ギャンブル その③
バイトは午前中の3時間だけだ。高時給に目が眩んで選んだバイトだったが、荷物の積み下ろしは想像以上にハードだった。
次はもっと楽なバイトにしよう。もし腰でも痛めれば、本業のほうにも支障が出かねない。
腰を擦りながら、大輔は自宅のアパートに戻ってきた。机の上に置かれて、開きっぱなしになっているノートに視線を落とせば、やはり女性は怒っていた。
〝ちょっと逃げないでよ! 絶対に揺れたって!〟
そこで大輔は思いだす。荷物の積み下ろしをしているときに地震があり、あやうく崩れてきた荷物の下敷きになるところだった。
〝そういえば、11時ごろに地震がありましたね。〟
女性の怒りは、冷めるどころか熟成されていた。10分もしない内に、殴り書きのメッセージが返ってくる。
〝だから、地震があったって書いてたじゃない!〟
どうも話が噛み合わない。たしかに女性は〝あー、ビックリした。震度6って、こんなに揺れるのね。〟と書いている。しかしそれは、大輔が家を出る前、8時ぐらいのことだ。
〝だって、あのときはまだ8時で、地震なんてなかったじゃないですか。〟
〝はぁ? なに言ってんの? あのときが11時だったでしょ!〟
あのときが11時だった? そっちこそ、なにを言って――
そこで大輔は、ある可能性に気づく。
そんなことが、あり得るのか? しかし、もしそうならば、この噛み合わない会話にも説明がつく。
大輔はごくりと唾を飲みこむと、女性に質問した。
〝今は何年何月何日の何時何分ですか?〟
〝あんた、病院に行ったほうがいいんじゃない? さっきから言ってることが、おかしいって。ちょっと怖くなってきたんだけど。〟
〝こっちは今、××××年の10月11日の13時5分なんです。そっちの日付と時間を教えてくれませんか? もしかしたら、あなたは僕より未来にいるんじゃないですか?〟
この仮説が間違っていたのなら、すぐに女性は大輔の仮説を否定してくるはずだ。だが、そこで不自然な間が空いた。
まさかと思わせる間に、心がざわついた。そして、大輔の仮説が当たっていたことが証明される。
〝こっちは同じ日付の16時6分よ。私はあなたより3時間未来の世界にいるってこと?〟
〝そうなりますね。〟
大輔は鳥肌の立った腕を撫でた。
このノートは、どこからやってきたのだろう? 人間が作ったものとは思えない。神や悪魔が作ったと言われても、信じてしまいそうだ。
ノートの人知を超えた力に驚愕する大輔だったが、女性は別の感想を持ったらしい。
〝不便なノートだよね。〟
「はぁ?」
不便とは、どういう意味だろう? このノートの凄さが、わかっていないのだろうか?
〝不便って、どういう意味ですか?〟
〝だって3時間のズレがあったから、地震の話が通じなかったわけじゃん。〟
大輔は歯を噛みしめる。
(そんなこと、どうでもいいだろ。なんでそんなつまらない感想しか出てこないんだよ)
ノートの凄さについて、互いに驚きを共有したかった。それなのに女性からは、盛り上がりに水を差すような感想しか出てこない。それが腹立たしかった。
〝そんなことよりも、もっと他に思うことがあるでしょ? 過去の人とやりとりできるんですよ? それって、すごくないですか?〟
〝過去って言っても、たったの3時間前じゃん。しかも、やりとりしてる相手が、あんたじゃね。期待外れもいいとこだよ。〟
すんでのところで、大輔はノートを破ってしまうところだった。大きく深呼吸をして、なんとか怒りを鎮める。こんな貴重なノートを破るわけにはいかない。
〝それはこっちのセリフです。僕だって相手があなたじゃなければよかったと思ってます。〟
〝調子に乗ってんじゃないわよ。普通なら、あんたみたいな男は、私と喋ることさえできないんだからね。〟
大輔は舌打ちをした。
これ以上、この女性とやりとりを続けると、本当にノートを破ってしまいかねない。一度、女性とは距離を置いたほうがよさそうだ。
大輔はノートを勢いよく閉じた。
ノートの女性とやりとりすると、喧嘩になることはわかりきっている。だから大輔はノートを開かず、机の上に置いたままにしていた。
この珍しいノートの話を、誰かに聞かせたかった。だが話したら、当然嘘だと思われるだろう。嘘でないことを証明するためには、ノートの力を見せるしかない。しかしノートには、こんなルールが書かれていた。
〝ルール1。ノートに書かれていることを、ノートの持ち主以外の人間に見られると、ノートは消滅する。〟
このルールが本物なら、誰かにノートの力を見せると、ノートは消滅してしまう。だから、誰にもノートのことを話せずにいた。
ノートを使わない上に、ノートの話をすることもない。やがて、忙しい日々に忙殺されて、三日もすれば、ノートのことは頭の片隅に追いやられていた。
あくせくと働きながら、ふと考えるのは借金についてだ。減らない借金は、いつも大輔の頭を悩ませていた。
今の状況では、利息を払うだけで精一杯だ。どうすれば借金を返済できるだろう? なにか、いい方法はないだろうか?
仕事の合間に一息ついていると、上司と部下の話す声が耳に入ってきた。
「また奥さんに怒られたって? 今度は、なにをしたんだ?」
「競馬で大損しちゃったんですよ」
「もう競馬はやめたら、どうだ? 未来から来た人間でもない限り、競馬で勝つなんて不可能だぞ」
上司の説教に、大輔は稲光にも似た天啓を得た。
「そうだ、競馬だ!」
突然、大声を上げて立ち上がった大輔を、他の社員たちは奇異の目で見ている。
「す、すいません」
顔を赤くした大輔は、体を小さくして椅子に座る。
平静を装って仕事を続ける大輔だったが、頭の中は先ほど思いついた金儲けのことで、いっぱいだった。
これで借金を返済できる。いやそれどころか、僕は億万長者にだって、なれるかもしれない。
帰宅した大輔は、三日ぶりにノートを開いた。
〝調子に乗ってんじゃないわよ。普通なら、あんたみたいな男は、私と喋ることさえできないんだからね。〟
三日前と変わらず、そこにある女性の言葉にウンザリした。この女性とやりとりするのは、やはり気が重い。しかし、借金を返済するためには、この女性の力を借りるしかなかった。
〝このノートを使って、大儲けできる方法を思いつきました。〟
しばらく待ってみたが、女性からの返事はない。興奮が焦りに、希望が絶望に変わっていく。もしかしたら、ノートを目の届かない場所に、女性は片付けてしまったのかもしれない。
スマホで動画を見ていても、ノートが気になって、動画に集中できなかった。返答のないノートを見ては、ため息を繰り返す。時間だけが無為に過ぎていった。
(頼むから、ノートを見てくれ。僕の人生がかかってるんだ)
大輔の祈りが通じたのか、ノートに文字が書かれていく。
〝大儲けできる方法って、なに?〟
この機を絶対に逃がすまいと、急いでシャープペンを手に取った。
〝競馬です。未来にいるあなたが、僕に競馬の結果を教えてくれたら、馬券は百発百中、大儲けできます。〟
〝あんたが考えたにしては、いいアイデアじゃない。ちゃんと私にも分け前はくれるんでしょうね?〟
〝もちろんです。馬券が的中したら、配当金の半分をあなたに渡します。〟
考えるような間が空いた。
目の前に女性がいないから、顔色を伺うことはできない。筆談のため、声色から気持ちを推し量ることもできない。
(なにを悩んでるんだ? こんな儲け話は他にないぞ。早くOKの返事をしろよ)
ドキドキしながら大輔は、女性の返答を待った。
〝半分か。まぁ、いいわ。契約成立ね。〟
大輔は拳を掲げて、ガッツポーズをした。
(これでもう借金に苦しむ生活とは、おさらばだ!)




