7話:ボス部屋へ
その先には、静寂に包まれた広大な都市が広がっていた。
時が止まったかのような静寂の世界。 かつては白く輝いていたであろう石畳の大通りは、今はひび割れ、その隙間から腰の低い草が健気にも顔を覗かせている。
見渡す限り続くのは、白亜の美しい建造物の残骸。
「ここは……」
《かつて、天空人と呼ばれし者たちの楽園だった場所です》
優美な曲線を描く壁、天を突く尖塔、翼の彫刻が施された柱廊――そのどれもが、栄華を極めたであろう天使たちの都の面影を色濃く残している。
しかし、その栄光は遠い過去のもの。屋根は崩れ落ち、壁には蔦が絡みつき、窓だったであろう空虚な穴が、まるで都市の骸骨の眼窩のように、不気味にこちらを見つめていた。
大通りの中央には壮麗な噴水があったのだろう、台座だけが残り、水のない水盤には枯れ葉が積もっている。それでもなお、この廃墟には、ただ朽ち果てただけではない、不思議な神聖さと気品が満ちていた。
「手の込んだマップだね……嫌いじゃない。 いやむしろ好き!」
《天空人は遥か昔に魔族との大戦で多くの犠牲を払ったと記録されております》
クロが静かに語り始める。
遥か昔、ここは神が率いる天空人が暮らす楽園だったこと。しかし、永きに渡る魔族との大戦の末、天空神は民を守るために戦場に赴き、二度と戻らなかったこと。
そして、主の帰りを待ち続けた最後の守護者が、故郷を蹂躙する魔族を滅ぼすために今もたった一人で主との約束を守り続けていること……。
「う……うう、なんて悲しいお話……」
フィアは涙を拭いながら鼻をすする。
《あくまで文献による記録ですが》
「へぇ、壮大な設定があるんだね……。 ゲームのフレーバーテキストみたい」
壮絶な歴史とは裏腹に、私の感想はそんなものだった。
私たちは、都市の中で一際大きく、荘厳な城――王城を目指すことにした。
「最高難易度というわりにはそんなに危険じゃなさそうだね」
「基本的に人間は空を飛べません。 故にダンジョンのランクもそれに伴って上がっているのかもしれませんね」
「なるほど、ここに来るまでで既に高難易度ってことか……」
王城に入ると、豪華なシャンデリアが私たちを出迎えてくれた。
「うかな様、お気をつけください。 何があるか分かりません」
「平気平気。 こういうダンジョンのお約束は、ゲームで履修済みだから」
私は王城の廊下を進みながら、ある壁の前で立ち止まった。
「ほら、ここ。 周りと壁の色がちょっと違うでしょ。 こういうのは大体、隠し通路。 ネトゲの常識」
「か、壁の色……?」
フィアが半信半疑で壁を押すと、ゴゴゴ…と音を立てて壁が回転し、新たな通路が出現した。
「な、なぜお分かりに!? これが邪神様の千里眼……!」
フィアは目を輝かせ、慌ててメモ帳を取り出して何かを書きつけている。
(いや、ただのゲーマーの勘です……)
少し気まずいが、尊敬の眼差しが心地よくて、つい調子に乗ってしまう。
隠し通路の先で、私たちは古びた宝箱を見つけた。
「あと、ああいう宝箱は簡単に開けちゃダメ。 99%トラップだから」
「な、なるほど……! 流石です、うかな様! 勉強になります!」
ますます熱心にメモを取るフィア。
《履修済みですもんね》
(うるさいぞクロ)
《しかし主よ、この宝箱は罠ではなさそうですぞ》
(どうしてわかるの?)
《仕掛けが施された宝箱には微粒な魔力の残滓が残るものです。 それが感じられません》
(クロ……私も今それを言おうと思ってたの)
《……さようで》
なにも出ないで、と念じながら私は恐る恐る宝箱を開ける。 中に入っていたのは、手のひらサイズの割れているが美しい水晶だった。
「なんだ、ただの水晶か。 換金アイテムかな? 見た目も地味だし、割れてるからNレアっぽい」
《主よ、それはおそらく、死者を一度だけ蘇らせる伝説級の宝具『生命の水晶』の欠片かと……》
「え、そうなの? じゃあ、店で高く売れる?」
《売るな》
クロの呆れたようなツッコミを右から左へ受け流し、私たちはついに王城の最奥、玉座の間へとたどり着いた。
ダンジョン探索はやっぱり楽しい。 それに敵もほとんど出ないからここを拠点にする計画は悪くないかもしれない。 なにより、空に飛んでるとかかっこいい。
「うかな様、準備はよろしいですか?」
「うん、いいよー」
巨大な扉を、フィアがゆっくりと開く。
広大で、静まり返った玉座の間。
その中央に置かれた玉座に、一人の女性が静かに座っていた。
真紅の長い髪。 そして、こちらを見つめる瞳は、片方だけが十字の瞳孔を持つ、美しいオッドアイだった。
(うわ、綺麗……ていうか、ラスボスの風格が半端ない……ん?)
「ラスボスがいるって聞いてないんだけど!」
私がその幻想的な姿に見惚れた、その瞬間。
女性の姿が、玉座から掻き消えた。
「――ッ!?」
殺気。
肌を突き刺すような、純粋な敵意。
気づいた時には、目の前にあの美しい顔があった。
振りかぶられた手が、鋭い爪となって私の心臓を狙う。
――死んだ。
そう思った瞬間、フィアが私の体を抱きかかえるように回避した。
ドゴォォォンッ!!
轟音と共に、先程まで私たちが立っていた床が粉砕される。
「お怪我はありませんか! うかな様!」
「うん、ありがとう。 それよか、なんなの!?」
間一髪で死地を逃れた私が見たのは、冷たい殺意を宿した瞳で、こちらを睥睨する天空人の姿だった。
「――ここは天空神様の聖域。不浄なる魔族は全て排除する」
静かな、しかし芯のある声が、玉座の間に響き渡った。