5話:初めての仲間兼お世話係
次に目を覚ました時、そこは柔らかく、温かい場所だった。
微かにいい匂いがする。前世で使っていた安物の柔軟剤とは違う、もっと自然で、陽だまりのような匂い。ずっとここで眠っていたい。
(ん、あれ……? 私、生きてる……? ていうかこの枕、妙に生々しい弾力と温かみが……)
ぼんやりとした視界に、ふくよかな双丘と白銀の髪がさらりと流れるのが見えた。どうやら私は、あの竜の少女の膝の上で眠っていたらしい。
少女の体温が、じんわりと首筋に伝わってくる。
(美少女の膝枕……悪くない……というか、最高なのでは……? さすがSSRだ!)
《なに言ってんだ主は》
「! お目覚めになられましたか、邪神様!」
私の生存を確認した竜の少女は、安堵と歓喜に満ちた表情で、深々と頭を下げた。その拍子に、戦闘で汚れたであろう頬に、涙の筋が光るのが見えた。
「あの、私、フィアと申します! この御恩は、生涯忘れません!」
「あ、う、えっと……ど、どうも……です?」
真正面からの感謝と好意。それは、私の貧弱なコミュニケーション能力では到底処理しきれない、高レベルの攻撃だった。美少女とどうやって話せばいいの。
(む、無理無理! 感謝とかされるとどう反応していいか分かんない! なんか変なこと口走る前に、クロ、ヘルプ!)
助けを求めるようにクロに思念を送ると、心得たとばかりににゅるりと前に出た。
《我が主は、この世界に生まれたばかり精神……特に脳みそが不安定なのだ。無闇に話しかけるでない》
(え、なんか悪意混じってない!?)
「そ、そうでしたか……! 申し訳ありません……!」
フィアはクロの言葉を真に受け、慌てて口を噤んだ。
私は気を取り直して、なんとかその場を去ろうとした。これ以上関わると、面倒なイベントが始まりそうな予感しかしない。
「じゃ、じゃあ、これで……」
「お待ちください!」
しかし、フィアは私の背後から、静かについてくる。その瞳は、迷子の子供のように不安げに揺れていた。
「私にはもう帰る家がありません……頼れる人もなにも……」
ぽつりと呟くと、フィアは俯いていた顔を上げた。その金色の瞳には、悲痛な色と、なにかを懇願するような光が宿っていた。
「私たち竜の一族は、ただ静かに森で暮らしていただけでした。ですが聖王国は、我らを『魔族の穢れた血』と断じ、一方的に……。母も、一族も、皆殺しにされました。生き残ったのは、私だけです。あなた様は、そんな私を救ってくださった……唯一の希望なのです。どうか、このままお側に置いていただけないでしょうか……!」
「えぇ……」
必死の懇願を、さすがに無下にはできない。元引きこもり兼邪神とはいえ、私にも人の心、のようなものはある。
(パーティー加入イベントか……。ただでさえ自分の存在に困ってるのに人の人生とか背負えないよ……)
《主よ。邪神には手となり足となる信者が必要かと思いますが》
(うっ……。でもさあ、いきなり仲間とか言われても……)
《食料の確保、野営の準備、情報収集などなど。この世界を生きていくのに必要な要素は多岐にわたります。主がそれらをこなせるとは思えません》
(おい、触手喧嘩するか?)
《彼女がいれば、主はより快適な引きこもりライフを送れるかと》
(……なるほど、ちょっと魅力的かも)
私はフィアを見上げ、小さな声で尋ねる。
「……な、なにが、できるの?」
「え? な、なんでもできます……! 戦闘も炊事もお掃除も……あとあと命令とあらばこの身を!」
ぽよん、と揺れる胸に私の中の少年が喜んだ気がした。
私はパチンッと指を鳴らした。
「採用」
「へ?」
《主!?》
数十分後。
パチパチと音を立てる焚き火の前で、私はフィアが手際よく捌いた猪肉のハーブ焼きを、夢中で頬張っていた。
肉の表面はこんがりと、中は驚くほどジューシーに焼けている。鼻を抜ける爽やかなハーブの香りが、食欲をさらに掻き立てた。
「んまー! なにこれ美味しい! おかわり!」
自分でやると炭の塊しか作れない私にとって、フィアの料理は、前世で食べたどんなコンビニ弁当よりも美味しく感じられた。
「本当ですか!? 良かった……!」
フィアは心底ほっとしたように、花が綻ぶような笑顔を見せた。
私は無我夢中で肉にかぶりつき、口の周りがタレで汚れるのも気にせずに、子供のようはしゃいだ。
「ふふ、邪神様、お口にソースが」
フィアは布で私の口の周りを優しく拭いてくれた。
(私が男だったら好きになっていただろう。良かったな私が邪神で!)
《なんともチョロい邪神ですね》
(おう触手、引っこ抜いたろか)
フィアはずっと微笑みながら私の食事姿を眺めている。
「もぐもぐと頬張るお姿……なんと愛らしい……! 邪神様としての威厳に満ちた佇まいと、この無邪気さの振れ幅……! これも、御身の魅力の一端なのですね……!」
どうやら凄い信頼感を獲得したようだ。
「お、お肉ありがとうフィア」
「勿体なきお言葉! いくらでも作らせてください。こんなものでしか、私は御恩をお返しできませんから」
「いや、この料理はマジで凄い。毎日三食これなら私、一生ここで暮らせる」
《主の幸せの沸点が低すぎて、涙が出そうです》
それに継続的なバフ、もとい美味しいごはんを提供してくれるサポート役はパーティーに必須だ。
「これからよろしくね、フィア」
「はい!」
こうして、私の最初の仲間兼お世話係ができた。
食事が落ち着いたところで私たちは、次の目的地について話し合っていた。
「とにかく、安全に引きこもれる家が欲しい。ネット環境と宅配サービスがあれば最高」
《主よ、この世界にそのようなものはありません》
クロの冷静なツッコミに、フィアが「ねっとかんきょう?」「たくはい?」と、必死にメモを取っている。
「邪神様、その『ねっと』とは、蜘蛛の巣のように世界中に張り巡らされた、情報網のことでしょうか? 『たくはい』とは、意のままに物資を転移させる魔法か何か……? 流石です、我々凡人には思いもよらない発想を!」
(いや、ただの引きこもりのたわごとです……)
するとクロがピン、伸びてなにかを閃いたようだった。
《それならば、ダンジョンを住処にするのはいかがでしょう》
「ダンジョンって、あのモンスターハウス?」
《ええ。高難易度のダンジョンならば、人も寄り付きません。我々にとっては安全な場所かと》
「うーん、でも敵が強すぎると、レベリング前に詰むんじゃ……」
「ご安心ください、邪神様! このフィア、命の盾となり、全身全霊でお守りいたします!」
「いや、そういう物理的な話じゃなくて……」
《ここから一番近い高難易度ダンジョンは?》
「恐らく、【アーク・レヴィナ】かと思います!」
フィアは人差し指を立ててそう言った。
「そのあーくなんとか、まではどれくらいで行けるの?」
「この森からかなり近いので、邪神様なら半日ほどで行けるかと思います!」
危険で大変そうだが、究極の安全地帯のためなら、やるしかないか。
「それと、フィア。邪神様なんて仰々しい呼び方しなくて良いよ。 うかなって呼んで」
「うかな様……なんと麗しい響き! 神にふさわしいお名前!」
(ただの日本人の名前なんだけど……まぁいいか)
翌朝。
フィアが目を覚ますと、隣で寝ていたはずの私が、安心しきった顔で彼女の体にぎゅっと抱きついていた。
フィアは悶えるように天を仰いだ。
「か、可愛い……! 昨夜は邪神としての御威光に圧倒されていたが、眠っているお姿はまるで子供のよう……」
フィアは切り替えるようにかぶりを振って私を優しく揺らした。
「うかな様、朝ですよ。出発の時間です」
「んー……あと、ごじかん……」
「お昼になってしまいます!」
《諦めることです、竜の娘よ。主は一度寝たら起きません。絶対です》
「そんな!?」
結局、クロの予言通り、私が自力で起きることはなかった。フィアは盛大なため息をつくと、仕方なく私を背負い、目的地であるダンジョンへと向かったのだった。
「うかな様、着きましたよ」
「ん……もう着いたの?」
フィアに揺り起こされ、寝ぼけ眼をこする。
そして、目の前に広がる光景に、私は全ての眠気を吹き飛ばされた。
「……え? ……なに、あれ……」
遥か天空。
眼下に広がる鬱蒼とした森を睥睨するように、巨大な城塞都市が、荘厳な威容を浮かべていた。大地と鎖で繋がれているわけでもなく、ただ静かに、そこにあるのが当たり前であるかのように、それは空に浮いていた。およそ、人が作りしものとは思えない、あまりにも幻想的な光景だった。
「あそこが、私たちが今日から暮らす場所です」
呆然と呟く私の隣で、フィアが誇らしげに言った。
「かつて神々が作りし天空の城塞、最高難易度ダンジョン【アーク・レヴィナ】。ここならば、誰にも邪魔されず、安全に暮らせるはずです」