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モデル その④

 自宅に帰った五夜は、リュックサックから持ち主不明のノートを取りだした。郷田のノートでないのなら、このノートは誰のものなのだろう?

 見た目はどこにでもある大学ノートで、名前は書かれていない。ノートを開くと、表紙の裏に不思議なルールが書かれてあった。


〝このノートに書いたことは、もう一つのノートにも書かれる。もう一つのノートに書いたことは、このノートにも書かれる。

 このノートにはルールがある。

 ルール1。ノートに書いたことを、ノートの持ち主以外の人間に見られると、ノートは消滅する。

 ルール2。ノートの持ち主が死ぬと、ノートは消滅する。〟


 ずいぶんとおかしなことが書かれてある。しかし、五夜の目を奪ったのは、そんなおかしなルールではなく、ノートに描かれている絵だった。

 描かれた、ではない。現在進行形で絵は描かれている。まるで幽霊が見えない鉛筆を使って、絵を描いているみたいだ。驚いた五夜がノートを手離しても、変わらずノートに絵は描かれていく。


 鉛筆一本のみで描かれているのはマトマだった。一つとして無駄な線がなく、正確にマトマが描写されている。

 ここでさらに不思議な現象が起こる。なんと五夜の意識が、絵の中へ吸いこまれた。


 周囲を見回すと、見渡す限り白亜の世界が広がっている。あちこちから滝のように白い砂が流れ落ちており、砂の流れる音だけが聞こえた。

 呆然と立ち尽くしていると、ハーブのような香りが、鼻腔をくすぐった。匂いに誘われて振り向けば、宙に青い果実が浮かんでいる。マトマだ。


 思いだしたかのように空腹を感じて、腹が鳴った。口内に唾がたまり、生唾を飲みこむ。マトマが食べたくて仕方なかった。

 マトマをつかもうと、五夜は手を伸ばした。しかし、格子にぶつかって、体が弾かれてしまう。いつの間にか、五夜は檻の中に囚われていた。


 それでもあきらめず、格子の隙間から、マトマをつかもうと必死で腕を伸ばす。なんとかマトマに触れたが、指先はツルリと表皮を滑って、マトマは前へ押しだされる。シャボン玉のように宙を漂いながら、マトマが離れていく。


 気の狂いそうな恐怖に襲われた。あの果物を食べないと、空腹で死んでしまう。あまりの恐ろしさに、五夜は格子をつかんで獣のように咆哮した。


 ハッと目を開くと、五夜は現実の世界に戻っていた。額には大粒の汗が浮かんでいる。


(僕は絵の世界に入ってたのか? あの世界は、なんだったんだ?)


 先ほどのように、絵の世界に入りこんでしまうことが稀にあった。そうした現象を引き起こすのは、決まって名画と呼ばれる絵だ。五夜の目から見ても、この絵が名画であることは疑いようがない。


 いつの間にか絵には、格子が描き加えられていた。誰もノートに触れていないはずなのに、どういう原理で、絵は描かれているのだろう?

 ここでようやく五夜は、ノートの表紙の裏に書かれているルールに気がついた。


〝このノートに書いたことは、もう一つのノートにも書かれる。もう一つのノートに書いたことは、このノートにも書かれる。〟


 そのルールと、描かれている絵を交互に見比べて、ようやくこの不思議な現象を理解した。

 別のノートに描かれている絵が、このノートにも描かれているのか。絵の作者の神懸かり的な腕といい、このノートといい、今日は信じられないものを目撃している。


 飽きることなく作画の様子を見物していると、ノートに予期せぬ変化が起こった。まるで雨にでも打たれたかのように、紙が円形にふやけた。

 五夜はノートを濡らしていない。ノートを濡らしたのは、絵を描いている画家のほうだ。画家は屋外で絵を描いているのだろうか?


 絵が完成するなり、絵の描かれたページが引っ張られて、根元からビリビリと破れる。ノート本体から分離した瞬間に、絵の描かれたページは光の粒となり、その光は空気に溶けるようにして消えた。

 どうやら画家が、絵を描いたページを引きちぎったようだ。あれほど素晴らしい絵を描いたのに、その絵が気に食わなかったのだろうか?


 再び恐ろしい速さで、白紙の上にマトマが描かれる。先ほどよりも描くスピードは速いのに、絵の精度は上がっていた。

 画家のいる世界では、雨が強くなったようで、円形の染みが、いくつもノートに生まれる。絵が完成すると、先ほどと同様に、また絵の描かれたページは引きちぎられた。荒々しく引きちぎられる様子に、画家の苛立ちが伝わってくる。


 そして、次に起こったノートの変化に、五夜は戦慄した。真っ白だったはずのページに、赤黒い染みが生まれる。染みはどんどん広がり、ついには白い部分全てを、赤黒く変えてしまった。


 変化はそれだけでは終わらない。先ほどまでは、ノートから引きちぎられたページのみが消滅していた。しかし、今度の変化はノート全体に及んでいた。ノートが白い光の粒へと変わる。そしてその光は、虚空へ吸いこまれようにして消えた。


 ノートを染めた赤黒い色は、人間なら誰しもが見覚えのある色だった。あれは人間の血の色だ。五夜はノートに書かれていたルールを思いだす。


〝ルール2。ノートの持ち主が死ぬと、ノートは消滅する。〟


 ノートの持ち主である画家が死んだから、ノートは消滅したのか? だとしたら、なぜ画家は死んでしまったのだろう?

 病気か? 事故か? あるいは誰かに殺されたのか?


 気になる点は他にもあった。どうして画家は、マトマを描いていたのだろう?

 そもそもマトマを知っている人間自体が少ない。父が農家であることを話せば、決まって、なにを生産しているのかを聞かれた。マトマを作っていると答えれば、今度はマトマについて聞かれる。ここまでが、いつもワンセットだ。マトマを知っている人間に、今まで会ったことがなかった。


 画家は、そんなマトマを知っており、マトマに強い執着を示していた。絵の世界に入ったときに感じた激しい飢え。あれは五夜の感情ではなく、画家の感情だ。麻薬中毒者のごとく、画家はマトマを欲していた。


 背筋がゾッとした。もし画家が死亡したことに、マトマが関係しているのであれば、他人事ではすまない。五夜は毎日のようにマトマを食べている。次に死ぬのは、自分かもしれない。


 画家が亡くなったことに、マトマが関係しているのかを、早急に調べる必要があった。そのために、まずは画家が誰なのかを調べなければならない。ヒントとなるのは、画家の描いた絵だけだ。絵の描かれていたノートが消えてしまったため、その絵も今は、五夜の記憶の中にしか存在しない。


 時間の経過で記憶があやふやになる前に、絵を再現したほうがいいだろう。五夜はスケッチブックを広げると、記憶の中にある絵を真似て、マトマを描きはじめた。

 時間を忘れて、一心不乱に鉛筆を走らせる。画家の絵を真似して描いていると、絵が上達するのを感じた。こんなふうに描けば、もっと上手く描けるのか。そんな発見の連続だった。


 絵を描き終わった五夜は、口元を緩める。絵の世界に引きずりこむほどの強烈なインパクトを、絵は五夜に与えていた。絵は記憶に焼きついており、上手く特徴を捉えた絵が描けたように思う。

 この絵を美術部の先生に見せてみよう。もしかしたら画家が誰なのか、わかるかもしれない。

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