ギャンブル その⑤
美しい顔をした女性は、恐ろしい形相で封筒を睨んでいた。
この女性こそ、大輔に結婚詐欺をしかけ、大輔に多額の借金を背負わせた香だった。もちろん香というのは偽名であり、本当の名前は美子という。
一万円札の入った茶封筒を、美子は自室にある机に叩きつけた。
机の上には、大輔が持っているものと全く同じノートがある。大輔が不思議なノートを使ってやりとりしていたのは、なんと美子だった。
二人は自分たちが知り合いであることに気づかないまま、やりとりを重ねていた。そして、そのやりとりは、いつにも増して険悪なものになりつつある。
〝なんで1万円しかないの?〟
〝千円分の馬券を買って、配当金が2万円だったからです。2万円の半分は、1万円でしょ?〟
〝なんで、もっと買わなかったのよ!〟
〝すいません。本当に当たるのか不安だったんです。次は手持ちのお金をすべて賭けます。〟
美子はシャープペンを机に置いた。冷静になり、男の立場になって考えてみる。
未来の人にレースの結果を教えてもらったから、絶対に馬券が的中する。
常識的に考えれば、あり得ない話だ。本当に馬券が的中するのか不安だから、失っても困らない程度の金を賭けて、まずは様子見をする。そんな男の考えは、美子にも理解できた。
しかし、もしかしたら本当は大金を賭けていて、大儲けしたにも関わらず、嘘をついているのかもしれない。
男の話は真実なのか? それとも嘘なのか? ノートを使ったやりとりだけでは、たしかめようがなかった。
次のレースでは、手持ちの金をすべて賭けると、男は約束している。同じ言い訳はできないはずだ。ならば、もう一度だけチャンスを与えてみよう。
〝約束だからね。それで次は、いつ競馬場へ行くの?〟
〝来週の日曜日に行こうと思ってます。〟
〝じゃあ、また来週の日曜日に、レースの結果を教えるわ。〟
美子はノートを閉じた。
この男とやりとりするとイライラする。しかし、金儲けのためには我慢するしかない。
玄関のドアの開く音がして、足音が近づいて来た。美子の部屋の前で、足音はピタリと止まる。
「美子、いるのか?」
美子はノートを引き出しの中にしまうと、ドアを開けてリビングへ出る。
リビングで美子を待っていたのは、大輔から借金の取り立てを行っている片山晃だった。じつは美子と晃は夫婦であり、二人は共謀してターゲットの男から、金を巻き上げていた。
二人の手口はこうだ。まずは美子が結婚詐欺により、ターゲットの男から有り金をむしりとる。男の貯金が尽きたところで、借金があるので結婚できないと、男に打ち明ける。それは架空の借金であり、本当は美子に借金なんてない。
美子と結婚したい男たちは、借金は俺が払うから結婚してくれ、と口を揃えて言う。そこで晃の出番だ。
借金取りに成りすました晃が、男と借金の契約を交わす。役目を終えた美子が、男の前から姿を消せば、男に残されるのは借金だけとなる。
「おかえりなさい。今日は機嫌がいいのね」
「借金の取り立てに成功したからな。バカなヤツだぜ。俺がインストールしたアプリで、自分がどこにいるのかバレてるとも知らずに、呑気に出かけてやがった」
晃はアプリを使って、債務者と連絡をとっていた。そのアプリはメッセージの自動消去機能により、設定した時間を経過すると、デバイスから自動でメッセージが消去される。犯罪者にとっては、都合のいいアプリだった。
LINEと違って、一般人には浸透していないこのアプリを、晃は債務者のスマホを奪って、強制的にインストールさせていた。その際に位置情報の共有を、債務者には内緒でオンにしておく。この操作をしておけば、債務者がいる場所を、一方的に知ることができた。
上機嫌の晃に、美子は提案する。
「ねぇ、そのお金で、どこか食べに行かない?」
「いいぜ。焼肉でも食いに行くか」
不思議なノートのことを、晃に話すつもりはなかった。このノートで稼いだ金は、すべて私のものだ。
大輔は競馬場にある個室トイレにこもって、女性からの指示を待っていた。
先週の日曜日のレースで、不思議なノートを使った競馬必勝法が、本物であると証明された。馬券は必ず的中する。
そうなると必要になってくるのは賭け金だ。職場の同僚から5万円借りて、今手元には5万5千円ある。これだけあれば、たとえオッズが低くても、十分な払戻金を得られるだろう。
今度こそ馬券で稼いだ金の半分を渡して、女性に喜んでもらおう。そうすれば、また女性はレースの結果を教えてくれるはずだ。
〝第四レースの結果は1―4―6よ。〟
大輔は女性に教えてもらったレースの結果を、マークカードに記入した。トイレを出て、自動発売機へ向かう道中、スマホでオッズを確認する。
3連単のオッズは100倍だ。俗に言う万馬券というもので、最低賭け金である100円を賭けたとしても、的中すれば配当金は1万円になる。
大輔は5万5千円分の馬券を買う予定だった。馬券が的中すれば、配当金の額は550万円になる。年収を超える金額に、体中の細胞が熱くなった。
ワクワクしながら、自動発売機の前にできた列に並んで順番を待つ。
配当金が手に入ったら、久しぶりに外食にでも行こう。その後は温泉に浸かって、風呂上りはビールで祝杯だ。
前に並んでいた人がいなくなり、自分の番になった。マークカードを自動発売機に入れ、紙幣挿入口に紙幣を入れようとしたところで、その紙幣を奪われる。紙幣を奪った手の主を見ると、そこには晃がいた。
競馬場で晃に出くわすのは、これで二度目になる。運の悪さに頭を抱えこみたくなるが、それよりもすべきなのは頭を下げることだ。
「そのお金を返してください! 借金の返済はちゃんとしますから! お願いします!」
「バカ。何度言えば、わかるんだ。お前の金は、俺の金って言ったろ。競馬をするのは、借金の返済が終わってからにしろや。給料日は来週だったよな? この金は全部持って行かせてもらうからな」
それで用は済んだらしい。大輔の返事を待たずに、晃は紙幣を握りしめて去っていく。
その金がなければ、550万円の当たり馬券を買えなくなってしまう。大輔は必死の形相で、晃を呼び止めた。
「ちょっと待ってください! そのお金があれば、550万円の当たり馬券を買えるんです!」
晃は足を止めて、半身で振り返る。口元にはバカにしたような笑みが浮いていた。
「当たるわけないだろ。先週は運がよかっただけだ。夢を見ずに、ちゃんと現実を見るんだな」
言い捨てると、今度こそ晃は行ってしまう。計画が水泡に帰して、大輔はその場に立ち尽くした。
あと少しで、550万円が手に入るところだったのに。どうして僕の人生は、いつも上手くいかないのだろう?
「おい、兄ちゃん。買わないんだったら、どいてくれないか?」
大輔の後ろに並んでいた男が、イライラと貧乏揺すりをしている。
そこで大輔は閃いた。金がないのなら、また借りればいい。
「あ、あの、僕にお金を貸してくれませんか? 倍にして返しますから!」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ! 邪魔だ、どけ!」
初対面の相手が、金を貸してくれるわけがなかった。男に突き飛ばされて、大輔は床に尻もちをつく。
傍から見れば、借金を抱えたギャンブル中毒者だ。大輔に手を差し伸べてくれる者なんて、一人もいない。
どうしよう。次のレースでは所持金をすべて賭けると、ノートの女性に約束していた。おそらく女性は、次こそは大金を受けとれると信じているだろう。
大輔の顔の前を、ヒラヒラとマークカードが宙を舞う。床に落ちたマークカードは、誰かに踏まれてグシャグシャになった。




