モデル その⑥
流乃の没後15周年の絵画展に行くために、五夜は駅前の歩道を歩いていた。
亡くなった画家は、本当に流乃なのだろうか? もしそうなら、消滅したノートを介して、15年前の流乃と繋がっていたことになる。
美術の先生から流乃の話を聞いたあと、インターネットで流乃について調べてみた。しかし、流乃は人目を避けるようにして生きていたようで、顔や正確な年齢さえもネット上には存在しなかった。知りたかった流乃の死因も、依然として不明なままだ。
入場料を払って、絵画展に足を踏み入れると、そこには流乃の世界が広がっていた。
流乃は創作意欲にあふれていたようで、短い生涯の間に、たくさんの絵を残していた。流乃の人気は、死後にじわりじわりと高まりつつある。いずれはゴッホのように、爆発的な人気を得るかもしれない。
流乃の絵を見て、気づいたことがあった。退廃的な雰囲気と、幻想的な美しさが、流乃の絵には同居している。それは五夜の絵と同様の特徴であり、美術の先生が言っていたように、五夜の絵と流乃の絵は似ていた。
流乃からは、自分と同じ匂いがする。流乃がすでに亡くなっていることが惜しかった。もし生きていたら、一度でいいから話してみたかった。
他者との関わりを避けてきた自分が、いつもとは真逆の考えをしている。なぜこんなにも、流乃を特別に感じるのだろう?
次の絵に視線を向けた瞬間、五夜の体が彫像のように固まる。そこには白衣を着た若者の絵があった。若者の顔は、五夜の身近にいる人物の顔と、そっくりだった。
(この絵のモデルは、父さんなのか?)
日に焼けた今の父とは異なり、まだ若くて肌が白いが、間違いなく父だ。父の持つ暖かな人柄までもが伝わってくる。絵は写真よりも忠実に、父を描写していた。
(父さんと流乃は、知り合いだったのか? それに、なんで父さんは白衣なんか着てるんだ?)
心臓の鼓動が早くなる。重大な秘密に近づいている気がした。
次の絵は、赤子の絵だった。他の絵とは違い、その絵は喜びに満ちあふれていた。流乃の絵につきものの陰鬱な影は、喜びの光に照らされて、その居場所を失っている。
赤子の右肩には、茶色いアザがあった。それを発見したとき、心臓が止まりそうになった。
五夜は自身の右肩を押さえる。そこには赤子の右肩にあるアザと、同じ形をしたアザがあった。
(この絵に描かれている赤ちゃんは僕なのか?)
いてもたってもいられなくなり、五夜は絵画展で働く学芸員の女性を呼び止めた。
「すいません。この赤ちゃんは誰の子供なんですか?」
「噂話ですが、お聞きになりますか?」
学芸員は目を爛々と輝かせている。
自身が噂話の標的にされることの多い五夜は、噂話が大嫌いだった。学芸員の口元に張り付いた下品な笑みには、心底辟易する。
しかし、これは自身の出自を明らかにするチャンスだ。五夜は嫌悪感を顔に出さないように注意して、学芸員に続きを促した。
「聞かせてください」
「その赤ちゃんは、流乃の子供だそうです。父親は、その隣の絵のお医者さんらしいですよ。誰が考えたのかはわかりませんが、面白い噂話ですよね」
耳を疑うような話だった。その噂が本当なら、五夜の母は流乃ということになる。そして父が、昔は医者だったことになる。そんなことが本当にありえるのだろうか?
さらなる情報を求めて、五夜は学芸員に質問を重ねる。
「その噂が本当なら、流乃は子供を残して亡くなったことになりますね。なんで流乃は亡くなったんでしょう?」
母の死因について、父に尋ねたことがあった。父は詳細を語ろうとはしなかったが、交通事故で亡くなったことだけは教えてくれた。流乃が五夜の母なら、流乃も交通事故で亡くなったことになる。
学芸員から詳しい話が聞けるかもしれないと期待したが、残念ながら、流乃の死因までは知らなかったようだ。
「申し訳ございませんが、なぜ流乃が亡くなったのかまでは存じません。でも、流乃の最後の絵なら、こちらにありますよ」
学芸員が指し示したのは、向日葵の絵だった。
絵を見た瞬間、鳥肌が立った。黄泉の国に向日葵があったら、きっとこんな感じだろう。行けば二度と戻っては来られない幻想の世界が、見事に描かれていた。
「どうですか? これほどの絵を描ける日本人を私は知りません。いえ、世界中を探しても、これほどの絵を描ける画家は、そうはいないでしょう。この構図を見てください。これは――」
学芸員は、まるで自分の子供でも自慢するかのように、絵の解説を始めた。しかし、その声は、五夜の耳には届いていなかった。
緻密な色使いに隠れて、向日葵とは関係のない色が、極めて少量だが混じっている。普通の人間なら、見えないはずの色だった。だが、超人的な色彩感覚を持つ五夜には、はっきりと見えていた。
異なる色を繋ぎあわせれば、次のようなメッセージになる。
〝五夜 この文字が読めるまで大きくなったのね お父さんに騙されて お母さんは○○病院に入院することになったの お父さんには気をつけなさい〟
流乃の声を、たしかに聞いた気がした。
五夜の心臓が大きく脈打つ。
(父さんが流乃を騙した? もしかして父さんは、僕にも嘘をついているのか?)
とにかく流乃が入院した病院へ行ってみよう。そこへ行けば、流乃がなぜ死んだのか、わかるかもしれない。




