ラブレター その⑩
アセビが姿を消してから、はや5年もの月日が流れていた。まだ子供だったカリンも16歳となり、その背丈は大人と変わりない。母親譲りの美しさに、若く健康的な色香を纏い、今や世界一美しい王女として、その名が知られていた。
有名なのは、なにも容姿だけではない。勉強熱心で学者顔負けの知識を誇り、カステア王国とヤマ帝国の和平協定にも多大な貢献をした。
そんなカリンのもとには、連日のように世界中の王族や富豪が押しかける。彼らの狙いは、カリンの夫の座だ。
しかし、異国の美男子がどれだけ高価な手土産を持参して、美辞麗句を並び立てても、カリンはなびかない。求婚者がカリンの手の甲にキスをしようとしたとき、カリンは優雅な所作で左手を差しだす。カリンの左手の薬指に光る指輪を見たとき、男たちは虚を突かれて驚き、すでにカリンの隣の席が埋まっていることに気づくのだ。
「カリン王女には、すでに結婚を誓った者がいるようだぞ」
「いやいや、そうではない。しつこく求婚を迫られて、カリン王女は嫌気が差したのだ。だから、偽の婚約指輪をつけることで、そういった愚か者を拒絶しているのだ」
カリンの指輪を巡って、論争は絶えなかった。
ヒソヒソと噂話をする客人を横目に、カリンは心の中だけで毒づく。
(アンタたちは、なんのためにカステア王国へ来たのよ? 私の噂話をするため? 違うでしょ! ちゃんと自国のために働きなさいよね!)
成長しても性格は相変わらずであったが、それを口には出さない。カステア王国の顔となり、外交の場にも度々顔を出すようになっていたカリンは、己の外聞を取り繕う術を獲得していた。
すれ違う各国のお偉方に微笑むと、例外なく彼らは蕩けた表情を見せる。しかし、迂闊に近寄って来ようとはしない。カリンが目当てで王宮を訪れた者も、いざカリンを目の前にすると、格の違いを見せつけられて怯んでしまうらしい。
近づいて来るのは、よほど自分に自信のある男か、あるいは身分を弁えない男だけだ。そんな中、一人だけカリンに近づいて来る男がいた。ヘルメスだ。
ヘルメスには、王宮から抜けだすときに幾度も世話になっていた。しかし、アセビが行方不明になってからは、王宮を抜けだすこともなくなり、ヘルメスと会話する機会もなくなっていた。そんなヘルメスから、耳寄りな情報がもたらされる。
「カリン様、アセビが見つかりました」
「本当? 生きてたの?」
アセビはウトリという名の商人に雇われていた。ウトリの話によれば、書置きもなく、寝起きしている部屋に荷物もそのままで、アセビは忽然と姿を消したらしい。だからアセビが、どこへ消えたのかは誰も知らなかった。
カリンに婚約指輪を贈ったばかりのアセビが、カリンの前から姿を消す理由がわからない。真っ先に思い浮かんだのは、アセビの身になにか不幸が起きたのではないのか、という恐ろしい想像だ。もしかしたら、もうアセビは死んでいるのかもしれない。
そんな不安があったからこそ、ヘルメスへの最初の質問が、生死の確認となった。ヘルメスの辛気臭い顔からも、とてもいいニュースとは思えない。
ところがカリンの予想を裏切り、アセビは生きていた。
「生きていました。アセビのやつ、ウトリの商品を少しずつ盗んでいたみたいなんです。その商品を使って、海辺にある市場で商売を始めていました」
「アセビがそんなことするわけないでしょ」
一年近くアセビと時間を共にして、アセビの人となりはよく知っている。アセビは人から物を盗むような男ではない。
思い出の中のアセビを汚されて、憤慨するカリンに、さらに驚愕の事実をヘルメスは突きつける。
「嘘ではありません。婚約を誓ったはずのカリン様を放っておいて、夫婦で店を切り盛りしています」
「結婚してるの⁉」
つい大きな声を出してしまったカリンに、声を抑えるようにと、ヘルメスがジェスチャーする。
「ヤマ帝国との戦争中に、アセビの父親が徴兵されて戦死したことは、ご存じですか?」
「知ってるけど、それがなに?」
「父親が亡くなったのは、カステア王国のせいだと、アセビはよく愚痴をこぼしておりました。おそらくその恨みを、カリン様の心を弄ぶことで晴らしていたのでしょう」
同情するようなヘルメスの眼差しに、カリンの頭は真っ白になった。
カリンの瞳には、心優しい青年に映っていたが、それはカリンの好意を得るための演技だったらしい。どうやらアセビに一杯食わされたようだ。
太陽が雲に隠れたときのように、体がすーっと冷える。やがて臓腑の奥から、熱いマグマが噴きだしてきた。わなわなと怒りで拳が震える。
私は一途にアセビを待っていた。それなのにアセビは、他の女と結婚していた。こんなことなら、いっそのこと死んでくれていたほうがまだマシだ。
カリンの気持ちを見透かしたように、ヘルメスは甘い声で囁く。
「アセビに会いに行って、その怒りを直接ぶつけてみませんか? ウトリも商品を盗まれて、アセビには腹を立てています」
「もちろんよ。会いに行くわ」
そうと決まれば行動は早い。次にウトリが王宮に商品を持参する日に、カリンは王宮を抜けだすことになった。
王宮を出る方法は、以前に使っていた方法と同じだ。馬車の荷台に隠れて、王宮の門を潜る。門番をしている衛兵がヘルメスなため、簡単に王宮の外へ出られたのは、5年前と変わりなかった。
大通りを曲がったところで、馬車の手綱を握っているウトリが、荷台の幌を持ち上げた。
「アセビの店まで、しばらく馬車を走らせます。緊張して喉が渇いたでしょう? これでも飲んで、お待ちください」
「ありがとう。気が利くわね」
カリンはウトリからガラス瓶を受けとった。コルク栓を抜いて、中の液体を口に含む。どうやら最高級の葡萄ジュースを用意してくれたようで、雑味もなくて非常に美味しい。
長旅になるので、飲み物は大切にしなければならなかった。カリンはチビチビと葡萄ジュースを舐めながら、アセビの店に着くのを待った。
葡萄ジュースを3分の1ほど飲み干したところで、眠気に襲われた。久々に王宮を抜けだして、ずいぶんと緊張した。その緊張が緩んで、眠くなったのだろうか?
そんなふうに考えたカリンであったが、本当の原因は、カリンの飲んだ葡萄ジュースにあった。じつはその葡萄ジュースの中に、睡眠薬が入っていたのだ。
やがて眠気は耐えられないほど強くなり、瞼を開けていられなくなった。
幌にもたれていた背中がズリズリと円を描くようにすべり、カリンは荷台の床に倒れる。カリンの手を離れたガラス瓶が、荷台の床を転がり、こぼれたジュースが血のように赤い水たまりを作った。




