ギャンブル その①
「おい、ドアを開けろ! いるのは、わかってるんだぞ!」
ドアを叩く音に、五味大輔は眠りから叩き起こされた。
築50年のボロアパートのドアは、借金取りにノックされるたびに、ギシギシと不気味な音を立てる。ドアが壊れないかと心配になった。
(僕が居留守をしてるのも、わかってるだろ。早く帰ってくれよ)
物音を立てないように身動き一つせず、借金取りがあきらめるのを待つ。
なぜ、こんなことになったのか? いつものように自問自答をして、いつものように香を思いだす。
大輔にとって、初めてできた彼女である香は、写真が苦手だからと、写真に撮られるのを頑なに拒んでいた。容姿に自信のない大輔も写真は苦手だが、容姿端麗な香が写真を苦手なのは少々意外だった。
(会社の同僚に香を自慢したいけど、香が嫌がるのなら仕方ないか)
そのときは、そんな風にしか思わなかった。今なら、なぜ香が写真を嫌がっていたのかわかる。
香は結婚詐欺師だった。逮捕につながる証拠を残したくなくて、写真に写らないようにしていたのだ。
だから香の姿は、今となっては思い出の中にしか存在しない。それでも香の美貌は、忘れたくても忘れられなかった。
街行く人々が目を止めずにはいられない美貌を持つ香と、地味で平凡な大輔とでは、誰が見ても、不釣り合いなカップルに見えただろう。
こんな美人が、自分を好きになるだなんて、今考えると不自然もいいところだ。だが、あのときは30歳を過ぎて初めてできた彼女に、有頂天になっていた。
香とはマッチングアプリで知り合った。大輔の前では笑顔を絶やさない香だったが、決して体を許そうとはしない。あるとき大輔がキスをしようとしたら、香はやんわりと大輔の肩を押して体を離した。
「それは結婚してからね」
きっと清純な香は、キスもその先も未経験なんだ。
おめでたい大輔は、そんなふうに思っていた。本当は大輔を好きでなかったから、キスをしたくなかっただけなのに。
体の接触はなかったが、交際は順調に進み、大輔は香にプロポーズをした。香はすぐにOKの返事をしてくれた。思えばあのときが、人生で一番幸せだったのかもしれない。
香の両親は離婚しており、香が女手一つで育てられたことは、香から聞いていた。まだ香の母親に会ったことはなかったが、結婚するとなれば、さすがに会って直接報告した方がいいだろう。
「結婚することを、香のお母さんに報告しに行こうか?」
「ごめんなさい。今はちょっと無理なの」
詳しく話を聞けば、香の母親は重い病気で入院しているらしい。
いつもは明るい香が、今にも泣きだしそうな顔をしている。そんな香の演技に、まんまと騙された。
「僕に、なにかできることはない?」
その言葉を香は待っていた。
一つも疑うことなく、言われるがままに、大輔は香に金を渡した。手術費用、入院費用、さらには母のためにした借金の返済……様々な口実で、大輔は香のATMとなる。
趣味らしい趣味もない大輔は、それなりに貯金があった。最初は1万円と少額だった援助は、徐々に金額が増え、みるみる貯金は減っていく。
(香を助けるんだ。そして、二人で幸せになるんだ)
まるでドラマの主人公になったような気分で、自分の境遇に酔っていた。だから、まさか自分が結婚詐欺にあっているだなんて、そのときは夢にも思っていなかった。
「大輔のお陰で、お母さんの病気がよくなったよ」
貯金が尽きたとき、ようやく待ち望んでいた言葉を聞けた。しかし、香の表情は冴えない。
「ごめんなさい。じつはまだ借金があるの」
聞けば半年ほど前に、闇金から10万円を借りたらしい。その闇金の利息が10日で5割と聞かされたときには、目玉が飛び出そうになった。
香も一時的な支払いに困って借りたようで、給料日になるなり、すぐに元本の10万円と利息を併せて返済したそうだ。だが、借金の元本は10万円ではなかった。
香が10万円を手にしたとき、実際には手数料の1万円が差し引かれていた。つまり、11万円が借金の元本だったことになる。
闇金業者は借金が膨らむのを待っていた。認識外の借金1万円は、半年で1千万円まで膨らんだ。そこまで借金が増えたところで、借金取りは香に連絡をして、借金が発覚した。
「こんなに借金があったら、大輔とは結婚できないよね」
目じりの涙を拭う香を前にして、大輔は最後の罠にかかった。
「その借金は僕がなんとかするよ」
香から借金取りの電話番号を教えてもらい、借金取りと電話で協議を重ねた。
「借金は僕が必ず払います。だから、利息を減らしてくれませんか?」
大輔の男気あふれる交渉が功を奏したのか、借金取りは譲歩する姿勢を見せた。
「それなら借金の元本は1千万円、利息は年利12パーセントで構わない」
消費者金融の年利が平均18パーセントであることを考えれば、破格の条件だ。
契約書にサインするため、休日を利用して、借金取りと会う約束をした。待ち合わせ場所である喫茶店に出向くと、目鼻立ちの整った長身の男が、ふんぞり返って椅子に座っている。
容姿は優れていたが、過剰な自信からくる驕りが、人を舐めたような態度に現れていた。その借金取りの名前は片山晃という。大輔は晃から、借金の契約書を受けとった。
電話で聞いていた通りの契約書だ。おかしなところはない。
契約書の隅から隅まで目を通してから、署名と押印をすませる。
新たな契約書を手に入れた晃は、香の借金の契約書を破って見せた。これで香の借金は消えて、その借金は大輔が肩代わりすることになった。
やっと香と結婚できる。そんな感慨に浸れたのは一日だけだった。次の日には、香と連絡がとれなくなった。
そのときになって初めて気づいた。一年近くも付き合っていたのに、香が働いている場所も、香がどこに住んでいるのかも知らない。
後に残されたのは、1千万円の借金だけだ。利息が年利12%だと、毎月の利息は10万にもなる。
毎月の手取りが25万ほどの大輔にとっては、利息の支払いをするだけで精いっぱいだ。元本の返済には手がつけられないため、借金が減ることはない。香の代わりに得たのは、消えない借金という永遠の伴侶だった。
親族の冠婚葬祭が重なり、予期せぬ出費が増えて、今月はその利息の支払いさえも滞っている。そのせいで、休日の朝に起こされる羽目になってしまった。
「また来るからな。ちゃんと金を用意しとけよ」
ようやくあきらめてくれたようで、晃の帰っていく足音が聞こえた。
日曜日の朝は、のんびりと欠伸でもして、二度寝をしたいところだ。しかし、出てきたのは欠伸ではなく、ため息だった。




