もこの景色を見ていた。画家としては月並みな発想だが、母の見ていた景色を、絵に残しておきたかった。


 のどかな鳥の囀りに耳を傾けながら、五夜はデッサンに集中する。絵を描くうちに、毛羽だった心は静まり、先ほどの苦い失敗の痛みも和らいだ。

 しかし、いくら自然に囲まれていても、目の前にあるのはたしかに精神病院だ。窓には患者の脱走と自殺を防止するための格子があり、近寄りがたい独特の雰囲気を放っている。


「僕も絵を描きたい! ねぇ、僕にノートと鉛筆を貸してよ?」


 声の出所に目を向けると、病院の窓から、五夜を見ている中年男性がいる。声は年相応の声だったが、話し方がみょうに幼ない。おそらくは入院患者なのだろう。そんな入院患者を、年配の看護師がなだめる。


「ごめんなさい。この病院では、鉛筆は禁止されてるの」

「なんで禁止されてるの?」

「15年ぐらい前だったかしら? 画家の患者がいたのよ。その患者は、鉛筆を自分の舌に突き刺して死んじゃったの。それから鉛筆が禁止になったのよ」


 自殺する様子を想像したのか、入院患者は、うえっと舌を出した。

 15年前に亡くなった画家の患者。母が亡くなったのも15年前だ。おそらく自殺した画家の患者とは、母のことだろう。


 母の死因は自殺だったのか。生まれたばかりの五夜を置いて、なぜ母は自殺したのだろう?

 思いだすのは、母が最後に描いていたマトマだ。麻薬中毒者のごとく、母はマトマを欲していた。マトマのせいで、母の精神はおかしくなったのではないのか?


 不思議なノートを見つけた日から、五夜はマトマを口にしていない。ずっと無視していたが、マトマを食べたい欲求は膨らむばかりだ。その欲求に素直に従えば、僕も母と同じ運命を辿るのだろうか?

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