8話:邪神の本質
「――王の玉座である。何人たりとも、これ以上の不敬は許さない」
凛とした、しかし感情の温度が感じられない声が、玉座の間に響く。
「我が名はゼキエル。天空神に仕え、この聖域を守る者。――不浄なる魔族よ、ここで滅びなさい」
「どうやら私たちを魔族だと勘違いしているみたいです!」
「うわ、名乗りからの決め台詞! 完全にボス戦の導入ムービーじゃん!」
《主! 問答無用で来ますぞ!》
クロの警告と同時、ゼキエルと名乗った女性が腕を薙ぐ。
「──天儀・風の刃」
ヒュッ、と空気を切り裂く音と共に、不可視の刃が私に襲いかかった。
「――させません!」
私の目の前に躍り出たフィアが、その真空の刃を、身に纏った竜血の障壁で受け止めていた。
バギンッ!と凄まじい衝撃音が響き、障壁に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
「くっ……!」
先ほどの石像の攻撃とは比較にならない、一撃の重さ。フィアの足が床にめり込んでいる。
(やばいやばい! あの壁、壊されちゃう!)
「クロ!」
《承知!》
フィアが時間を稼いでいる間に、私はクロに指示を出す。クロの先端が、まるで肉食植物のように裂けて、禍々しい顎を形成する。
「――炎獄放射!」
クロの口から、全てを焼き尽くさんとする紅蓮の奔流が放たれた。轟音と共に、灼熱の火炎放射がゼキエルの体を飲み込んでいく。凄まじい熱量に、玉座の間の大気が揺らめいた。
しかし、ゼキエルは燃え盛る炎の中心で、眉一つ動かさない。
「……その程度ですか、不浄なる魔族」
次の瞬間、ゼキエルが軽く腕を振るうと、爆風と見紛うほどの突風がクロの炎を吹き飛ばした。彼女は一切の火傷を負っていない。
「えっ……!?」
《神聖属性の絶対防御結界……。相性が最悪です、主》
「神聖属性ってなに!? 事前情報なしにこの土壇場で新情報を公開しないでよ!」
《主よ、落ち着いて下さい。あれは神の力を宿した、我々邪神とは対極の属性。邪神の魔力を霧散させる、天敵のようなものです》
(つまり魔法無効ってこと!? めっちゃ厄介なタイプのボスじゃん!)
「次はこちらの番です」
ゼキエルが冷たく言い放つと、その場でふわりと浮き上がった。彼女が祈るように両手を組むと、その周囲に凄まじい魔力が渦巻き、玉座の間の空気がビリビリと震える。
「――天儀・雷の槍」
詠唱と共に、ゼキエルの頭上にいくつもの魔法陣が展開され、そこから眩い光を放つ雷の槍が姿を現した。
ゼキエルが腕を振り下ろすと、その槍の群れが、雨あられとなって私たちに襲いかかってきた。
「槍が降るって実在するの! 防御、防御してクロ! うわぁぁぁぁ!」
《お黙りなさい! フィア、障壁を最大に! 一撃も通すな!》
「はあっ!」
フィアが竜血の障壁を広範囲に展開し、クロが私の前に立ちはだかる。しかし、雷の槍は障壁を容赦なく貫き、クロの体を切り裂いていく。防戦一方だ。
「なんかすごい痛い! 効果抜群なんですけど!」
《これはかなり不味いですね……》
絶望的な実力差。 相性も最悪。 安全に引きこもれる場所を探しに来ただけなのに……。
すると、フィアが一歩前に出る。
「私の魔法ならば……! ──お返しです!」
「――竜血槍!」
フィアの腕から迸った血が、無数の槍となってゼキエルに襲いかかる。
今度こそ手応えがあった。数本の槍が、彼女の肩や腕を確かに貫いていた。
「フィアすごいよ! 竜最高!」
白煙を振り払い、ゼキエルは私たちを見下ろす。
「……魔族の眷属もまた、不浄。鬱陶しいです」
ゼキエルは忌々しげに呟き、自らの肩に突き刺さった血の槍に目を落とした。神聖属性の結界を貫いたその一撃は、確かに彼女の体を傷つけている。傷口からは血が漏れ出し、ゆっくりと傷が再生していくのが見えた。
「……竜の魔法」
初めて、ゼキエルの声に明確な殺意が宿った。
「ならば、遊びはここまでです」
ゼキエルの背中から、神々しい光で編まれた一対の翼が音もなく展開された。それは物理的な翼ではなく、この場の神聖な魔力そのものが形を成したもののように見えた。
翼が広がるたびに、玉座の間の空気が震え、力がゼキエルへと収束していくのが肌で感じられた。
「うわー! なんか光りだした! これ、イベントシーンの後に即死攻撃が来るやつ!」
《主、危険です! 防御に集中!》
「天空の怒りを、その身に刻みなさい。――神域・天空の裁き」
ゼキエルの宣言と同時、玉座の間全体が凄まじい嵐に飲み込まれた。
回避不能の全方位攻撃。天から無数の雷の剣が降り注ぎ、床からは真空の刃が竜巻となって吹き上がる。
「フィア、逃げて!」
私の絶叫も虚しく、降り注ぐ雷の剣がフィアの体を捉え、壁際まで吹き飛ばした。
轟音と閃光が、視界と聴覚を焼く。
「がはっ……!」
受け身も取れず壁に叩きつけられたフィアは、そのまま力なく崩れ落ちる。
「フィア!」
《主!》
クロが私の体を守るように覆いかぶさる。直後、凄まじい衝撃と熱が私たちを襲った。
このままじゃ、じり貧だ。 フィアが死ぬ。 私も、死ぬ。
(どうする……どうすれば勝てる!? 邪神玉? いや、こんな屋内で使ったら、私ごとこの城が吹き飛ぶ……!)
クロが必死に攻撃を防いでくれている、その一瞬の猶予の中で、私の脳はゲーマーとして、邪神として、必死に最適解を探していた。
(落ち着け……私。リソースを再確認しろ。使えるスキルは? 『吸収』、『形態変化』、『邪神玉』……。 私の魔法系スキルは通用しない。 脳を回せ、こんな時くらい頑張ってみせろ私!)
現状、通用するスキルは──。
(『吸収』……相手を取り込んで力にするスキル。でも、どうやって? あいつに触れることすらできないのに……!)
思考の海に沈む私の脳裏に、かつての光景がフラッシュバックする。 教団のローブの男を、クロが吸収した時の記憶。
(そうだ……あの時、クロは男の体を突き刺して吸収を始めた……! 『吸収』の発動条件は、対象の体液……血液を摂取すること!)
パズルのピースが一つ、カチリと音を立てて嵌った。
(じゃあ、『形態変化』は? クロが炎を吐くとき、先端が口みたいに開いた。あれは……取り込んだ能力を、最も効率よく行使するための『最適化』……!)
そうだ、私は邪神としての、この身体の『基本』を完全に見落としていた。 これは、レベルを上げて物理で殴るだけの、単純なゲームじゃない。スキルの仕様を理解し、コンボを組み立てて戦う、アクションRPGだ!
《主! 何か閃かれましたか!?》
「クロ、フィアのところまで飛べ!」
ゼキエルが放つ風の刃と雷撃の嵐を紙一重で躱しながら、私たちは血を流して倒れるフィアの元へとたどり着いた。
「クロ、フィアをお願い!」
《承知》
クロはすぐにフィアを抱え、辛うじて攻撃を防いでいる石柱の裏に隠れる。
「フィア、大丈夫!?」
「も……しわけ、ありませ……うかな、さま……」
か細い声で謝罪するフィア。その頬を、一筋の血が伝っていた。
「ちょっとだけ、力を借りるね」
私は覚悟を決め、その血をペロッと舐めた。
「え……っ!?」
フィアが驚きと羞恥に目を見開く。その頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。
私の脳内に、膨大な情報が流れ込んでくる。竜の血に刻まれた、魔法の数々。
「クロ『形態変化』! イメージは、最強の竜!」
《御意に!》
クロは私の意図を完全に理解し、その体を変質させていく。
私の背中から生えるクロの体が、禍々しい漆黒の竜の頭部へと変わっていく。硬質な鱗、鋭い牙、そして爛々と輝く真紅の瞳。
《ガァァァ》
クロの口から黒煙が吐かれた。
「な……うかな、様の、お姿が……」
フィアが呆然と呟く。
私の肌にも鱗が現れ、爪が鋭く強固なものに変化した。
ゼキエルが攻撃の手を止め、初めて警戒の色を浮かべて私を睨みつけていた。
脳内に、ゲームのログのような無機質なメッセージが浮かび上がる。
──権能:【竜神の権能】を獲得しました──
私は不敵に笑い、一度だけ言ってみたかったセリフを口にした。
「――さて、と。 第二ラウンドを始めようか」