ラブレター その②
〝こんばんは。〟
ノートには、そう書かれていた。
この字を書いたのは幽霊に違いない。挨拶をするとは、なんて礼儀正しい幽霊なのだろう。
しかし、この幽霊は字が下手な上に、スペルを所々間違えている。もう少し勉強が必要なようだ。
こちらも挨拶を返せば、世にも奇妙な幽霊との交換日記が始まる。興奮と恐怖で、頭がどうにかなりそうだ。さっそく返事を書いてみよう。
カリンは羽ペンを手にとると、この機会を逃さぬように、素早く返事を書いた。
〝こんばんは。あなた幽霊よね? いつ死んだの? どんな死に方をしたの?〟
〝期待を裏切って悪いんだけど、僕はまだ生きてるよ。〟
なんだ、生きているのか。しかし、生きているのだったら、この現象に説明がつかない。
〝じゃあ、あなたは魔法使いなの? 魔法でこのノートに字を書いてるの?〟
〝違うよ。僕が魔法使いなんじゃなくて、このノートが魔法のノートなんだ。僕のノートに書いたことは、君のノートにも書かれる。君のノートに書いたことは、僕のノートにも書かれるんだよ。〟
どこかで聞いたようなルールだった。ちらりと視線を横に移すと、表紙の裏に書かれたルールが目に入る。
〝このノートに書いたことは、もう一つのノートにも書かれる。もう一つのノートに書いたことは、このノートにも書かれる。〟
嘘でしょ? そんなことって、あり得るの?
先ほどは意味不明だったルールが、ようやくカリンにも理解できた。
どうやら、このノートと全く同じノートが、もう一冊この世界に存在するらしい。そして、そのノートに書いたことは、このノートにも書かれるようだ。
貿易の中継点でもあるカステア王国には、世界各国の珍しい品物が集まる。それこそ世界に一つしか存在しない品物もたくさん見てきたが、このノートはまさしく世界に二つしか存在しないノートだった。
どうやって文字が、もう一つのノートに複写されるのか? その原理は見当もつかない。ただこのノートが、とても面白いことはわかる。
〝このノートを、あなたはどうやって手に入れたの?〟
〝知らない間に、僕の鞄の中に入ってたんだ。君はどうやって、このノートを手に入れたの?〟
〝誕生日に、おばあちゃんから貰ったの。おばあちゃんはこのノートを、オークションで落札したって言ってた。〟
〝こんな凄いノートを落札するだなんて、おばあちゃんは凄いお金持ちなんだね。ひょっとして君は貴族なの?〟
貴族ではない。私は貴族よりも、もっと凄い王女なのだ。
自尊心を傷つけられたカリンは、反射的に相手の言葉を否定しようとした。だが、ペン先はノートに触れる寸前で止まる。
友達の欲しかったカリンは、王宮にいる年の近い召使いと、友達になろうとしたことがあった。召使いはカリンの誘いを決して断らず、呼べばいつでも来てくれた。
しかし、他の召使いと話しているときとは違って、その笑顔はぎこちない。どんな鈍い人間でもわかる。それは愛想笑いだった。
原因は、はっきりしている。カリンが王女だからだ。皆がカリンを敬い、そして恐れる。ゆえに、その召使いとは友達になれなかった。
拙い字から、ノートの相手が自分よりも幼い子供だと、カリンは推測した。もしかしたら、ノートの相手とは友達になれるかもしれない。王女であると正直に告白すれば、たちまち相手は委縮してしまい、友達にはなれないだろう。だから、カリンは嘘をつくことにした。
〝ええ、そうよ。私は貴族の娘なの。年は10歳よ。あなたは何歳?〟
〝君と同じで10歳だよ。〟
〝同い年だったんだ。年下じゃなかったのね。〟
なぜ年下かと思ったのは、少年も察したらしい。
〝ごめん、僕の字は読みづらいよね。夜に一人で字の勉強をしているんだけど、まだ上手く書けないんだ。〟
カリンは唇を噛む。傷つけるつもりはなかったのに、少年を傷つけてしまった。
カリンは家庭教師に字を教えてもらったが、普通は学校に通い、そこで字を習うことは知っている。
〝誰にだって苦手なものの一つぐらいはあるわ。学校の先生は、ちゃんと字を教えてくれないの?〟
〝僕は学校に行ったことがないんだ。〟
信じられない返答に、カリンは目を剥く。
〝学校に行ってないんだったら、みんなが学校に行っている間、あなたはなにをしているの?〟
〝仕事だよ。僕の家はお金がなくて、僕は奉公に出されてるんだ。だから、勉強するお金も、勉強する時間も、僕にはないんだ。〟
カリンと同い年でありながら、カリンとはまったく異なる環境に、少年は身を置いていた。そのことにカリンは興味をそそられた。
〝大人に交じって、仕事をするのは大変じゃない?〟
〝もちろん大変だよ。朝から晩まで必死に働いても、毎日のように雇い主に怒られるし。でも、仕方ないよね。僕は仕事があまりできないから。〟
〝それはまだ、あなたが子供だからでしょ?〟
〝僕よりも幼い子供や、腰の曲がったおじいさんだって、歯を食いしばって働いてるんだ。年齢は言い訳にできないよ。〟
王宮で開かれる社交界に顔を出すと、カリンと同じ年頃の子供もいる。彼らはみな裕福な家で育てられた子供ばかりだ。
同じような環境で育ったからなのか、カリンほど我がままではないにしろ、その子供たちもすぐに不平不満を漏らすし、言い訳ばかりを口にする。
それなのに少年は、言い訳一つせず、逆境に立ち向かっていた。きっと厳しい環境にいるから、少年の心は大人になったのだろう。
とうに日は沈み、今は夜だ。日中は働いている大人だって、この時間になるとワインの入ったグラスを傾けたり、親しい誰かとお喋りに興じたりと、気を緩める。
そんな夜に少年は、労働で疲れた体に鞭を打ち、字の勉強をしていた。こんな立派な子供は、いや大人でもこんな立派な人は、そうはいないだろう。
少年の力になりたいとカリンは思った。頑張っている少年を応援したいと思ったし、恵まれている癖に、サボってばかりの自分への贖罪の気持ちもあった。
〝あなたは子供なのに立派ね。私、あなたの力になりたい。私でよければ、字を教えてあげてもいいけど、どうかな?〟
(ちょっと偉そうだったかな? 断られたら、どうしよう)
そんなカリンの心配は杞憂に終わる。
〝本当? ありがとう!〟
その日から、カリンの楽しい夜が始まった。




