ラブレター その⑪
潮風が頬を撫でて、カリンの瞼が震える。
ゆっくり瞼を開くと、灰色の分厚い雲に覆われた空が見えた。まだ睡眠薬の効き目が残っている頭で、船腹に打ちつける波の音をボンヤリと聞く。船の上で忙しなく働く船員たちの姿が、どこか遠い異国の風景のように見えた。
潮風に当たっているうちに、睡眠薬の効き目がじょじょに薄れてくる。半開きだったカリンの瞼が大きく開き、ようやくカリンは、自分が今いる場所を把握した。なぜ私は、船に乗っているのだろう?
のんびり座ってなどいられず、カリンは立ち上がろうとした。しかし、マストの後ろに回された両手首がロープで縛られており、うまく立ち上がれない。
「ちょっと、なにこれ? 誰かロープを解きなさいよ!」
船員を怒鳴りつけると、船員たちがいっせいにこちらを向いた。しかし、船員たちはカリンのもとへは駆けつけず、誰かを呼びに行く。
船員たちが連れてきたのは、ヘルメスとウトリだった。目を覚ましたカリンを見て、ウトリが苦い顔をする。
「起きてしまいましたか。まだしばらく船旅は続くのに……。これはうるさくなりそうですね」
「殴って気絶させたらどうだ?」
「バカを言わないでください。これは商品です。ケガなんかさせたら、高値で売れなくなる」
ウトリに諭されて、ヘルメスが納得して頷いている。
(商品? 私が?)
二人の会話を聞いても、状況がまるで見えてこない。
「これはどういうこと? 説明しなさいよ」
ヘルメスが近づいて来て、その影にカリンは飲みこまれた。カリンの頬を、ヘルメスは平手でペチペチと軽く叩く。ヘルメスの手を払いのけたいが、手首を縛られているため、そうできない。
「見てわからないのか? 物分かりの悪い王女様だな。お前は誘拐されたんだよ」
内心ではどうあれ、いつもヘルメスはカリンに対して敬語を使っていた。しかし、今のヘルメスは敬語を使っていない。有利な立場に立ち、ついに本性を現したようだ。
誘拐されたのなら、今こうして船で運ばれている状況にも説明がつく。これから自分がどうなるのか知るのは怖いが、知らないのはもっと怖かった。
「私をどこへ連れていく気?」
カリンは精いっぱいの虚勢を張り、ヘルメスを睨みつける。その視線をヘルメスは笑って受けとめた。
「ヤマ帝国だよ。ヤマ帝国の人間と、お友達になりたかったんだろ? 俺がヤマ帝国へ連れていってやるんだ。感謝しろよな」
「なんでヤマ帝国なんかに連れていくのよ?」
「それはもちろん、お前に強い恨みを持ったVIPが、お前を大金で買ってくれるからさ。刑務所から出てきたばかりの変態どもを集めて、パーティーを開くみたいだから、楽しみにしてろよ」
「恨みって、なに? ヤマ帝国とは和平協定を結んでるのよ。もう私たちは憎しみあう仲じゃないわ」
断言したカリンを、ヘルメスは鼻で嘲笑う。
「平和なんてクソ食らえの連中もいるんだよ。お前を買ってくださる武器商人様は、お前に商売をブチ壊しにされたって、たいそうご立腹のようだぜ。あのとき、お前が余計なことをしなければよかったんだ」
「あのとき?」
ニヤついていたヘルメスの目が、にわかに鋭くなる。
「6年前、和平を結ぶために、ヤマ帝国の使者がカステア王国へ来たよな? 使者を殺したがっていたニュスに、俺は使者が閉じこめられている牢屋の鍵を渡した。それなのに、お前がニュスを説得なんてするから、使者は殺されず、和平協定が結ばれちまった」
「あなたがニュスに牢屋の鍵を渡したの? なんで、そんなことをしたのよ!」
今まで黙って二人の話を聞いていたウトリが、会話に割って入ってきた。
「私とヘルメスが、ヤマ帝国のスパイだったからです。ヘルメスがカステア王国の情報を盗みだし、私がヤマ帝国の諜報組織にその情報を売っていました。私たちにとって戦争は、金のなる木だったのです。だから、平和の使者が邪魔だったのですよ」
「あなたたちがスパイですって? なんで誰も気づかなかったのよ」
自分も含めて、王宮で暮らす者の目は節穴だった。思わずため息を漏らしたカリンであったが、ウトリの正体に気づいた者もいたようだ。
「気づいた者もいましたよ」
「誰?」
「アセビです。5年前、私が組織に報告しているところを、うっかり見られてしまいました。アセビは見なかったフリをして、誤魔化そうとしていましたが、あれは嘘が下手でしてね」
5年前といえば、ちょうどアセビがカリンの前から姿を消した年だ。
「まさかアセビに、なにかしたんじゃないでしょうね?」
その質問をヘルメスは待っていた。犬歯を剥きだしにしてヘルメスが笑う。
「アセビなら俺が殺したよ」




