誰かあの気の毒な令嬢を助けてやれる者はいないのか? 隣国の王子クラスでないと無理?……私の事ではないか
力を抜いて楽しんで行って下さい。
巻末付録付き。
「ローザリンド殿下、お留まりください! 駄目だってばぁ!」
新米外交役人ロッチが叫ぶ。
卒業パーティー会場で、先程から繰り広げられているこの国トップの子息による『婚約破棄劇』に釣られて始まった酔っぱらいの小競り合いを治めている隙に、殿下にスタスタと歩いて行かれてしまった。
「ロッチこの馬鹿! 殿下から目を離すなってあれ程……!」
あちらでは専属護衛のジークが青筋を立てている。彼も、茶番に伴って勃発した女性たちのワインぶっかけ合戦が殿下の方へ及ばぬよう、盾になっている最中だった。
そもそも卒業記念舞踏会なんて、ある程度教育された人種のみが集う貴族学園だから成立する代物で、『平等』の元 民度ごちゃまぜになった共和国の新設校が上っ面だけ真似しようとしても、無理があるのだ。
他の付き添い役人たちも、慣れないウェーイ乗りに押されて止める手が遅れてしまっている。
「ローザリンド王太子殿下、お止まり下さい」
頼もしく殿下の行く手を遮ってくれたのは、お目付け役筆頭のアーサー卿。
王弟令息で殿下に強く物の言える彼が間に合ってくれたので、他の者は胸を撫で下ろした。
「殿下、あの令嬢は今まさに罪人とされ国外追放を言い渡された者です。
ここは王国ではなく共和国、殿下は卒業パーティーに招かれた来賓。
端から見て如何にあの壇上の男が脂ぎった悪人面でも、己の浮気を正当化する為の言い掛かり冤罪が見え見えでも、今 殿下があの令嬢を庇い立てする事は、あちらの国の内輪揉めに首を突っ込み、せっかく育んだ国家間の友好にヒビを入れる行為にございます」
おお、立て板に水、さすがアーサー様、流れるような理詰め。
「そうか」
殿下は、髪と同じプラチナブロンドのまつ毛をフサフサと揺らしながら、神妙な面持ちで三つ上の従兄弟を見上げた。
「しかしピンと来たのだ、アーサー」
「あ、そうなのですか。ならばいた仕方ありません」
あっさり道をあけるアーサーに、付き人一同「ええええっ」と情けない悲鳴を上げる。
そう、王国一の切れ者と言われるアーサーなのに、『殿下の直感』にだけはノータイムで従ってしまうのだ。
「あのスピリチュアル令息ぅ――!」
ジークの吠え声を背に、殿下は迷い無き足取りで、ホール中央で晒し者になっている令嬢に近付いて、手を差し伸べる。
「馬車の車軸の素材は何が一番だと思いますか?」
***
卒業パーティーで起こった断罪劇の真っ最中。孤立無援だと思われた令嬢に純白の王子様が歩み寄り、荒れていた会場はしぃんとなった。
あれは隣国の、咲き誇る花も一斉に恥ずかしがって首を垂れると評判の、麗しの君、ローザリンド王太子殿下。
何が起こるんだ何を言うんだと、期待に満ちた目が集中する。
――馬車の車軸の素材は何が一番だと思いますか?
・・少なくとも百人が百人期待していた台詞と違う。
「シャジクの、ソザイ……?」
床に座り込む胡桃色の髪の令嬢……ルーシィ・スヴェンは、髪と同じ平凡な胡桃色の瞳を見開いて、初対面の純白王子を見上げた。
「鉄が一番だと思いますが」
***
ルーシィ・スヴェンはこの世に神様なんか居ないと思っていた。
帝国時代から続く旧家に生まれたものの、父は跡継ぎの兄しか見ていないし母は金髪碧眼の美しい妹に夢中。
幼い頃から本が友達。それで余計に辛気くさい娘だと、日陰に追いやられ面倒事ばかり押し付けられ、誉められもせず苦ばかりの搾取子生活。
それでも学校の研究室で成果を認められ、大手財閥がスポンサーに付いた。やったぁ! と思っていたら、そこのボンボン息子と強制的に婚約を結ばされた。
どうやら身内に取り込んでサラリー無しで成果だけ無償提供させる予定なようで。搾取子が搾取妻になるだけだった、クソッタレ!
しかも婚約者がクズ。
どういう頭の構造か、ルーシィが自分に惚れて無理矢理 婚約を頼み込んだと決め付けている。同学年という以外に何の接点も無かったのですがっ!?
貴方からご両親に婚約解消を申し出て下さいと言い続けているのに無視するのは何故だろうと思っていたら、こんな場面でルーシィ有責の破棄を狙っていたとは。
罪状捏造に荷担してクズの腕にぶら下がってニヤニヤ笑っているのは妹。
(ああもうバカバカしい)
何でもどうでもよくなって、脱力してヘタリ込んだ。
ヘタリ込んだ所に、白い綺麗な手がスッと差し出され。・・えっ天使?
(いや違う、人間? 白っ!? こんなに色白なのに着ている衣装も純白とかどういうセンス?)
しかも……馬車の車軸ですって?
――まさに今研究中の課題じゃないの!
***
「鉄が一番だと思われますが」
令嬢は顔を上げて答えた。
「金属以外で」
「金属以外…………黒檀の幹芯などですか?」
「市場に出回っていて、庶民に入手可能な価格帯で」
「では胡桃の古木、あと樫、イチイ、ヒッコリー……しかし木材は確かに弾力があり安価ですが、耐久性が激しく劣るので径が必要になります。そうなると摩擦係数が……あっ、摩擦係数っていうのは」
「大丈夫です、先を聞かせて下さい」
「あの、もしかして」
「はい」
「庶民にも行き渡らせられる運送技術の改良を目指しておられるのなら」
「はい」
「軸よりも、『軸受け』に注視した方が、前に進めるかと」
「軸受け!」
白い天使の宝石みたいな瞳がキラキラと輝いた。
「あ、詳しい事は研究中で、守秘義務がありますので」
「なるほど」
「おい、その人はお前が偉そうに口を聞いていいお方じゃないぞ」
壇上のボンボンは、我に返ってチャチャを入れ始める。
「ルーシィったら、相変わらず空気を読めないのね。ねぇ王子様ぁ、常識のない姉でごめんなさいねぇ」
「試験の点数しか取り柄のない可愛げのない女なんですよ」
ヤジを飛ばす面々に、純白の王子様は綺麗に巻かれた前髪をクリンクリンと揺らせて振り向いた。
「あなたたちも彼女にご用があったのですか?」
「は? え、いえ……」
「わたしはこちらの令嬢にまだ質問がある。少し待って頂けるか?」
「はい……」
王子様は笑みを絶やさずに、ルーシィに向き直った。
「先程並べられた罪状のひとつ、他国の馬車に細工しようとした……あれは我が国の馬車の事ですね。警備の者から報告は受けていました」
「そ……!」
「そうだ、それだ!」
壇上がまた色めき立った。
「国賓の馬車に何をしようとした! 国賊だ! 追放……」
ボンボン息子の怒鳴り声が止まったのは、いつの間にか側に来ていた王太子側の若い役人に手首を掴まれたからだ。
「殿下が話しておられる最中ですのでお静かに願います」
涼しい顔で握っているのに、指がピッタリ吸い付くようで全然離れない?
「ロッチ、関節は外すな、後が面倒になる」
反対側にも背の高い金髪の男性が立って圧を掛けている。いつからそこに居た?
「分かっていますよ、アーサー様。この人、こっちの国のトップの子息なんでしょ? いわゆる王子さま……うちの殿下とは随分違うけれど」
「この国は選挙で為政者を選ぶ、『建前』では爵位も世襲も無い平等の国だ。だから我が国に当たり前にある物が無い。我が国に無い物があるかどうかは知らない」
「ほ、封建制度など時代遅れだ!」
ボンボン子息の取り巻きの一人が叫んだ。広い額に銀縁メガネ、おそらく取り巻き定番の『宰相の子息』的ポジションだ。
アーサーの青い氷結の瞳がギラリと光った。
あ――あ、と、気の毒そうに息を吐くロッチ。
壇上の喧騒にお構いなしに、穏やかに令嬢に話しかけるローザリンド殿下。
「ご安心下さい。警備の者から聞いています、貴女はただ覗き込んでいただけで、手は後ろで組まれていたと」
「そ、その節は、はいっ、ごめんなさいっ。あの白い馬車の揺れ方、物凄く気になったんです。それでついつい……」
「揺れ方、ですか」
「はい、何をやったらあんなに衝撃を吸収できるんだろうと、どうしても確かめたくて……あ、えっと、私、物理を専攻していて、人類に役立つ道具を開発するのが夢なんです」
「物理、ですか」
「はいっ! 物理は裏切りません!」
「ま~たルーシィが訳わかんない事言ってる~」
壇上のピンクフリフリ令嬢が、尻上がりな声を上げる。
それを肘にぶら下げているボンボンが、
「女の役割は結婚して家と主人の為に尽くす事だろうが。馬車の揺れ方ってなんだよバカか? そんな頭の悪い女と婚約させられていたなんて、俺は被害者だぞ」
と、手首を掴んでいる役人を睨んだ。
「共和国って、国民みんなが同じ権利を持つ平等の国じゃなかったの?」
断固として手首を離さず、すっ惚けるロッチ。
「ぐ、女は男と分けなきゃダメだろ、能力が低いんだから。挙げ足取りすんな、失礼な奴だな、いい加減離せ!」
「殿下のご用が済んだら離すけれど……」
ホールを見ると、令嬢と話を弾ませていた殿下が、ニコニコと振り向いた。
「ロッチ」
「はいっ」
「ルーシィ・スヴェン嬢に馬車を見せてあげる約束をした。今から行ってもよいか?」
「えっ、ちょっ、お待ち下さいっ」
ロッチは慌ててアーサーの方を見る。
彼は丁度、宰相の子息ポジ銀縁メガネをこてんぱんに論破して、足元に見下ろしている最中だ。
「王太子殿下、一応来賓なので、こんな下品な式典でも一段落するまでは我慢なさいませ」
言いながら、ガクガク震えているメガネは放置して階段を下りる。
ロッチもボンボンから手を離し、銀縁メガネを気の毒そうに見やってからアーサーの後に続いた。
***
ルーシィ・スヴェンは、雲の上みたいなフカフカの応接椅子に、ガチガチに固まって沈み込んでいた。
パーティー会場の奥まった場所、いくつかあるボックス席の、王国専用に区切られたスペースに座らされている。
周りの王国の人、みんな小顔で凛々しくて、背筋がピンと伸びて別人類みたい。その人たちがルーシィの事について話し合ってくれている。嘘みたい。
「殿下、どうするんですか、そちらの御令嬢」
「こちらの国で要らないと言われたのなら、連れ帰ってもよいのではないだろうか」
「猫の子じゃないんですよ」
「優秀な人材は宝である。そうであったな、アーサー」
「さようでございます」
アーサーと呼ばれた一際輝く金髪の男性が、一団を仕切っているようだ。王子様とはまた違った存在感というか凄みのある、金属専用精密研磨機のような火花散らす視線。
「殿下がピンと来られたのなら、本物でございましょう。将来的な国益に繋がりますか?」
「ああ、金の卵だ」
「なるほどなるほど」
いったい何時取り寄せたのか、ルーシィの経歴と研究実績の報告書に、目を滑らせている。
「さすがの御慧眼にございます」
鳩尾がサッと冷えた。
ああ、そう、私の価値は私の能力、研究結果。この人たちはそれを拾ってくれようとしているだけ。しっかりしなきゃ。浮かれて勘違いしては駄目よ。
それに、私は……
「しかして、益になるのは共和国側も分かっているのでは? あのトップ子息が愚かなだけで、一流の組織ならきちんと価値を把握していると思われます」
「まぁ、あのボンボン、アタマ残念そうだったもんな。今時 国外追放なんて何処の国もやってませんよ。隣国に怒られるって」
「『エライさんが留守の隙に』って奴じゃねぇの? 大勢の前で宣言して後戻り出来なくしちまえばこっちのモンだって、甘やかされた坊ちゃん特有の、浅はかな考え」
「後戻り出来なくて泣くのは誰なんでしょね」
「どちらにしても『返せ戻せ』と言って来られる可能性が高いです」
ルーシィは口を出せずに固まっている。
自分に価値を見出してくれるのは素直に嬉しい。物みたいに扱われるのだって、初対面の、国を背負う役人さんたちだから当たり前、気にならない。
でも、私は……
「返還を拒否するのは、両国の友好にヒビが入るか? アーサー」
純白の王子様が神妙に金髪の男性を覗き込む。
「こちらの正当性が弱いですね。愚かな子供の苛めから救い出したくらいでは」
「うむ、では少し行ってくる」
王子様が立ち上がった。
共和国の誰かと話を付けに行くのかと思いきや、他の役人さんたちは道を開けるだけで同行の素振りを見せない。
そして、ルーシィの前にまた手が差し出された。
――??
***
「得意なダンスは何ですか?」
生まれて初めてエスコートされながら、パーティ会場の視線の中を歩くルーシィ。
「えっ、私ワルツの基本ステップしか知りませんよ……っていうか、まさか踊るんですかっ?」
「舞踏会だから踊るでしょう」
いやいやいや待って、
さっきの騒ぎで皆シラけてるし、音楽止まってるし、踊ってる人なんかいないよ。
そもそも共和国は舞踏会ってそんなに盛んじゃない。学校の授業でもサラッと流すだけ。踊って社交なんて習慣無いのよ。
頭でそう並べ立てて抗議するも、綺麗な白い手に逆らえず、導かれるままホールの中央に出た。周りは誰もいない。
「お手をどうぞ」
涼しい顔でホールドを取る王子様。
昔 習った通りに王子様の肩に手を回してみる。ほっそっ!
「では、一 二 三、 一 二 三、」
無音の中踊り出す王子様、凄い勇気だ。
ルーシィも操り人形のように着いて行く。
二小節踏んだ所で、王子様が左手を高く上げ、指を鳴らした。
途端に広がる音楽。
(後で聞いたら、そりゃ楽団は、ホールに誰かが出て来たら楽器を構えるし、指揮者は最良のタイミングでステップに合った楽曲を供してくれる物なんだって)
その演出が見事なほどツボにハマって、そして突然踏み出した王子様の大きなストライドに引っ張られて二人一緒に、放流された魚のようにホールを駆け巡った。
何これ、めっちゃ気持ちいい!
おおおおお! と声が上がる。
ルーシィは自分じゃないみたいに身体を動かし、遠くまで足を伸ばし、跳んで、回る。
全然怖くない、私こんな事出来たの? 支えてくれる王子様の技術? あんなに細いのに足腰強いよ、ハンパない! ダンスで社交を築く民族凄いっ!
更なる喝采。
(わ、私たちの事だよね? 運動科目からきし駄目でいつも評価Dだった私が、身体を動かす事で注目を浴びてる? 信じられない、信じられない)
ああ、でもやっぱり全部、王子様のお陰だよね……
そっと見上げると、微笑みを浮かべたまま息を少し弾ませ、瞳をキラキラさせている。
まつ毛の密度凄いなぁ……
気のせいか、本当に光の粒が流れて行くようで。
ホケっと見惚れた所で、ストライドを少し緩めて、王子様が話し掛けて来た。
「スヴェン嬢はどうしたいですか?」
「はい?」
「わたしとしては、我が国へ来て、わたしの後見で研究室を持ち、思いきり才能を発揮して頂きたいのですが」
本当に? 本当にそう出来たら夢みたいだ。
「まだ貴女の口から希望を聞いていませんでした」
「えっ、そ、そりゃ有り難いお話ですが……実現可能なのですか? 自分で言うのもなんですが、財閥側は私の美味しい部分を手離したくないと思うんです」
「そのようですね」
ダンスの横目に、駆け付けたトップ財閥のエライさんたちの狼狽した顔と、叱られてションボリした元婚約者が見える。両親と妹は鬼の形相だ。
「貴女は何物にも縛られず、貴女の心のままにお返事して下さればよいのです」
「でも」
「良いお返事を頂ければ、曲が終わったタイミングで、わたしは貴女に跪き、手の甲に口付けてプロポーズをします」
「えっ……えええっ!?」
「その後はお任せ下さい。会場の雰囲気は作り上げました。これだけのギャラリー、会場全体が素敵な恋物語の目撃者で、『隣国の王太子に見初められた逆境のヒロイン』の味方です。
わたしの手の者が散って情報を操作しています。間違ってもあの断罪劇は無かった事にさせません。『ルーシィ・スヴェンは渡さない』なんて言えない状況を作ります。
共和国の、国民ひとりひとりが平等に物言える制度は、こういう時に便利ですね」
~~!!
ルーシィは今一度、微笑みを絶やさない王子様を見上げた。
王太子妃になれって事……とは違うよね? 幾ら何でもそれは無い。私にそちら方面の教養は皆無だ。
あくまで私を移住させる為の口実みたいな物だよね? 深く考えなくてもいいんだよね? そう解釈すれば、まことに有り難いお話。
でも、私は……
「お返事を頂けますか」
「プ、プロポーズって、あらかじめ返事を聞いてからする物なんですか?」
「そりゃわたしだってサプライズでやって相手の驚きのお顔を見たりしてみたいですけれど。一生に一度の事ですし」
王子様はちょっとだけ素になって拗ねた顔をした。微笑み以外を初めて見る。
「その状況まで行ってしまうと、貴女は応じるしかなくなるではありませんか」
「ああ……(確かに)」
王国の学校は、私たちより四年も早くに卒業して、そのまま成人になると聞いた。
去年卒業したという王子様は、私やあの元婚約者より年下で、こんな子供のような産毛の光る頬をして、それでももう大人に交じって国の為に働いて、私に気遣いまでしてくれる。
(素直にお伽噺に浸れる子供だった時代に出会いたかったなぁ……)
「そろそろ曲が終わります。お返事をお願いします」
「……は……」
否を言う理由など無い。今までの不運を全部引っくり返せる幸運だ。このプロポーズはフェイクだけれども、隣国への扉を開くパスポート。そして今までと段違いの研究環境を貰える。
――でも、でも、私は…………
曲が終わる、
王子様は微笑みを湛えたまま手を離さずにゆっくりと腰を落とす、
息を呑んで見守るギャラリー、
ルーシィの口が、声を発する為に開く。
被せるように天井に響く声。
「ル――シィ――!!!!」
***
突然の無粋な絶叫が、キラキラした恋物語の世界に浸っていた会場を、一気に現実色に引き戻した。
新米役人のロッチは会場入り口をギッと睨む。
せっかく我らの殿下がお伽噺領域を展開して上手く行きそうだったのに、何処のどいつだっ!
「ルーシィ! ルゥ、何処だ! 助けに来たぞ!」
入り口で叫んでいるのは風采の上がらない無精髭の男性で、年の頃は三十くらい、周囲の者が息を呑んで絶句しているのは、彼の奇行のせいばかりではなく……
「あれ、ズボン、前後ろ逆じゃない?」
「上着の背中、捻れて一回転してるの、やっぱりわざとじゃないんだな」
「ああいう着こなしかと思った」
「っていうか、ぱんつ見えてない?」
クスクスとどよめきが起こる。
「フィ、フィッシャー主任……」
ルーシィはそちらを見て口をあんぐり開けた後、ローザリンド殿下に向かってコメツキバッタみたいに頭を下げた。
「す、すみませ、ごめんなさいごめんなさい、ちょっ、失礼しますっ」
言うが早いか、ドレスをひるがえして乱入男性の方へ駆けて行く。
取り残される殿下。
「おおおルーシィ~~無事かぁ~~」
「フィッシャー主任、何やってんですか、対人恐怖症の引き籠りで、研究所を一歩も出られない貴方が」
「だだだって、ルーシィが無実の罪で吊し上げられてるって聞いて~~」
「私は無事です、大丈夫ですよ」
「そっかぁ……よかっ……」
その時やっと、周囲の眼差しが彼に届いた。
「ダッサ! 登場遅すぎない?」
「王子様と比べ物にもならないわぁ」
「ぎ……」
「主任?」
「ぎぃあああ、目が! 人の目が! こっ、怖い怖い怖い!」
突然頭を抱えてうずくまる男性。
しかして更に周囲を驚かせたのは令嬢の行動。
いきなり自分のたっぷりしたスカートを、床でのたうつ男性にパサリと被せ、そこに座り込んだのだ。
「大丈夫、大丈夫、こうすれば誰からも見えないですよ」
「ホ、ホント……? ミラレテナイ?」
「はい、大丈夫、大丈夫」
「……ウン……」
「物理は裏切らない、物理は裏切らない」
「……うん……」
スカートの下の男性の声が落ち着いて来た。
「物理はいつでも貴方の味方です、主任」
「ルゥ、ごめん……」
「はい」
「すぐに駆け付けたかったのに、ドレスコードとやらで門で止められて……」
「そういえば、主任が白衣以外をお召しになっているの、初めて見ました」
「夜会服、借り回ったんだ、頭を下げて」
「コミュ症の主任が……」
跪いたままの殿下の行き場を失くした右手を、近付いたロッチが掴んで引き起こした。
「どんまいです、殿下」
「……今度こそ、真実の愛を育める相手に巡り逢えたと思ったのに」
「今回は殿下に落ち度はありません、間が悪かっただけです」
「また始まる前に終わってしまった。わたしはやはり、恋愛に向いていないのだろうか……」
まぁ、この王子様はあまりにも王子様過ぎて、相手が恋愛対象に見てくれない、ってのはある。
「馬車のサスペンション、誉められて嬉しかったんでしょ? 正直に言えばよかったのに、自分が図面引いたんだって」
「自慢みたいで恥ずかしかったのだ」
本当は、華やかな外交よりも、引き籠って国民に役立つ機械の設計をしている方が好きなのだ。学生時代からずっと、この方は。
「一所懸命『王子様』をやったのに……」
「切り替えて、次行きましょ、次。この世の何処かには存在しますよ、殿下の運命のお相手」
「うう・・もう帰って橋の設計の続きをやっていたい・・」
二人でトボトボと席に戻ると、アーサーがすぐにやって来た。
何故だか上衣を着ていない。
「お見事な領域展開でした、殿下」
「許せ、アーサー、わたしは上手く出来なかった」
「いえ、勧誘には成功なさいましたよ。ルーシィ・スヴェンは『国外追放されて』、我が国に来てくれるそうです」
「ホント?」
ロッチが見やると、先程の男性は頭からすっぽり上衣を被り、ルーシィに支えられてヨロヨロと退場する所だった。周囲はどう反応していいか分からない雰囲気で、遠巻きにしている。
男性の被る金刺繍の上衣はアーサーの物で、いつの間にか接近して話をまとめていたらしい。抜け目が無い。
「まったく、御婦人が恥ずかしくもスカートを使わねばならぬ状況に陥っているのに誰も手を貸さぬとは。共和国の紳士教育はどうなっているのだ」
「そ、そうですね」
しばらくそちらを見守っていたアーサーが殿下に向き直り、そして口角をニュッと上げた。
「殿下、大金星にございます」
「え?」
「あの男性はフレドーリ・フィッシャー。かの有名な奇才、フレドーリ・フィッシャー博士だったのですよ」
「・・??」
「極端な人嫌いで、論文や発明品の名声ばかり一人歩きして、何処に存在するのかすらまったく掴ませなかった、幻の天才物理学者です」
「御高名だけは存じているが……」
「あの大人コドモみたいな人が?」
アーサーは今度はロッチに向いた。
「そう、性質に問題があったから今まで陰の存在だった。
彼は、ルーシィ・スヴェン嬢がいないと、研究も外との交流も保てない程、彼女に依存している。スヴェン嬢が誠実に動いたお蔭で、彼の発明はきちんと彼の名で世に出られたのだ」
「へぇ」
「そのスヴェン嬢が『国外追放』されるのなら、当然彼も着いて来る」
「えっ」
「フィッシャー博士が我が国へ?」
殿下も目を見開いた。
「彼女の憂いはそれだけでしたから」
アーサーはにこやかに目を細める。
「共和国が手放してくれるんですか?」
ロッチのもっともな問い掛け。
「自国内より他国の方が評価が高いなんてのは、国の価値基準によってありがちだ。
それもこの国では極端だったようで、……ほら、あのような状況で、スヴェン嬢以外 誰もフォローに駆け寄らなかったろう? 財閥の重鎮も来ているのだから顔を知っている者もいた筈で、普段から軽んじられている証拠だ。
まったく、この国の教育形態と環境で、よくもあのような天才二人が育った物か。潰される前に掬い上げる事が出来た巡り合わせを、運命の神に感謝せねば」
「はい……」
アーサー様、飄々と理詰めで辛辣でスピリチュアル。
「ああいう連中って、手から離れて誰かの物になりそうになって、初めて惜しくなってゴネるんだ。アーサー様、お疲れです」
肩をぐるぐると回しながら、ジークが戻って来た。
「あの二人に護衛付けときましたよ」
「御苦労」
「奴らがノロノロ動く前に、とっととかっさらっちまいましょう」
「根回し中だ、少し待て」
悪い顔をする二人の先輩に、ロッチは口を結んで唾を呑む。
少し外しますと、アーサーはジークの背を押して、密談用の別室へ。
行きかけて、クルリと振り向いて、殿下に満面の笑みを見せる。
「この度はお見事でした、ローザリンド王太子殿下。ピンと来たとはこの事だったのですね。
フィッシャー博士と金の卵ルーシィ・スヴェン嬢。他に比類なき極上の国益にございます」
「そうか、アーサーが笑っているのなら、それはとても良い事だったのだな……」
王太子は顔を上げて、弱弱しい微笑みを返した。
「では、『穏やかに』移住を進める為の算段を煮詰めて参ります。殿下はゆったりとパーティーをお楽しみ下さいませ」
「ロッチ、引き続き殿下の護衛、頼んだぞ」
「はい……」
「いやはや、殿下は放流しとくに限るわ。海老で鯛釣って、クジラまで付いて来るんだもんなぁ」
というジークの不敬発言はしっかり聞こえていて、去っていく二人の背を眺めながら、ロッチは、健気に笑顔を作る殿下の背中をポンポンと叩いた。
(あの人たち、鬼だ……)
~了~




