ギャンブル その⑩
大輔も美子の顔は覚えていたようで、美子を指さして叫んだ。
「なんで香がここにいるんだよ!」
「香って、誰ですか? 私の名前は片山美子ですけど」
思わぬ再会に気は動転していたが、その動揺を隠して、美子はすっとぼけた。
美子と大輔の顔を交互に見比べて、もう一人の男が尋ねる。
「お二人は知り合いなんですか?」
「違います」「そうです」
美子と大輔の答えは、真っ向から対立した。
無言で睨みつける大輔に対し、美子は素知らぬ顔を続ける。美子があくまで白を切り通すつもりだと気づいた大輔は、傍らに立つ男に助けを求めた。
「刑事さん、僕の話を聞いてください」
どうやら、この男は刑事らしい。うっかり口を滑らすと、大変なことになりそうだ。気をつけないと。
密かに気を引き締める美子の前で、大輔は刑事に、美子が結婚詐欺師だと話した。刑事は驚いた顔一つせず、要領の悪い大輔の話を、丁寧にくみ取って事情を把握していく。
大輔から話を聞き終えた刑事は、鋭い視線を美子に向けた。
「五味さんの話が本当だとすれば、片山さんご夫妻は協力して、被害者の男性から、お金を搾取していたことになりますね」
「人違いです。私たちはそんなことはしていません。私だけでなく、亡くなった主人のことまで悪く言うなんて……あんまりじゃないですか!」
晃が亡くなっても瞳は乾いていたが、その気になれば美子は簡単に泣くことができた。結婚詐欺をするために必要なのは演技力だ。演技力がなければ、男は騙せない。
「なんで香が泣くんだよ」
素寒貧になるまで騙されたのに、人がよくて騙されやすいところは、ちっとも変わっていなかった。美子の涙に、大輔の気勢は明らかに削がれていた。
しかし、そんな美子を、刑事は氷のように冷たい目で見ている。心の内を探るような視線に、美子は寒気を覚えた。
刑事は眉間を緩めると、視線を大輔に移す。
「片山美子さんが、結婚詐欺をしていた証拠はありますか?」
「いや、それは……」
大輔は口ごもった。
そんな証拠は絶対にない。証拠を残さないように、細心の注意を払ってきた。
それに結婚詐欺をしかける相手も、しっかり選定してきたつもりだ。大輔のように騙されやすく、人を疑わない男が、証拠なんて持っているわけがない。
「写真でもメールでも録音した音声でも、なんでも構いません」
「……すいません。証拠になるものは、なにも持ってません」
美子は緩みそうになる頬を、なんとか引き締めた。それでこそ大輔だ。大輔でいてくれて、ありがとう!
「そうですか。それなら結婚詐欺の話は、また今度にしましょう。それより、ここへ来た目的を果たしませんか?」
「そうですね」
大輔は晃に歩み寄ると、晃の右手をとった。
死後硬直が始まりつつあるようで、握り拳の形になっている晃の右手は、固く閉じられていた。その右手を、大輔は両手を使って、こじ開ける。
晃の手の中には――
「ちょっと、それって!」
「馬券ですよ。あなたの旦那さんが、僕の馬券を盗ったんです」
「あなたの馬券を晃が? どういうことですか? 詳しく説明してください」
大輔が刑事に目配せすると、刑事は頷いた。
またもや大輔の下手な長話を拝聴する羽目になった。しかし、退屈はしなかった。その話は驚くべきものだったからだ。
大輔の話をまとめると、以下のようになる。
大輔は7億2千万円の馬券を的中させるも、その馬券を晃に奪われた。そして、その馬券をさらに別の男が奪って逃走した。
晃は男を捕まえることには成功したものの、捕まえた場所は車道の上だった。走ってきたトラックにひかれて、二人とも帰らぬ人になったらしい。
美子はノートの相手を殺すために、ノートの相手に当たり馬券を教えた。大輔がその馬券を購入していたのなら、大輔がノートの相手になる。
結婚詐欺の相手に選んだ大輔が、ノートの相手だった。ノートの相手を殺す計画だったのに、死んだのは夫の晃だった。
なにもかもが予想外で、頭が混乱する。状況を整理する時間が欲しかった。
しかし、そんな美子を差し置いて、大輔は自分の主張を広げる。
「この馬券は僕のものだから返してもらいます。用がすんだので失礼しますが、結婚詐欺の件は覚悟しておいてください」
生意気にも捨て台詞を残して、大輔は病室を去ろうとした。美子の頭に血が上る。
「ちょっと待ってください」
大輔を呼び止めたのは、美子ではない。刑事は無機質な声で続ける。
「その馬券は、本当に五味さんのものですか?」
「なにを言ってるんですか? 僕のものに決まってるじゃないですか!」
自分が病院にいることも忘れて、声を荒げた大輔に、刑事は冷静な声で応じる。
「目撃者が見たのは、『俺の馬券を返せ!』と叫ぶ片山晃さんと、その片山さんから逃げる男の姿だけです。五味さんから馬券を奪う片山さんの姿は、誰も目撃しておりません」
意外な展開に、美子は笑ってしまいそうになる。
どうやら運は、こちらにあるようだ。もしかしたら大輔の馬券を、私のものにできるかもしれない。
これ幸いとばかりに、美子は刑事に加勢した。
「わかったわ! 私の夫が買った馬券を、夫が死んでしまったのをいいことに、自分のものにしようとしてるんでしょ?」
まさか窃盗の罪で疑われるとは思っていなかったようで、大輔は激しく取り乱した。
「これは正真正銘、僕が買った馬券です!」
「その馬券を、五味さんが買ったという証拠はありますか?」
ここでも刑事が求めたのは証拠だった。そんな証拠はなかったようで、ガックリと大輔は肩を落とす。
刑事は大輔の了承を得て、馬券を預かった。
「この馬券が誰のものなのかわかるまでは、私が責任を持って預からせて頂きます。お二人とも、それでよろしいですね?」
美子は快く頷いた。




