ギャンブル その⑨
美子は暗い笑いを漏らした。
あと20分ほどすれば、3時間前の世界では第4レースが始まる。レースが終わった後、当たり馬券を取りあっている最中に、ノートの男はトラックにひかれて死ぬ。
そうなることがわかっていて、男に当たり馬券を教えたのだから、男は美子が殺したも同然だ。
結婚詐欺により、数々の男を破滅に導いて来た美子であったが、殺人は今回が初めてだった。しかし、罪悪感は湧いてこない。あんな嘘つきは、この世にいないほうがいい。私がしたのは、ただのゴミ掃除だ。
〝ルール2。ノートの持ち主が死ぬと、ノートは消滅する。〟
ノートの男が死ねば、不思議なノートは消滅する。もう少しでこのノートとも、お別れだ。
希少なノートが消滅するのは惜しいが、やりとりの相手があの男では、ノートを有効活用するなんて無理な話だった。だからもうノートのことは忘れよう。
美子はノートへの未練を断ち切ると、スマホで事故について調べた。
もしかしたら亡くなった男の情報が、出回っているかもしれない。自分が殺した男がどんな男なのか興味があった。
着信音がして、スマホのディスプレイに〝○○警察署〟と表示される。後ろめたい人生を送ってきた美子は、心臓が止まるほど驚いた。
結婚詐欺をしていることが、警察にバレたのだろうか? だとしたら、たとえ電話を無視したところで、いずれ警察は接触してくるだろう。
覚悟を決めて、美子は電話をとった。
「はい、片山です」
「○○警察署の中川と申します。片山晃さんの奥様ですか?」
(晃が警察に捕まった? まさか晃のヤツ、私が結婚詐欺師だと、警察に話してないわよね?)
「そうですが、夫になにかあったのですか?」
不自然にならないように、夫想いの妻を演じた。すると警官から、驚きの事実を聞かされた。
「わかりました! すぐ参ります!」
馬券を取りあっている最中に、トラックにひかれて死んだ男の内の一人は、なんと晃だった。晃の遺体はまだ搬送先の病院にあるらしい。
急いで身支度をすませて、マンションを出る。美子がちょうどマンションのドアにカギをかけたとき、ノートはひっそりと消滅した。
時刻は14時25分。3時間前の世界では、第4レースの発走10分前で、大輔が晃にノートの中を見られて、ノートが消滅した時刻にあたる。
もし美子が、ノートの消滅に立ち会えていたのなら、ノートの消滅時刻に疑問を覚えたはずだ。
第4レースの当たり馬券を取りあっているときに、ノートの男はトラックにひかれた。第4レースが終わった後に男は死んで、ノートも消滅するはずだ。なぜ、第4レースが始まる前に、ノートは消滅したのだろう?
美子がその疑問を抱くことは永遠になかった。代わりに美子の頭には、別の疑問が浮かんでいた。
どうして晃は馬券を取りあったりしていたのだろう? 晃はノートの男と知り合いだったのだろうか?
疑問が次々に浮かぶ。
しかし、晃が亡くなって悲しいという気持ちは湧いてこなかった。晃は美子にとって、単なる商売のパートナーでしかなかったからだ。
病院に着いて、受付の者に晃の妻であることを告げると、すぐに病室へ案内された。ベッドに横たわる晃の顔には、白い布が被せられている。
「すいません。二人だけにしてくれませんか?」
晃から目を離さずに頼むと、後ろに控えている看護師は頭を下げて、病室を辞去した。
死んだ晃を前にしても、涙は出てこない。代わりに、ため息が漏れた。
晃の葬式で、喪主を務めるのは私だ。これから忙しくなることを考えると、頭痛がした。
ドアの開く音で、静寂が破られる。二人の男が、靴音を鳴らして病室へ入ってきた。
その内の一人に、見覚えがあった。なんとその男は、美子が結婚詐欺で騙した五味大輔だった。




